【山田祥平のRe:config.sys】モノの無駄、コトの無駄

by 山田 祥平

PDFはいわゆる電子の紙として、さまざまな情報を、どんなデバイスでも同じように可視化するための受け皿となり、さまざまなシーンを電子化することに貢献してきた。そしてこれからも貢献し続けるだろう。だが、そこには変えなければならないのに変えられないしがらみがあるのも事実だ。

紙というモノの無駄を解消

1993年6月15日、文書フォーマットのPDFをアドビが正式発表した。30周年を迎えた昨2023年は、6月15日をPDFの日として記念日登録されている。

PDFはPortable Document Formatの頭文字をとったもので、どんなデバイスや環境でも同じ見かけで文書を確実に表示および交換するためのオープンスタンダードとして国際標準化機構(ISO)で管理されている形式だ。

今年、アドビは、PDFの日を記念して「私のイチオー業務川柳」をSNSで募集した。その優秀作品発表会ではアドビ株式会社マーケティング本部デジタルメディアビジネスマーケティング執行役員の竹嶋拓也氏が「Adobe AcrobatとPDFの未来」と題したプレゼンテーションを、【紙の資料】を配付して講演するという自虐的なパフォーマンス(本人談)で、PDFを語った……。

PDFはアドビ共同創設者ジョン ワーノック(John Warnock)博士による1990年のプロジェクトに端を発する。「ドキュメントは、いかなるディスプレイでも閲覧でき、最新のプリンタであれば機器の種類を問わず印刷できるべきである」というのがそのビジョンだ。

2年後の1992年にPDFが完成し、1993年6月15日にニューヨークのEquitable Centerにおいて「Adobe Acrobat 1.0」が発表された。

AcrobatはPDFの作成や編集に加え、電子契約までを可能にするアドビ純正のツールだ。Adobe Acrobatで作成するPDFはISO(国際標準化機構)に完全準拠し、Adobe Acrobat Readerでの長期に渡る閲覧性が保証されているという。

また、Adobe Acrobat ProはPDFの直接編集を始め、他フォーマットへの変換、PDFの整理(ページの挿入、削除、並び替え)、電子契約など、あらゆる業務をデジタル化するPDFのオールインワンツールとして知られている。

PDFを使えば、印刷機能を持つあらゆるアプリからプリンタとして認識され、印刷を指示するだけで電子の紙に印刷された仮想プリントアウトをデータとして手にすることができる。

結局のところ、このプロセスではモノとしての紙の無駄は省けるし、その派生でさまざまな無駄が解消される。いいことだらけで素晴らしい。だが、PDFを作るように指示するときの印刷指示と、物理的な用紙に印刷を指示する行為は似たようなものだ。そこでは「紙」というモノの無駄は解消されているかもしれないが、「印刷」というコトの無駄は解消されていない。

デジタル化の恩恵

この春にアドビが実施したインターネット調査がある。改正電子帳簿保存法、そして郵便料金の値上げを背景に、業務のデジタル化の状況とその質を把握することを狙った調査だ。
この調査の結果、82%の人がパスワードを後から送られるZIPファイルとして受け取ったり送ったことがあるとしている。また、見積書、請求書、領収書が紙の書類としとして最上位に君臨し、さらにはその69.5%が「念のために」と紙の原本に加えてPDFなどのデジタルファイルとしても二重に送られている。

アドビはこれらの作業をやめれば日本全体でかなり生産性が高まるのではないかと考えている。

調査によれば、業務をデジタル化したくない理由として、手書きや紙の処理に慣れているから、デジタル処理に不慣れだからという理由が挙がる一方で、デジタル化でかえって業務が増えてしまうと考えられているようだ。

しかも、20代の64%、30代の52%がデジタル化に熱心でない会社では「働きたくない」としている。つまり、デジタル化に消極的な組織はいい人材を確保できない可能性があるということだ。

