『アンメット』杉咲花と若葉竜也が生んだ“奇跡の長回し” ミヤビと三瓶の関係性にも変化が

『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)をまだ観たことがない人は、第9話のラスト約10分だけでもいいから観てほしい。いや、本当は最初から追ってほしいのだが、たくさんの奇跡が重なって生まれたあのシーンは、普段あまりドラマを観ない人のドラマに対するイメージをくるりと変える力がある。

杉咲花と若葉竜也は、たしかにミヤビと三瓶として物語のなかに存在しているのだが、その境目がスーッと見えなくなって、フィクションとノンフィクションの狭間の世界に誘われていくような。とくにラスト約10分は、どこからどこまでが台本に書いてある台詞なのかが分からなくなり、まるでドキュメンタリーを観ているような感覚に陥った。

なかでも印象的だったのが、三瓶がもたれかかってくるのを止めて、ミヤビが「三瓶先生は、わたしのことを灯してくれました」と伝えた場面。身も心もゆだねたい気持ちが先走りすぎて、ミヤビの台詞を飛ばしてしまったのかな?(それもそれでアツい)と思っていたら、第9話の監督を務めた日髙貴士が放送後に自身のブログで、ハグ前のミヤビの台詞は杉咲のアドリブだったことを明かした。(※)

第6話で、「絶対にアドリブだ」と言われていた注射のシーンが台本通りで、「アドリブなわけがない」と思われていた「三瓶先生は、わたしのことを灯してくれました」という台詞がアドリブだなんて……。なんだか頭がこんがらがってしまいそうだが、10分以上の長回しのなかにアドリブを入れ込んでも大丈夫と思えるほどの信頼関係が杉咲と若葉の間にあると思うと、胸が熱くなる。『おちょやん』(NHK総合)、『杉咲花の撮休』(WOWOW)、『市子』(2023年)と共演を繰り返してきた2人だからこそ、あの奇跡の10分間を生み出すことができたのだろう。

それにしても、「僕はまだ光を見つけられていません」と嘆く三瓶に、杉咲がかけたアドリブが「三瓶先生は、わたしのことを灯してくれました」というのも、込み上げてくるものがある。たしかに、ミヤビは「光をくれました」とか、「照らしてくれました」とか、そんな大それたことは言わない。“灯してくれた”という表現がいちばんミヤビにしっくりくるように感じる。これも、杉咲が役を生きているからこそ出た言葉だったのだろう。

また、これまで、どちらかというとスンとしている大人な男性に見えていた三瓶が、ミヤビに抱きつきながら子どものように涙を流していたのもグッとくるポイントだった。弱さをさらけ出しても受け入れてくれる人に出会えたことの安堵が伝わってくるような。三瓶が、これまででいちばん柔らかい雰囲気を纏っていた瞬間だったように思う。

また、個人的には、最初はミヤビに包み込まれていた三瓶が、だんだんとミヤビを包み込む側に回っていくのにもジーンときた。この2人は、どちらかが支えるのではなく、持ちつ持たれつでお互いの足りないものを補い合い、生じてしまった影を消す努力をしながら生きていくのだろう。そんなふうに思っていたのに、最後のミヤビの発言で、一気に現実に引き戻されることになる。

ミヤビは記憶障害を抱えながらも前向きに明るく生きているように見えるが、絶望をたくさん乗り越えてきたし、これからも乗り越えていかなければならない問題は山積みだ。だからこそ、リスクを取ってでもその先に少しでも光があるのなら、手を伸ばしたくなる三瓶の気持ちも分かる。その一方で、もっと影が濃くなってしまう可能性があるのに、進んでしまうことを恐れる大迫(井浦新)の想いも分かるからこそ、苦しい。

ミヤビの記憶障害の原因が、ノーマンズランド(=決して人がメスを入れてはいけない領域)にあると知ったとき、三瓶はどうするのだろうか。残すところあと2話となってしまった『アンメット』。演者、監督、カメラマン、照明部、録音部……作り手全員の“いいもの作りがしたい”という気持ちがひとつになって出来上がった名作を、最後までじっくり見届けたいと思う。

参照
※ https://ameblo.jp/dorubako-taka/entry-12855787269.html

(文=菜本かな)

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