はなわ、最初は断わった家族の密着「勘違いさせないため」 息子たちに見せた父親としての“謙虚さ”

テレビ、YouTubeと大忙しのはなわ【写真:荒川祐史】

はなわ家3兄弟の成長を語る

お笑いタレント・はなわが家族の日常を配信するYouTubeチャンネル『はなわチャンネル』の登録者数がまもなく50万人に達する。テレビ企画の『はなわ家と3兄弟の密着取材』は、15年前の2009年、TBS系『さんまのSUPERからくりTV』(14年9月に終了)から始まり、現在は日本テレビ系『有吉ゼミ』(月曜7時)に受け継がれている。小学3年生だった長男は昨年結婚し、今年、妻が第1子を妊娠したことをYouTubeで発表した。そんな「はなわ家」をはなわ自身がENCOUNTに語った。(取材・文=福嶋剛)

――もうすぐ、おじいちゃんですね。

「うれしいですよ。夏の予定なんですけど、とにかく元気に生まれて来てくれることが一番です。長男には『ちゃんと奥さんを支えて2人で頑張ってね』と伝えました」

――15年前、『からくりTV』でかわいらしい姿を見せていた元輝さんから「結婚する」と報告を受けた時はいかがでしたか。

「『来るべき時が来たな』という感じで意外と落ち着いていました。妻も僕も結婚報告より、(結婚相手が)三男が通っている柔道場(「朝飛道場」)の館長のお嬢さんだと知った時の方が衝撃でしたね。嫁と2人で『えーーっ?』って声が出ちゃいました(笑)。長男は山口県にある大学の先生をやっているので、お付き合いしている時から『いつか大切な人と一緒に行くんだろうな』と思っていました」

――「はなわ家」を公開されたきっかけは。

「僕が作った『佐賀県』という歌がきっかけで、『はなわさんの家族をテレビで紹介したい』という依頼をたくさんいただきました。でも、最初は全部お断りしていたんです。僕はもともとパンクロックとか電気グルーヴが大好きで、『自分もユーモアのある反発精神で人を楽しませたい』と思って東京で芸人を始めたんです。そんな人間が大衆を前にニコニコしながら家族を紹介するなんて『ダサいじゃん』て、ずっと思っていたんです。ところが、ある日、『からくりTV』のスタッフだった友人から『子どもたちだけでお留守番する様子を撮影させてほしい』とお願いされました。それは断わり切れなくて嫁に相談したら『OK』をもらったので、『じゃあ、1回だけ』という約束で引き受けました」

――やってみていかがでしたか。

「当時小学3年だった長男と幼稚園生だった次男の様子が『面白い』とお茶の間で受け入れていただき、うちの実家でも喜んでくれました。それから『はなわ家のコーナー』みたいなのが始まり、地方に営業に行くとおじいちゃん、おばあちゃんから『番組を見たよ』ってニコニコしながら声を掛けてくれて、『今まで格好をつけていた自分の方がダサかった』と気がつきました」

――家族の日常に密着されることへの抵抗は。

「全部丸見えなので、やっぱり抵抗はありました。でも、密着していただいたおかげで、子どもたちは『頑張ろう』と思えるものに出会えたり、(明石家)さんまさんには、嫁の面白い一面を見つけてもらうなど、『家族の日常を見せることで誰かに元気を与えているのかも』って思うようになりました。取材のおかげで家族の絆も深まり、昔の理想とは違いますけど、大切なものに出会えました。何より今も家族全員でこの状況を楽しめています」

――YouTubeチャンネルもスタートから5年目を迎えました。

「YouTubeは仕事というより『家族全員の楽しみ』という感覚で、ストレスにならないペースでやっています。といっても『ただ、食べているだけの動画』なんですけどね(笑)。やっぱり、芸人なんで初めはボケとか企画とかいろいろと考えたんですが、結局、スイッチオフ状態の『中堅芸人の家』をそのまま映すのが一番良いと思いました」

――YouTubeを始めた頃は、食費だけでも毎月20万円以上の出費だったそうですね。

「長男が高校3年生くらいの時はやばかったですね。柔道の階級が一番重いクラス(100キロ超級)だったので、体重が落ちないように食べることもトレーニングでした。長男の分だけで、お米は毎朝一升(10合)炊いて5合をお弁当に入れて持って行きました。家に帰って来ると、8合食べていたのでまるで相撲部屋でした(笑)。そしたら、僕たちを心配してくださって当時住んでいた佐賀の農家の方が、よくお米を玄関に置いてくれたんです。ホントにたくさんの方に助けていただきました」

――3兄弟が柔道を始めたきっかけは。

「元柔道金メダリストの吉田秀彦さんと知り合ったことがきっかけです。僕も子どもの頃に柔道をやっていたので、吉田さんのファンで園児だった長男を連れて道場を見学しました。人見知りな長男でしたが、練習を見て『自分もやりたい』と言ったので始めてみました。そしたら、始めて1年で東京都の大会で優勝して体もどんどん大きくなりました。次男は長男の厳しい練習風景を見た時、『絶対にやらない』と言いました。僕も無理にはやらせたくないので、『好きなことをやりなさい』と言ったのですが、佐賀県に引っ越した時、近くの道場が『みんなで楽しくやろう』みたいな優しい雰囲気で、それを見た次男が『ここでやりたい』と言いました。すると三男も『僕もやる』と言ったんです」

