崖っぷちでこそ強い男 柔道ウルフ・アロン 類い稀な“ギリギリを生き抜く術”

「うまっ!リブアイやばい!いい仕事してます!」

カザフスタンの首都・アスタナ。二度目の五輪出場を確実にしたその夜、東京五輪金メダリストのウルフ・アロン(28)は大ファンのミスターチルドレンを口ずさみ、ステーキに舌鼓。とにかく上機嫌だった。

ウルフ:
優勝したから何でも言えるから(笑)負けていたら…とかタラレバの話をしたって、結局勝ちだから。

試合前の時点で五輪予選ランキングは通過ギリギリの20位。負けたら五輪出場が危うくなる瀬戸際に立ちながら、パリ五輪前最後の国際大会で会心の優勝。国際大会でのランキングも出場安全圏にランクアップさせた。

ピンチになればなるほど強さを発揮する、その秘密を追いかけた。

東京五輪金メダリストは、とにかく目立つことが好き

柔道男子100㎏級パリ五輪日本代表・ウルフアロン。大舞台での驚異的な強さは、3年前の東京五輪で既に証明済みだ。

男子100㎏級は世界中に強豪が存在する屈指の激戦階級。2017年に世界王者を戴冠したものの、ウルフの前評判はあくまでその強豪の一角。

金メダルの絶対的候補では決してなかった東京五輪。それでも自慢のスタミナで粘り強い柔道を繰り広げ、母国開催の東京五輪で頂点に。レジェンド井上康生以来となる男子100㎏級金メダリストの誕生だった。

既にご存じかもしれないが、彼は目立つことが大好きだ。メディアの前でも惜しみなく自分を晒す。

ウィットに富んだトーク、面白いと言われることが嬉しい。カメラが傍にいればその分頑張れてしまう、憎めない男。

自分の心に素直な分、節制が苦手。特に体重管理は昔から苦労が絶えず、東京五輪後は一時ベスト体重より20㎏以上重い125㎏に達したことも。

ココロのままに。

その生き様は、初めて彼を取材した大学4年生の頃から変わっていない。当時はコーヒーを自宅で淹れることにハマっていた。正確には”コーヒーを味わう自分”にハマっていたと自虐する。

ウルフ:
夜中に1人でめちゃめちゃ濃いやつ飲んで、3時くらいまで目が冴えちゃうみたいな。コーヒーで寝れなくなっているだけなのに『俺、コーヒーにストイックだな』みたいな。(笑)

想定外だったパリ五輪への3年

東京五輪での栄光の後、2022年1月には、次なるパリ五輪での連覇を早々に公言。

ウルフ:
あと2年半って考えれば結構あるんですよ。しっかりと自分が勝つべき試合に向けて調整していくってところは、東京五輪までの4~5年間と何ら変わりはないと思うので。

だが、そう目測したパリ五輪への道のりは、まったく思い通りに進まなかった。

ケガなどもあり実戦復帰までに1年3か月を費やし、復帰後も体重管理を含めた調整が上手くいかず、五輪王者らしからぬ苦戦続き。国際大会の優勝を一度も飾れないまま低空飛行。関係者ですら「ウルフはもう戻ってこられないかもしれない」と気を揉んだほどだ。

調子が上がらないまま迎えた、2023年グランドスラム東京。パリ五輪日本代表最終選考に設定されていたこの大会ですら準々決勝で敗退。敗者復活戦でも負け、表彰台にも届かず。

ウルフのパリ五輪挑戦は夢と消えた…かに見えたが、ライバルたちもウルフに引きずられるように会心の成績を残すことができず。結果、大会後の内定選手発表の記者会見で、全日本首脳陣が下した判断はこうだった。

鈴木桂治男子監督:
100㎏級に関しては、今回は選考せずまた来年の大会でさらに選考を行っていきたいと思います。

パリ五輪日本代表選考は、まさかの延長戦に。ウルフとしては、かろうじて首の皮一枚つながった状況。越年が決定した100㎏級パリ五輪日本代表の先延ばしに、ウルフも気持ちをつなぎとめる。

ウルフ:
まだチャンスがあるというところに、しっかりしがみついていきたいです。

五輪イヤー突入後の2月。負ければいよいよ終戦となるグランドスラムパリ。五輪開催国での国際大会は、実質国内で2番手候補の位置づけ。

だが、まさにギリギリ崖っぷちの状況でウルフ・アロンがようやく目覚める。

ここまでが嘘のように危なげない試合展開で勝ち上がり、決勝は元世界王者の長身選手に得意の内股一撃。

東京五輪以来となる国際大会優勝を成し遂げ、ライバルたちを逆転。薄氷を踏む戦いを制し、パリ五輪日本代表内定をひとまず獲得した。

国際ランキング17位以内の崖っぷち

ギリギリの戦いはまだ続く。五輪出場を確実なものとするためには、国際大会でのポイントランキングで17位以内が必須。負けが込んでいたウルフ、国内選考で内定が出ても国際ランキングで五輪出場不可となる可能性が残っていた。パリ本番を逆算すれば出場できる試合は残り少なく、油断できない状態が続いていた。

パリ五輪前ラストの試合として設定した5月中旬のグランドスラムカザフスタン。優勝すればパリへの道は確実なものに。一方で負ければ全てが水泡に帰す可能性も。

綱渡りが続くこの状況に、ウルフの表情が変わっていた。ギラギラとした戦う男のオーラ。大好きなカメラを拒否するほどの熱量が、畳の上で発揮される。

相手の特徴にあわせて戦術を細かく変え、布石を打ちながらペースを握っていく。決勝では再び得意の内股一閃。表彰台の頂点に立ち、パリへの危うい道のりを見事渡り切って見せた。

オオカミは、腹をすかせた極限でこそ、牙を剥く。

「ギリギリは好きじゃない。得意なだけ」

カザフスタンから帰国後、空港からの車中でこの男の真髄が零れた。

ウルフ:
楽しくないですか?負けたら終わりっていう危機感。なんか生きてるって感じしますよね。
めちゃめちゃ緊張したしキツかったけど、やっぱりこういう緊張感って、柔道やってるから味わえるもので、普通に生活してたら多分こういうのって無いと思うんですよね。

ギリギリの状況ですら、ココロのままに。それが崖っぷちで輝く、この男の強さの秘密だ。

パリの大舞台に待つのは、国内外いまだ一人も成し遂げた者がいない、前人未到『男子100㎏級の五輪連覇』。

後顧の憂いも無くなり、来たる大一番に向け研鑽を続けるウルフ・アロン。ここで一つ注釈を。

ギリギリに強いといっても、日頃の稽古で手を抜くタイプでは決してない。むしろ努力家。そう見られるのが恥ずかしくて、カメラの前ではおどけてしまうだけだ。

ウルフ:ギリギリは好きじゃないですよ。得意なだけです。ギリギリにならないと鞭打てないようじゃダメですから。でもそこをモノにできる力強さは自分でも感じていますけど。
目立つのが好きなので。やっぱり『最初に目立つのか、最後に目立つのか』っていうと、どっちかというと最後に目立つのがいいので。パリ五輪もしっかり持っていきます。

その瞬間の自分に正直に。客観的に自分を見つめて、最適な道を進む。

パリ本番に向けても、現時点での前評判はやはり高くはない。

でもだからこそ、ギリギリの戦いを生き抜き頂点に立つ姿も、大いに想像できるというもの。

ギリギリだろうと結果オーライ。最後に目立つための準備は、順調だ。

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