ハウステンボス町より先に 県内初の《カタカナ町名》が誕生 1988(昭和63)年6月 映像タイムマシーン“ユウガク”【長崎】

ちょっとひととき…懐かしい “昭和の長崎”を感じてみてください。
NBCライブラリーに残る映像で振り返ります。

時代は平成になる直前、長崎県内で初めてとなる《カタカナ町名》の住宅地が誕生しました。

1988(昭和63)年6月、長崎市北部に誕生したのが「エミネント葉山町」です。

虹ヶ丘町と葉山町にまたがる総面積10万㎡の新興住宅地でした。

当時、長崎市北部は人口増加が著しく、近隣の滑石地区などでは宅地が飽和状態となっていたため、新たに開発されました。

カタカナの町名を採用した理由としては、この地域の造成が進み、住宅表示が複雑になっていたという事情がありました。

そのため、長崎市が町名改正を提案。地元自治会のアンケート結果を受けて、この町名に決まりました。

エミネントは「有名な、卓越した」という意味を持つ英語です。

丘陵地を造成してつくられた真新しい町には、当時の住宅メーカーの最新鋭の戸建て住宅が建ち並びました。

宅地に適した平地が少ない長崎市では、その後も需要に供給が追い付かない状況が続き、隣接する時津町や長与町に新たな住宅団地が開発されていきました。

このほか県内でカタカナの町名がついているのは、県北佐世保市の「ハウステンボス町」で、その地区にハウステンボスがあることにちなんで、1991年(平成3)年6月に佐世保市江上町から分立しました。

放送局が撮影した 長崎の映像を配信している『ユウガク』より

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