夫と開いた山小屋守る“100歳初代女将” 今も現役で働き、3代目の孫夫婦支える よしのさん「今が一番いい、うれしい」

初代女将・よしのさん(100)

特集は夫と開いた山小屋を守る100歳の女性です。長野県山ノ内町の「横手山頂ヒュッテ」の初代女将は、100歳。今も現役で働き、3代目の孫夫婦を支えています。

■今も現役!初代女将よしのさん(100)

標高2307mの横手山頂ヒュッテ

標高2307メートルの志賀高原・横手山。

その頂上に「横手山頂ヒュッテ」はあります。

「日本一標高の高いパン屋さん」

自慢は志賀高原の山々を見渡せる眺望と名物の焼きたてのパン。「日本一標高の高いパン屋さん」として知られています。

大阪から:
「おいしいです。日本で一番高いパンなんで(笑)」

3代目の高相育永さんと妻の則子さん

現在は3代目の高相育永さん(52)と妻の則子さん(47)が切り盛りしています。

3代目・妻・則子さん:
「夏休みとかは(1日)1000個ぐらい。(山頂は)水が冷たすぎてパンが発酵しないんですよ。まきストーブをたいたり、温めて発酵を促す」

初代女将のよしのさん(100)

忙しい2人を支えるスタッフがもう一人。

朝、食材の仕込みを始めたのは育永さんの祖母で、初代女将のよしのさんです。5月4日で満100歳。今も現役です。

初代女将・高相よしのさん(100):
「別に100になったんだか80になったんだか分からねえ(笑)。なんでこんなに長生きしているんだろうと自分で感心してる」

■かつては山岳遭難の捜索に協力も

初期の横手山頂ヒュッテ

横手山頂ヒュッテの創業は昭和27年・1952年。

よしのさんの夫・耕作さん(左)

よしのさんの夫・耕作さんは戦地から引き揚げてきた後、電気工事の仕事をしていましたが、スキーのツアー客や峠を越える商人を泊める施設を思いつき開業しました。

初期の横手山頂ヒュッテ

ヒュッテの役割は他にも。

高相よしのさん(100):
「毎月、遭難者が出て、探すって、各旅館からバイトの人たちが飛んでくる。『夕飯食べてきたのかい』って(聞くと)『いや、飯なんか食ってこねえ』、『自分が二重遭難するだねえか』って言っちゃ怒って。お巡りさんでもなんでも怒った」

初代・高相耕作さん、よしのさん夫婦のレリーフ

いつしか山岳遭難の捜索に協力することも重要な役割となり、初代夫婦の貢献をたたえようと、ヒュッテの脇には2人のレリーフが建てられています。

■2代目に引き継ぐも…山の上での生活が忘れられず

2代目の息子・重信さん

1970年ごろに、経営は2代目の息子・重信さんと妻・妙子さんの夫婦に引き継がれました。

パンが人気に

パンが人気となりリピーターを抱えるようになったのはこの頃からです。

やがて孫の育永さんが生まれるとよしのさんは2代目夫婦に代わってふもとに下り、面倒を見るようになりました。

高相よしのさん(100)

しかしー

高相よしのさん(100):
「下へ行ったって、なんにもやることなくて、ただぼさーっとテレビ見てるっきりじゃ、気が遠くなるもん(笑)」

山の上での生活が忘れられず、子育てならぬ孫育てが一段落すると再びヒュッテを手伝うようになりました。その後、30年ほど前に夫・耕作さんを亡くし、3年前には息子・重信さんに先立たれました。

高相よしのさん(100):
「私より先に逝っちゃうなんて、それが一番つらかったね」

■料理の下処理を担当

ジャガイモの芽を取る

則子さん:
「お願い」

高相よしのさん(100):
「始めるか」

足腰が弱り、以前のようには働けませんが、ジャガイモの芽を取るなど下処理を担当しています。

ジャガイモの芽を取る

高相よしのさん(100):
「大変だけど、私やらないと他の者は動くから、私は動けないから(笑)。じっとしてる仕事なら手伝えるから」

タマネギの皮むき

則子さん:
「包丁の向きが怖いな」

高相よしのさん(100):
「包丁持ってるから危ないよ」

次はタマネギの皮むき―。

高相よしのさん(100):
「みんなむくの?」

則子:
「そこにあるのは全部お願いします」

高相よしのさん(100):
「(笑)」

きのこスープとパン(1500円)

よしのさんが下処理をした野菜は人気メニューの「ボルシチ」やパンで包んだホワイトシチューに使われています。

ボルシチスープとパン(1500円)

茨城から:
「頂上まで来ると寒いじゃないですか。体の芯まで温まるような感じがしていい」

グループで訪れた客

記者:
「100歳になったおばあちゃんが毎朝、下ごしらえしている」

茨城から:
「現役で働いてらっしゃる、すごい」
「私63歳なんですけど、そろそろ仕事辞めたいと思っていたので、辞めにくくなりました(笑)」
「一生のうちに1回は来てみたいと思っていた。おばあちゃんが頑張ってらっしゃると聞いて、それもいいことですよね」

■よしのさん「今が一番いい、うれしい」

編み物をするよしのさん

100歳になっても貢献できていることに、よしのさんはー。

高相よしのさん(100):
「今が一番うれしい。何を言われても今が一番いい。『邪魔だ邪魔だ』と言われながら座っていれば何でもできるから」

仕事が一段落すると、趣味の編み物をしたり、新聞を読んだりー。

則子さん:
「メガネかけないで見えるからね、すごいんだよ」

■3代目「何とか守る」 よしのさん「うれしい(涙)」

新聞を読むよしのさん

先代(2代目)の妻・妙子さんは体調を崩しており、3代目夫婦にとって、よしのさんは心強い存在です。

則子さん

則子さん:
「とてもじゃないけど(初代・2代目女将の)二人は超えられませんので、なんとか守っていくだけっていうのを心がけています」

「涙で新聞読めねえ」

3代目の決意にー

高相よしのさん(100):
「うれしい、それこそうれしい(涙)」

則子さん:
「泣いちゃった、泣いちゃったじゃん(笑)」

高相よしのさん(100):
「涙で新聞読めねえ」

■頼りにされ、働き続けることが健康の秘訣

高相よしのさん

夫と築いたヒュッテを守る100歳の初代女将。

皆に頼りにされ、働き続けることが健康の秘訣のようです。

初代女将・高相よしのさん(100):
「(何歳まで?)(笑)。いま2、3年、2年ばかりと思ってる、自分じゃ。2年頑張れるかなと思ってる。お客さんと接しながらね。ジャガイモの芽を取りながら、タマネギの皮でもむきながらね」

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