海上自衛隊で女性初めての“海将”になった近藤奈津枝さん 本誌に明かした「入隊を母に大反対された過去」

昨年12月、海将に昇進し大湊地方総監部に着任した近藤さん(写真:時事通信)

陸上・海上・航空自衛隊を通じ、女性で初めてトップの階級である“将”になった近藤奈津枝さん(58)。まさにガラスの天井を突き破った近藤さんだが、防衛大学校の卒業生ではなく、中学校の国語の臨時教員からという異色の経歴の持ち主だ。「自衛隊に対する知識もなかった」という女性が、いかにして異例の昇進を成し遂げたのか──。

ホーヒーホー、昨晩の雨が嘘のように晴れ渡った青空に、まるで海鳥の鳴いているような笛の音が響き渡った。

輝く金色の階級章が施された海上自衛隊の制服に身を包んだ女性が、接岸された護衛艦「ちくま」に乗船すると、乗員4名が敬礼で迎えた。乗船時に笛が鳴らされるのは指揮官クラスだけだ。

甲板に立つ近藤奈津枝さんは、’23年12月22日付で海上自衛隊の海将となった。“将”は自衛官幹部のなかでもトップの階級であり、女性が将となったのは、陸上・海上・航空自衛隊を通じ、初めてだ。

近藤さんは現在、宗谷海峡や津軽海峡などの警備・防衛にあたる大湊地方総監部(青森県)で総監を務めている。

《海将は海上自衛隊に20名もいない。海上幕僚長の意図取りをしつつ、海上自衛隊の将来、例えば、体制、備えるべき機能や能力、人材の育成等のあり方に対して、責任を担っている階級であると思う》

今回のインタビューに先立ち、予備取材のための質問をいくつか送ったところ、激務のなかA4用紙17枚にも及ぶ詳細な文書回答を寄せてくれたのだ。

「通常、部下に草案を書いてもらったりするものですが、この回答はほぼすべて私が書いたものです」(近藤さん)

取材場所はいわゆる“基地”、そして文書回答が“である調”だったため、記者はインタビューに臨むにあたって、極度に緊張していたのだが……。

「この前、女友達とゴルフに行ったのですが、(クラブハウスの)オムライスが3千円ですよ!」

「若い人についていくため、最新の曲を覚えています。最近は、あいみょんが好きで、昨日もカラオケに行ってきました」

実際に会ってみると、庶民的で気さくな女性だったのだ。近藤さんは大学卒業後に中学校の臨時教員を経て、海上自衛官に転身、という異色の経歴を持つ。長い自衛隊生活のなかでは、女性ならではの苦労もあったはずだ。

だが近藤さんはそんな苦労を感じさせない笑みを浮かべ、甲板から、眼前に広がる海や、背後にそびえる釜臥山を見やった。

陸奥湾内に位置する大湊地方隊は、砂が嘴状に堆積した砂嘴という地形に恵まれ、防衛上有利な立地であり、日本海軍時代を含め120年以上もの歴史がある。

「むつ市に勤務していて感じるのは、町の方々が自衛隊に理解を示し、支えてくれる温かい気持ちを持っていることです。こうした温かい環境で勤務をしていると、自然と“この町の人たち、伝統文化、子供たちを守りたい”という気持ちが芽生えてくるんです」

■「中学校の子供たちは本当に純粋で素直でかわいらしかった」

近藤奈津枝さんは、’66年1月13日、山口県岩国市に生まれた。会社員の父と、パート勤めの母、そして3姉妹の5人家族。

「両親はほかの家庭と比べて厳しかったと思います。特に田舎特有の第1子に対する厳格な教育を受けたという記憶があります。

そのせいか、小さいころから弱きを守るといった正義感、自分を追い込むといったストイックさ、仁義、人に対する敬意や礼を尊ぶといった気持ちが強かったです。体育会系というか、侍みたいな子だったと思います」

“侍少女・奈津枝”は、とにかく一本気だった。

「高校、大学とハンドボール部のキャプテンを務めましたが、いま思うと、絶対に後輩にはなりたくない先輩でした。キャプテンを務めていたときに『あんな厳しい人にはついていけない。頭がどうかしている』と、高校、大学時に2度も後輩たちに部活をボイコットされてしまったのです」

進学した山口大学のハンドボール部は無名だったが、近藤さん入部後、中四国学生ハンドボール選手権では最強のチームと呼ばれるまでに成長した。

「まずまずの結果を出しました。だから将来は教師になってハンドボール部の顧問になり、全国制覇したかったのです」

そのために大学卒業後は中学校の国語の臨時教員となった。

「小さな島にある、小中学校が同じ校舎の小規模な学校だったので、専門の国語以外に数学や家庭科も教えていました。子供たちは本当に純粋で素直でかわいらしかったです」

しかし教員採用試験に合格することはできなかった。

「一般的にも2度、3度と挑戦することが普通だったので挫折感はありませんでしたが、“自分には向いていないのかな”という思いが湧いてきたのです」

ちょうどそんなとき、市役所で自衛官募集のパンフレットを目にし、応募したことから人生が大きく変わる。

「正直、自衛隊に対する知識もありませんでしたし“国防を強く意識して入隊した”ということではないのです。ただ、こんな私でも採用してくれたという喜びがありました」

だが30年以上前の自衛隊は、国民からの認知度、関心が低いばかりか、蔑まれているような空気感に包まれていたという。

「災害派遣で警察、消防、自衛隊の3つの組織が活動していても、メディアが取り上げるのは消防隊員、警察官の姿。自衛官がニュースになるのは、不祥事を起こしたときぐらいだったのです」

