『アンチヒーロー』は近年まれに見る傑作に 長谷川博己と野村萬斎が演技の最高地点に到達

「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」

最後までその人はヒーローではなかった。『アンチヒーロー』(TBS系)最終話は、長い夜を耐え抜いた父と娘へ贈られる花束だった(以下、最終話のネタバレを含むためご注意ください)。

白木(大島優子)の密告によって明墨(長谷川博己)は逮捕された。血が付いた緋山(岩田剛典)のジャンパーを意図的に隠したことが、殺人罪に関する証拠隠滅幇助に問われたのだ。検事正の伊達原(野村萬斎)自ら公判検事を買って出たことで、因縁の二人の対決が法廷で実現する。

公判で争点になったのは12年前に起きた糸井一家殺人事件。緋山を無罪にした明墨の目的は、有罪宣告を下された志水(緒形直人)の冤罪の証拠となる動画を入手するためだった。検察の威信をかけて、伊達原は冤罪の疑惑を徹底的に晴らそうとする。だが、それこそが明墨の狙いだった。

明墨の陳述は、志水の冤罪立証に向けた取り組みを公の場で明らかにするもので、対する伊達原は押収した桃瀬(吹石一恵)のファイルを示し、死の瀬戸際に立った人間による根拠のない憶測と一蹴する。「ヒーローになりたいと思ったことは?」と伊達原は問いかける。かつての部下である明墨を前に「極端な正義感はときに道を誤らせる」と自信たっぷりに糾弾した。

善と悪、法の正義をめぐる明墨と伊達原の論戦は示唆に富んでいる。公判の前哨戦となった勾留中の問答で、権力を憎み、悪を憎む伊達原は「大切な家族を守るためには誰しも人を殺す。そして家族を守った君を人々は正義と言う」と自身の考えを明かした。伊達原の言葉は、第2話で明墨が赤峰(北村匠海)に発した内容である。正義は相対的なものと考える伊達原は「ある行為が正義になるか悪になるかは見え方次第」で、法律を「うまく利用するべきもの」と語った。

明墨が冤罪の新証拠として提出したのは科捜研の鑑定書。死因は硫酸タリウムによる中毒死とされたが、鑑定書には異なる物質、ボツリヌストキシンの名称が記載されており、検察が意図的に鑑定書を改ざんしたと主張した。伊達原は、検出された2種類の毒物のうち、特殊な機械が必要なタリウムについて改めて詳細な鑑定を行ったと説明。ボツリヌストキシンは微量で死因と関連性がないため記載しなかっただけで、弁護側の資料は偽造されたものと断言した。

伊達原のキャラクターについて、今作の飯田和孝プロデューサーは「人間味や悲哀」を込めたかったと語っている(※)。エリート街道を歩んでいるように見えた伊達原は実は苦労人で、子煩悩な父親だった。伊達原が生まれくる我が子のために真実を隠ぺいする様子が第9話で描かれたが、組織の倫理に従う純粋な人ほど不正に染まりやすく、気付かないうちに歯止めがかからなくなる典型に見えた。

明墨は周到な準備を行い、伊達原を罠にかけた。伊達原と明墨は似ている。第8話で伊達原が明墨の考えることは手に取るようにわかると話した。逆も真なりで、明墨も伊達原の思考を理解することができた。証拠隠滅を示す動画データを再生する求釈明で攻守が逆転し、明墨が伊達原を追い詰める。

のちに赤峰、紫ノ宮(堀田真由)との接見で、改ざんされる前の鑑定書が偽造書類であることを明墨は否定しなかった。伊達原は鑑定書が本物であると信じて急いで証拠を隠滅したが、その時すでに明墨の術中にはまっていたのだ。動かぬ証拠を突き付けたところで、とどめの一太刀を浴びせたのは伏兵の緑川(木村佳乃)だった。伊達原を法廷に引き出した白木と、検察内部で機会をうかがっていた緑川、有罪になる覚悟で法廷に立った明墨の連携プレーだった。

ドミノ倒しのように一つの嘘が白日の下にさらされたことで、真実が雪崩を打って明かされる。瀬古(神野三鈴)の告発によって世論は再審に傾き、志水の潔白が証明された。明墨は法廷に向かって語りかける。法律は「しょせん人間が作り上げた尺度」で「黒の奥には実は限りない白が存在している」という指摘は胸に刻みたい。

脚本、演出、演者の才気が嚙み合って『アンチヒーロー』は近年まれに見る傑作となった。長谷川博己と野村萬斎は、今後の日曜劇場の指針となる演技の基準点を更新し続けた。若手弁護士の赤峰を演じた北村匠海は、物語のガイド役として入り組んだ筋立てと難解な法律用語をよどみなく伝える台詞回しが出色だった。一つの側面から見ると『アンチヒーロー』は女性たちの物語であり、明墨、伊達原、赤峰以外の基軸をなすキャラが女性だったことは特筆すべき点だ。罪と罰を峻別しながらも懲罰的ではない正義と人間性のあり方を本作は示した。

参照
※ https://realsound.jp/movie/2024/06/post-1691414.html

(文=石河コウヘイ)

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