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蹴球放浪家・後藤健生は貪欲だ。海外取材に行けば、その地の食を積極的に楽しむ。よりよいものを求めるために有効なのが、現地の言葉を学ぶこと。ワールドカップ前の有益なエネルギーの使い方だ。
■ドイツ語を「3年間」も勉強して初のW杯へ
若いときは今よりももっとエネルギーがありましたから、ワールドカップに行く前にはその国の言葉を勉強して行ったこともありました。
1974年に初めてワールドカップを見に行ったのは西ドイツ(当時)大会でした。
当時の大学では第2外国語としてドイツ語かフランス語を勉強するのが普通でした(「第1」は英語)。で、僕は普通だと2年間で終わりなのに3年間もドイツ語を勉強していました(2年生のときに不合格になったからです)。
ですから、それで何とか乗り切れました。
1978年にアルゼンチンに行ったときはまったくスペイン語を勉強していなかったので、「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)……」とディエス(10)まで数えられないような状態で南米大陸を旅して、大変に苦労しました。
で、現地で単語や簡単な文章は覚えて帰ってきました。
次の1982年大会はスペイン開催でした。「それなら、せっかく覚えてきたカタコトのスペイン語を忘れてはもったいない」というので、渋谷にあったスペイン語学校に入学。2年半くらい通いました。
そして、ワールドカップ期間中に、現地で実際に使ったので実用レベルにはなっていました(交通機関やホテルなどの予約が大混乱しており、現地でいろいろ交渉をしなければならなかったのでトレーニングにはうってつけでした)。
■90年大会を前に「渋谷」のイタリア語学校へ
そして、1990年はイタリア大会。
スペイン語もイタリア語も、古代ローマ帝国時代のラテン語が現地化した言語ですからよく似ています。イタリアのテレビを見ていると、スペイン語圏の選手に対してイタリア語で質問し、選手はスペイン語で答えているような場面をよく目にします。
それで、視聴者は理解できるわけです(もちろん、ときどき、聞き返したりはしますが)。
ですから、やはり渋谷にあったイタリア語学校での勉強も順調でした(うっかりしていると、イタリア語を話しているつもりが、いつの間にかスペイン語になってしまって、先生から「スパーニョロ! スパーニョロ!」と注意されたりしていました(「スパーニョロ」はスペイン語という意味)。
イタリアは観光立国ですから、34年前でもホテルなどでは英語が通じましたが、イタリア語の勉強のために、現地でもなるべくイタリア語をしゃべるようにしていました。
まあ、簡単な用事を済ますには不自由はしないくらいの自信はついてきました。
■「ナポリ」のタクシーでイタリア語が通じない!
ところが、あるとき、ナポリの駅に着いてタクシーに乗ったら、イタリア語が通じなかったのです。「タクシーに乗って行き先を告げる」とか「レストランで注文をする」というのは、語学の基礎中の基礎です。僕は食い意地が張った(あるいは飲み意地が張った)人間ですから「レストランで注文する」だけであれば、かなりのマルチリンガル話者です。
その基本である「タクシーで行き先を告げる」が通じなかったのですから、これはかなりのショックでした。
しかし、いつまでもショックを受けているわけにはいきません。とりあえず、行き先を告げなければいけないのです……。
そこで、まず英語でしゃべってみました。ナポリは国際的な観光地ですから(なにしろ、ナポリは「見ないと死ねない」場所ですから……)、英語くらい通じるだろうと思ったのですが、やはりダメでした。
そこで、試しにスペイン語をしゃべってみたのです。そうしたら、即、通じました。
「シー、セニョール」(イタリア語なら「シー、シニョーレ」)
というわけで、僕は無事に目的地に到着したのです。