会話や動画が脳を活性化させる!脳神経内科医が教える脳の健康と思考の意外な関係性

(※写真はイメージです/PIXTA)

いつまでも健康な脳でいたいですよね。それなら、考えることをしましょう。脳神経内科医の米山公啓氏の著書『医師が教える元気脳の作り方』によると、それが脳を活性化させるそうです。本書からその理由を紹介します。

会話は脳を刺激する

人間の進化したコミュニケーション方法はなんと言っても会話です。SNSの時代となっても、結局はスマホ経由で会話をしているので、人との会話は重要な意味を持っているはずです。脳を刺激するという視点で見ても、会話はタイミングが非常に重要です。

相手の話が途切れるタイミングを狙って、自分の言葉を繰り出していくのですから、会話中は、人の話を聞きながら次に何を言うのかずっと考えて聞いていることになります。会話はもっとも手っ取り早い脳の刺激方法です。私の愛犬を見ていても、言葉をある程度理解していることが十分わかります。

当然、犬は言葉を発することはありません。鳴き方を変えて表現はしますが、言葉とは言えないでしょう。自分の愛犬を眺めていると話ができればなあと、時々本気で思うことがあります。物事を考えるとき、脳の中で言葉を作るから、それによって考えることができると言われています。

言語を使うとき、従来は前頭葉のブローカ野と呼ばれる場所が中心と考えられていましたが、最近では、もっと広く脳を使いながら会話をしていることがわかってきました。人と話をするとき、何かをイメージしながら言葉をさがして、しゃべっています。実はこれはインターネット上で、何かを検索するときに似ているのです。今のインターネットの仕組みでは、イメージだけで何かを探していくことは難しいものです。

例えば、どこかの家具屋さんで見た椅子を探すときは、形や色、デザイナーの名前などをキーワードにして、自分が欲しい椅子の写真を探していくことになります。イメージだけで検索はまだまだ難しいので、その間には言葉が入らないとできません。AIを使ったとしても、思考をまだ理解できないでしょうから、言葉を仲介に使わないとうまくいかないでしょう。

インターネットの検索が脳を非常に刺激するというのは、イメージを膨らませながらそれを言葉に置き換えて検索するからでしょう。つまり会話をすることも、同じようにイメージを広げながら言葉探しをして会話しますから、脳を刺激することになるのです。相手の話を聞き、そこから入ってくる情報と自分の脳にしまい込まれた情報を探し出して、言葉を作り会話を続けていくので、昔の神経学のように単に言語中枢の働きというわけではないのです。

また、言葉と一緒に感情を相手にぶつけるとき、つまり愚痴を言うときに重要になってきます。ストレスを解消させるもっとも手っ取り早い方法は、だれかに愚痴を言うことです。ストレスは脳に悪影響があることは、説明してきましたが、それを早く解消することが脳を守るために非常に重要なのです。

つまり、話し相手がいることがいかに脳の健康を守っていく上で大切かということでしょう。そのときもやはり言葉があってこそ可能なのです。開業医はその点、話し相手が少ない職業です。患者さんとは、病気のことで話はしますが、本音ではなかなか会話できないところもあります。

私の父が元気だった頃は毎朝、医学から政治まで幅広い話をしていました。それが可能だったのは、同じ職業ということがあったからでしょう。つまり話し相手は、お互いの知識や経験のレベルが同じくらいになってこそ、話が盛り上がるわけです。

だから同級生というのは、同じ時代に時間の共有ができているので、話し相手としては、面白いのでしょう。ただどうしても同じ話題になってしまうという欠点はありますが。歳を取ってくると、友人とは次第に疎遠になってしまいます。近くに住む話し相手も減ってきます。

さらに定年になってからは、行動範囲が狭くなり、なかなか新しい友人ができなくなってしまいます。つまり友人が少ないということは、言葉を使うチャンスが減っていくことになり、脳の衰えを加速させてしまう危険があるのです。いくらインターネットが使えるといっても、実際に人に会って話をする刺激とは同じにはなりません。