――その後、長男の元輝さんは大学講師として柔道を教える道に進み、次男の龍ノ介さんは新しいことに興味を持ち始めたそうですね。

「次男は中学の時に佐賀県大会で2位になり、高校は柔道でスカウトされたんですが、すぐにコロナ禍になって活動できなくなりました。僕も東京での活動が続き、佐賀に帰れなくなったので、関東への引っ越しを決断しました。次男はその前から美術や音楽にも興味を持ち始めて、引っ越すタイミングで柔道を卒業して、今は好きな道に進むための受験勉強に励んでいます。三男の昇利は、兄弟の中でも一番柔道が好きになって、まだ13歳ですが大人顔負けの力を持つようになりました。3人は柔道を通して礼儀正しさを身に付けたことが大きくて、やって良かったと思います。でも、最終的には自分の好きなことをやるのが一番だと思います」

――子育てで大切にしてきたことは。

「一番は『謙虚であれ』です。僕が両親から学んだことで、『いつどんな状況でも謙虚でなければいけない』と子どもたちだけでなく、僕自身にも常に言い聞かせています。やっぱり、幼い頃から番組スタッフさんたちと近いところで大切に扱っていただいている分、子どもたちには絶対に勘違いをしてほしくないですから。3人は僕を見て僕のまねをしますから、口で伝えるより、僕自身が常にそういう姿勢でいなきゃいけないと思っています。それ以外は放任主義です。早く自立してもらうために、子どもたち自ら失敗して痛い目に遭った方が覚えられますから。そして、今後も愛を持って接していきたいと思います。いつか子どもたちに伝えたいことをメモしているんですが、あんまり伝えてないですね(笑)」

――そのメモを歌詞にして歌で伝えていますね。

「直接言葉で伝えるのが苦手なので、それはあったのかもしれないです。『お義父さん』という曲は、うちの嫁さんが幼い頃に離れ離れになったお義父さんとの関係を歌った曲なんですが、嫁さんが歩んできた半生を知らなかった長男は曲を聴いて『すごいね。ママがそんな風に生きてきたとは知らなかったよ』って感想をもらいました」

はなわにとって家族とは「深く考えなくても一緒にいられる存在」【写真:荒川祐史】

弟のナイツ塙を尊敬「真面目、努力家…僕にはまねできない」

――『お義父さん』『ママには内緒』『息子』といったご自身の曲やヒロミさんに提供した『神様との約束』など、家族や夫婦を歌った曲を作る上で大切にしてきたことは。

「お笑いの歌は別として、僕自身はノンフィクションじゃないと歌えないんです。やっぱり、アーティストじゃないので架空の話を僕が歌ってもちゃんと届かないと思います。もう1つは初見の人が1回聴いただけで伝わるような言葉やメロディーを選ぶことです。やっぱり、“つかみ”は、大切なんで。でも、いつもめちゃくちゃ時間をかけて歌詞を書いています」

――はなわさんはご自身も3人兄弟で次男です。

「そうですね。3つ上の兄貴は普通に仕事をしていますけど、若い頃からハイセンスなものにアンテナを張ってきた人で、僕の音楽ルーツみたいな人ですね。弟(ナイツ塙)も兄貴からの影響はあるんじゃないのかな。弟については、『すごいな』のひと言です。真面目だし、努力家だし、なかなか僕にはまねできないことをやっていて、尊敬しますね」

――はなわさんにとって「家族」とは。

「難しい質問ですね(笑)。深く考えたことがないんですよ。嫁は嫁の人生があるし、子どもたちも3人それぞれの人生があるんだけれど、きっと家族という何かでつながっているんですよね。だから、『深く考えなくても一緒にいられる存在』かな」

――はなわさんのこれからは。

「このまま変わらないです。見た目とか変えちゃうのはダサいと思うタイプなんで。だから、『俺はダサい』と感じた時は辞め時かもしれないです。僕は基本的にこだわりのない人間だとずっと思ってきたんだけど、今日のインタビューで、『自分のこだわりみたいなのが結構あるんだな』って気が付きましたよ(笑)。知らない間にそういうものを取捨選択してきたのかもしれないですね」

□はなわ 1976年7月20日、佐賀県出身。専門学校東京アナウンス学院お笑いタレント科在学中に芸能界入り。2000年、当時プロ野球巨人・松井秀喜のモノマネなどで注目される。03年、シングル『佐賀県』が大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』に初出場。その後、映画『翔んで埼玉』(19年)、『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』(23年)の主題歌を担当。公式YouTube『はなわチャンネル』『はなわチャンネルの小部屋』を配信中。福嶋剛

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