さらに有事の際には前線に立たなければいけないため、娘の命の危険を案じたこともあったのだろう、母は入隊に大反対した。

「『私はあなたを自衛官にするために大学に行かせたわけじゃない!』と激怒されました。娘が苦労するだろうと心配する、親心もあったのでしょうね……」

■「これからの時代は、性別によりチャンスを摘み取ってはならないと強く思います」

自衛隊といえば厳しい訓練を思い浮かべる人も多いだろう。

「陸上自衛隊の中でも、特に厳しいと称される空挺レンジャーの養成訓練がメディアで報じられる機会が多いため、そのようなイメージを持たれるのでしょう。しかし海上自衛隊で厳しい訓練があるのは、入隊時に入校した(広島県)江田島市の幹部候補生学校の最初の1年間くらいです」

約16キロの遠泳や、オールでボートを漕ぐ、とう漕訓練も男性と同じように課される。

「廿日市市の弥山は歩いて登ってもきつい山ですが、これも走って登るのです。昨年まで幹部候補生学校の校長をしていて、学生と一緒に走って登ったのですけど、まだまだ行けますね(笑)」

近藤さんが幹部候補生学校に在籍していた期間、体力面でついていけないことはなかったが、女性であるために、挑戦すらできなかった訓練があった。

「艦艇内に女性が宿泊する施設が整っていなかったり、規則や基準が整備されていなかったりしたことから、女性は艦艇勤務や、長期間海外に展開する遠洋練習航海に参加できなかったですね。それが本当に残念で悔しかったです」

遠洋練習航海に出立する際、舟艇と呼ばれる小船に乗って桟橋を出発する。同期の男性自衛官たちがそれぞれ練習艦に移乗していくなか、近藤さんを含めた女性自衛官は舟艇に乗ったまま見送り、再び桟橋に戻ることになる。

「みんな、舟艇の中で泣いていました。実習幹部として海外を訪れて得るものは、その後の海上自衛隊勤務に大きく影響します。しかし私たちにはその財産がないのです。これからの時代は、性別によりチャンスを摘み取ってはならないと強く思います」

女性であるために大きなビハインドはあったが、配属された経理や補給の仕事の現場で、着実に活躍の場を広げていこうと決意していたという。

「現在の海自はワークライフバランスを重視していますが、私が若いころは、予算編成時期や演習期間は、何日も連続で泊まり込んで仕事をしたり、徹夜に近い状態が続いたりしたこともありました。

そんなとき私は分隊長として、業務が一段落するのを待って、若い隊員たちに『みんな、そのくらいにして、一度中断して飲みに行くよ』と誘っていました。振り返ってみると“気分転換になるどころか、逆にキツいんですけど”と、彼らからすれば不評だったかもしれませんね」

当時から休日でも夜の酒席でも、部下とのコミュニケーションを絶やさなかった。現在、近藤さんを補佐する青木邦夫幕僚長はこう語る。

「幹部候補生学校では私は97期で、近藤総監は89期。8期先輩にあたりますが、私が入隊したころにはすでに有名な方で、お名前は存じ上げていました。笑顔が絶えず、明朗な方という印象です。

10年ほど前、佐世保地区で私が護衛艦の艦長をしていた時代に、近藤総監(当時、佐世保地方総監部・経理部長)と同じ地区での勤務地になりました。会議などでもお話しする機会があったのですが、私が抱いていた第一印象そのままの方でした。

その後、ワークライフバランス推進企画班長をしていたとき、女性活躍の先駆者として、近藤さんのお話を聞いたりアドバイスをいただいたりという機会にも恵まれたのです」

そんな近藤さんの声などが生かされ、女性が活躍できる職場へと改善が重ねられていったのだろう。近藤さん自身はこう語る。

「自衛隊員は何か不測の事態が起こった際は、例外なく部隊に戻ります。小さい子供がいる隊員でも例外ではありません。そうした隊員も憂いなく即応できるように、緊急登庁時の子供一時預かりという制度もあります。これは自衛隊特有の制度ではないかと思います」

また女性がどのような訓練にも参加できるようにするために、設備面にも目を配っているという。

「女性が勤務するうえで、とにかく我慢することのないよう、要望や改善提案をどんどん上げてくるように指示しています。それでもみんな遠慮するので、私を直接補佐するスタッフ自らが女性用トイレや更衣室などの設備を見回りするよう指示しています。いまだに和式トイレが多いのも課題なのです」

(取材・文/小野建史)

【後編】口癖は「国を守る、国民を守る」の海上自衛隊海将・近藤奈津枝さん 持ち歌は振り付けも完璧な『女々しくて』へ続く

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