普段の会話のとき何もしっかり考えて話をしろというのではありません。いつもとは違う人に会い、相手の話を聞くことで発想が広がり、言葉もたくさん出てくるのです。高齢になればなるほど、話し相手をいかに確保するかが重要になってきます。

規制がアイデアを作り出す

日本はやたらに規制や規則が多い国ということになっていて、私たちはまじめに守ろうとしてきました。コロナ禍でも、ワクチンを管理するための書類や補助金をもらうための申請書の多さに驚くばかりでした。コロナ禍の初期の頃は、発熱患者情報をいちいち保健所にファックスで送っていたのですから、呆れるばかりです。

国はデジタル化を勧めていますが、まだまだ判子の書類やファックスを使っているのですから、医療のデジタル化はまったく進んでいないといってもいいでしょう。規制や規則というものは脳科学的にみれば2つの面があります。規制ができてしまうと、それに従うことで、創造性が低下することです。一定の能力を保つには、規則を作り遵守させることがいいのでしょう。

しかし、そんな環境の中でも、逆に決められた規制があるからこそ、その中で新しいものを作り出していこうと努力する場合もあります。スマホはポケットの中に入りますが、以前の携帯電話は結構な大きさでした。そこで、手のひらサイズという規制を作り、その中に携帯電話の機能をどう詰め込むかを考えたのです。

これは規制がプラスに働いたケースでしょう。部品を小さく、数を減らすなどの多くの努力で、現在のようなサイズになったのです。規制がなければ、大きな携帯電話をいまだに使い続けていたかもしれません。商品開発にはこういった脳の使い方、つまりある規制を突破するにはどうすればいいのかを考えるほうがアイデアは出やすいものです。

やたらに規制をなくして、自由競争にしたほうがいいように思えますが、まったくの自由の中から何かを作り出すことは、非常にエネルギーのいることです。大きなキャンバスに自由に絵を描いていいと言われると、よほど絵に自信がないと、何かを描くことは難しいものです。

江戸の町が当時は世界的に見ても美しい町だったのは、いろいろな規制があったからでした。限られた資源と規制の中で様々な工夫があったからこそ、綺麗な町になったのです。ノルウェーのフィヨルドをクルーズしたとき、その風景には圧倒されました。

一軒一軒の家の色、形は共通で、いかに規制されているかがわかります。屋根の色がかなり厳しく規制されています。それがあってこそ、あのフィヨルドの風景に溶け込む家々となったのでしょう。これも規制があるからこそかえってうまくいっている例です。

そういった規制の中でデザインの努力をしているから、北欧のすぐれたデザインが生み出されたのかもしれません。脳は自由であることより、何かの規制を受けているときのほうが実力を発揮できるのです。何も浮かばないとき、自分の仕事に規制や時間制限をかけることで、アイデアが浮かぶかもしれません。

普段の生活でも、限られた資源で何かをやろうと思ったほうが、ずっとアイデアが出てきます。私の医院の2階には、親父が使っていたアトリエがそのまま残っています。その油絵の具を使って絵を描こうとしたとき、赤の油絵の具がありませんした。しかし、他の絵の具で描いたので、むしろ色に共通性ができて落ち着いた絵になりました。こんなちょっとした規制を課すことで、新しい創造につながっていくものですし、脳を刺激して発想を豊かにできます。

動画配信サイトのドラマで刺激する

いくら作家業とはいえ、常に集中して原稿が書き続けられるわけではありません。もう少し若いときは、7~8時間集中して書いても、なんとも思わなかったのですが、今は医者の仕事が日中忙しくなかなか大変です。夜遅くなって数時間原稿書きに集中するのが難しくなってきました。

原稿を書いていて、進まなくなると、最近ではネットの動画配信サイトのドラマをつい見てしまいます。文字ばかり追っていた頭を、映像を見ることに切り替えると気分転換になります。脳を休めるということは、使っていない脳の部分を使うことですから、文字や数字を扱っている仕事なら、映像的な刺激がいいわけです。

