「この体でも世界と渡り合えた」 経験を次世代へ 競泳・五輪メダリスト 江原騎士さん語る 山梨県

【動画】"30年の競技生活"終着 胸中語る

2016年のリオデジャネイロ五輪・競泳で銅メダルを獲得した、甲府市出身の江原騎士さん(30)が現役を引退しました。山梨放送の村上幸政アナウンサーが、母校の山梨学院大学で江原さんにインタビュー。競技生活を振り返るとともに、今後の活動について明かしました。

■思い出は…過酷な「定番メニュー」

江原さんは、8年前のリオ五輪の競泳男子800mリレーで、日本の52年ぶりの表彰台となるメダル獲得に貢献しました。

その力の礎を築いた、山梨学院シドニー記念水泳場(甲府市)を歩けば、思い出が蘇ります。

村上アナ

「大学時代のきつかった練習を思い出す?」

江原さん

「山梨学院の定番メニューで『100m×20本』というのがあった。100mを20本、全力で泳ぐ。走って100mを20本、というのもきついと思う。僕はこの5、6コースをメーンで泳いでいた」

村上アナ

「思いが刻まれたプールですね」

江原さん

「何も変わってない、本当に」

■2016年の快挙 日本代表としての誇り

村上アナ

「今の気持ちは?」

江原さん

「引退して2か月ぐらいたつが、(現役を)終えた後は悔しさもにじみ出てきて、1週間ぐらいは実感がわかなかったが、毎日の練習がなくなったことで『やっと終わったな』という感じがする」

村上アナ

「水泳人生のハイライトは?」江原さん

「一番深く考えるのはリオ五輪の年。日本のトップ4人が集まって世界で戦って、アメリカ・イギリス・オーストラリアなどの強豪と戦い、その中で3番に入れたのは日本人として、日本代表として誇りに感じた。レジェンドたちと一緒に泳げて幸せな時間だった」

■東京五輪”落選”も パリまで泳ぐと決めた

村上アナ

「その後の東京五輪、パリ五輪もずっと目標にして打ち込んできたと思うが…」

江原さん 「2021年の東京五輪は自分がやってきた過程の中に後悔もあった。ランキングや持ちタイムでいくと、代表から外れることはないだろうと思っていたが逃してしまい、すごく悔しかった。悔いが残ったままやめてしまうとまた(競技を)やりたくなってしまうと思い、東京五輪が終わった後にパリ五輪まで目指そう、頑張ろうという気持ちになった。現役ラスト1年間は思い残すことなく終わりたくて山梨学院に帰ってきて、山梨を拠点にして一日一日大切に過ごせたし、思い残すことのない練習ができた。最後に山梨学院と山梨を拠点に生活してこられてよかった」

■「生粋の山梨県人」ふるさとへの思い

江原さんはフィッツ竜王で才能を磨き、地元・甲府市の山梨学院高、山梨学院大に進学。自衛隊体育学校に進み、初の五輪に出場しました。そして、現役生活の終着は山梨に。

村上アナ

「ここまでずっと過ごしてきた山梨への思いも変わったのでは?」

江原さん

「僕は山梨で生まれ育って、高校も大学も山梨でやってきて、生粋の山梨県人。山梨県出身として五輪に出たいと思っていた。五輪に出たときに県民の皆さんに『勇気や感動をもらったよ』『元気をもらったよ』と応援してくださる声がたくさんあって、山梨で育ってきてよかったなと思う。山梨県民としてスポーツで結果を残すことができてうれしい」

■若手育成へ 人生の新たな”レース”

身長172センチの江原さんは、自由形の中距離で「日本史上最軽量」とも呼ばれてきました。世界のトップスイマーに比べて明らかに小柄な体格でしたが、だからこそ人一倍の努力で夢をつかみました。今後の活動については―。

江原さん

「生後10カ月から水泳を始めて、30年間水泳づくしで生活をしてきた。自分がやってきた、人生の全てだった水泳を今後、ジュニアスイマーに伝承したい気持ちがある。見ても分かる通り、体格が大きくない。ほかのスポーツでも体格が劣っているとどこかマイナスになることもあると思うが、『僕のこの体でも世界と渡り合えたよ』と、水泳だけでなくいろんなスポーツでジュニアの選手に伝えていきたい。五輪に出て、海外での練習経験もあるので、そういった知識や経験を山梨の子どもたちに伝えていきたい」

次世代を担う若手選手の育成に携わりたいと話す江原さん。引き続きSWANS(山本光学)に所属しますが、引退から間もない今は実際にプールに入り、トップスイマーのスピードを子どもたちに直接肌で感じてもらいたいとも話しています。貴重な知識と経験は、大勢のジュニアスイマーに還元されるはずです。

(「YBSスポーツ&ニュース 山梨スピリッツ」2024年6月16日放送)

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