今、Z世代はデジタルネイティブだが、その次に控えるα世代ほどではない。それに、Z世代はスマホは得意でもPC操作は苦手という現実もある。なのにデジタル化に消極的な会社で働きたくないというのは、なんとなく見ている景色が違っているようにも感じる。

いろいろな理由があるにせよ、会社がデジタル化を認めていないのは本当はわずかな場面であり、デジタル化のメリットをもっと伝えれば、きっと働き方や世の中は変わっていくだろうとアドビは言う。

印刷というコトの無駄

無駄な業務があることは分かっている。それでも一応やっているという仕事が企業の生産性を落としている。

そこでアドビは「みんなでSTOP 一応やってる仕事~5つのSTOP宣言~」として、

  • STOP : 請求書や領収書の原本の二重郵送
  • STOP : 会議資料のプリントアウト
  • STOP : 印刷して捺印してまたスキャン
  • STOP : 押印と 電子署名の 二重手続き
  • STOP : メール添付ファイルのパスワード後送

を挙げる。これらはデジタルによる手段がすでにあるというわけだ。そして、その多くはPDFが救うはずだと。

冒頭でアドビの竹嶋拓也氏が「自虐的」としたのはこのことだ。ちなみに、IT業界内における多くの記者会見等では紙の資料の配付がされてもされなくても、プレゼン資料については共有されることが多いが、アドビはそれもなかった。

ここでは会議資料のプリントアウトをしているが、原本の二重送信はしていないからご容赦をということだろうか。

ちなみに「私のイチオー業務川柳」は約2週間の応募期間中に1,000件以上の応募があったという。そして、最優秀作品に選ばれたのは40代会社員「6月屋」さんによる

電子書類 印刷手書き 再スキャン

だった。せっかくの電子書類なのに、わざわざ紙に印刷し、手書きで何かを書き込み、それを再スキャンしているという本当によくある光景がテンポよく表現されている。

ポータブルの意味するところ

印刷先を紙からPDFに変えることはデジタル化には貢献したが、デジタルの恩恵の一部しか享受できていないんじゃないかとも思う。

「私のイチオー業務川柳」優秀作品発表の場でアドビは生成AI機能「Acrobat AI Assistant」の日本語版開発を表明した。ただ、米国版はこの春からすでに提供されているが、日本での提供開始時期や価格については未定としている。

とにかく開発はしているということで、会場でのデモンストレーションでは、開いているドキュメントのサマリーを自動生成したり、読み手が質問したくなるであろう問いを作成し、その回答を得ることができることが披露された。生成されるのはすべて日本語だった。また、その結果はメールやプレゼンといった利用目的にあわせてコピペできるような機能が紹介された。

ここでの疑問は、対象となる文書をなぜPDFにする必要があるのかということだ。この調子ではみんなPDFから逃れられなくなる。

アドビが本当に目指したいのはPDFのない世界ではないのだろうか。

アドビは文書の構造が正確に保たれた精度の高いPDFが今必要とされているという。特にAIが学習するときの弊害となるような要素を排除したいからだ。そのために最も適しているのはAcrobatであり、それが生成するアドビ純正のPDFが最高のアウトプットを得るために必要だという。だからPDFを作るのにはぜひAcrobatを使ってほしいとも。

その反面、文書の構造化を一番邪魔しているのがPDF化という行為であるとも言える。多種多様な表示デバイスがあらゆる現場で使われるようになった今、次世代のPDFの使命は、印刷して誰もが同じ見かけを手にすることができるようにすることではなく、印刷するという行為の排除ではないか。

WYSIWYGの時代は終わったのだ。「見かけは違っても中身は同じ」が新しい当たり前だと言ってもいい。それが次の時代の「ポータブル」でなかろうか。

その一方で、生成AIのロジックが文書表現にも使われるようになり、中間言語としての見栄えや体裁、表現は、人間が文書の構造を正確に読み取るための重要な要素となる。たとえそれがAIによって生成されたものであったとしても、AIが理解した文書の意図を常に人間が把握しやすいものにしておくために、饒舌でリッチなものであることが必要悪ではあるから話はややこしい。

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