そんな意味から私にとって動画は、脳を休めるのには最適です。さらに、ただ面白いというだけではなく、驚きや感動もあったりするので、記憶に残っていきます。映像を見ているとき、私たちはその先をほとんど無意識に予測して見ているわけですが、それが裏切られたときの驚きは、さらに脳を刺激することになります。

いい意味で期待を裏切ることこそ、エンターテイメントなのです。それも2度3度の想像できない展開がある作品が多く、よくそんなストーリーを考えられるものだと思ってしまいます。時代小説を書いているとき、ストーリーをかなり考え続けました。想像ができるオチをさらにひねり、最後ももう一度ひねるというようなことを考えていました。

それはここ10年くらい寝る前に、見ているネットフリックスなどの動画配信サイトの影響です。ネットフリックスは、スポンサーからの影響がないので、ストーリーや描く舞台はまったく自由であり、非常に発想が豊かです。

『ブレイキング・バッド』という有名な作品では、冒頭に意味のない画像を出しています。実際脚本家も、その映像をどうするのか、まったく考えずにストーリーを展開して、最後にうまくその映像が意味を持つようにしているらしいのです。ユニークな発想はそんな具合で生まれていくようです。

だから動画を見る側も、まったく予想もつかない展開があるからこそ面白いわけです。それくらい話が面白いと、十分脳の刺激になります。私はずっとネットフリックスを見ていて、いつか役立つときがくるだろうなと思っていました。それが時代小説のストーリーを考えるときに役立ったのです。

物を考えるとき、自分の記憶で先を読もうとします。意外な展開をする動画配信サイトのドラマでは、予想を裏切られることが多いので、それが驚きになって、忘れられない記憶となっていきます。このとき、脳の扁桃体が刺激され感情も動かされるので、即座に忘れられない記憶に変化していくのです。そこで、新しい脳のネットワークができあがるわけです。

面白いドラマを見て驚き、感動していくというのは、脳に新しい回路を作っていく上で、非常に重要で有効な手段なのです。文章を読んで感動していくには、感情移入する時間が必要になりますが、動画ではそのシチュエーションを読み取ることで、すぐに感情が動かされやすくなっています。だから短時間のうちにうれしくなったり、悲しくなったりできるわけです。

そのあたりの脳の仕組みをうまくとらえたのが最近の動画配信のドラマでしょう。ドラマといかなくても、最近はSNSで偶然撮れた動画や面白い画像をアップできます。この作業が創造的な脳の使い方になります。しかし、ただのランチの画像や、エアポート投稿おじさんと言われる、空港ラウンジでの画像など、だれもが見飽きている画像をうれしそうにアップしてしまうのは、脳にとっては刺激にならないわけです。

私のFacebook は基本、洒落で画像をアップしていることが多いのですが、いまはFacebook を使っている年齢層が高くなっているので、その洒落をなかなか見抜けないようです。ついマウントを取って、「それはこうしたほうがいいです」というような書き込みをする高齢者が結構います。みんなが面白がっているだけなのに、そこで正論をはいてしまうことが、いかにずれているのか気が付けないのです。

旅先から、「○○に着きました」という画像をアップすると、「そこには2年前に行きました」とマウントを取るような書き込みをする人が結構いるのが、高齢者Facebook の特徴かもしれません。そもそも、○○に何回も行っている人は、「いいところですね」と共感で軽くかわすものです。

SNSの世界でうまくたち振る舞うのは、実はなかなか難しいのです。初めの頃は、インターネットが自由に使えるようになると、脳にとってマイナスのように言う人が多かったものです。しかし、決してそんなことはなく、上手に利用していくことで、むしろ脳にはすばらしい環境を提供することになります。少なくともマウントおばさんや、エアポート投稿おじさんにはならないことです。

米山公啓
脳神経内科医

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