青い器に魅せられて チェコ語学科を卒業して陶芸へ【続・東海エリア探訪記】

小糸焼を切り盛りする長倉誠さん(左)と、母の陽子さん(写真・西浩輝)。

飛騨高山に小糸焼という窯元があるのをSNSで知った。その青い器は深い色味と力強さを秘め、“インスタ映え”していた。
「青は釉薬と顔料の化学変化で出る色です。祖父が開発し、父が改良を重ねたうちの看板なのですが、なかなか私には色を出せませんでした。試行錯誤を重ね、ようやく思うような青を出せたのです」

青が映える小糸焼の椀。重すぎず軽すぎず、手によく馴染む。

東京外国語大学でチェコ語を学んだ長倉誠さんは卒業後、得意の外国語を活かした仕事をしたいと金属メーカーに就職し、通訳を兼ねてチェコに赴任した。チェコ語に興味をもつきっかけは、格変化して語尾が変わる言語構造と、「窓外投擲事件」などちょっと変わったチェコの歴史に興味を抱いたことだという。
「工場で現場のチェコ人と、管理職である日本人の仲立ちをすることが多かったのですが、業務に必要な専門知識も語学力も求められている水準に達しておらず、ずいぶんご迷惑をおかけしたのではないかと思います」
デスクワークより工場の現場のほうが自分には向いているのかもしれないと悩んでいたら、家業の窯元が思い浮かんだ。継ぐように親から言われたことはなかったが、折しも担い手である祖父と父が相次いで病に伏していた。母の陽子さんは窮状を伝えようと長文のラインを書いては消し、外国でひとり頑張る息子を気遣って送信できずにいた。
小糸焼は江戸時代にさかのぼるが途絶え、戦後、全国各地で民藝が見直されるなか、曾祖父が復興を果たし、祖父、父と受け継いできた。特徴は飛騨の材料を使うことにあり、窯元は長倉さん1軒のみである。
家業を継いで陶芸に携わりたいとの思いを日増しに強めた長倉さんは、2020年末、1年半あまり働いた会社を辞め、チェコから高山に帰郷する。ろくろの回し方から焼き方まで一から教わり、ちょうど一巡したところで父は力尽きてしまう。その間、わずか3カ月だった。技術を磨くため瀬戸の窯業専門学校に入り、23年に修了。小糸焼を受け継いだ。

小糸焼を切り盛りする長倉誠さん(左)と、母の陽子さん(写真・西浩輝)。

「祖父も後を追うように亡くなったので、端からは壮絶に見えるかもしれませんね」
まだ20代の長倉が作り出す器はなんともいえない凄みを放ち、窯元を継ぐ覚悟が伝わる。といって気負いのない、普段使いにほどよい器を、リーズナブルな値段で提供している。デパートの物産展に出店する機会も多い。自分でつくったものを自分で売る、若者の一途な仕事ぶりに惹かれる。

© 中日新聞社