斜線堂有紀ら、5人のミステリー作家が「脱出」に挑戦 アンソロジー『ミステリー小説集 脱出』刊行記念トークイベント

「密室」や「怪盗」などミステリーに欠かせない題材には「脱出」も含まれる。閉じ込められた場所からの「脱出」。追い込まれた窮地からの「脱出」。そんな「脱出」という題材を使った小説を、大人気ミステリー作家たちが描き下ろしたアンソロジー『ミステリー小説集 脱出』(中央公論新社)が5月22日に発売。これを記念したトークイベントが6月7日に東京·新宿のブックファースト新宿で開かれ、執筆者の阿津川辰海、井上真偽、空木春宵、織守きょうや、斜線堂有紀が参加してトークを繰り広げた。

会場に集まった熱心なミステリファンの前に姿を現したのは、阿津川辰海、織守きょうや、このアンソロジーの中心となって参加作家に声をかけた斜線堂有紀、空木春宵の4人。井上真偽は和歌山からのリモート参加で、モニターに映し出されたパンダのアバターを通してトークに参加した。

まず、アンソロジーの成り立ちについて言葉が交わされ、斜線堂が「今熱い作家さんを揃えようとリストを作って、頑張って集めたのでよろしくお願いしますと」担当編集に渡したことを話した。それぞれの作家とは対談していたり、別のアンソロジーに一緒に寄稿していたりしたこともあって引き受けてもらえたという。

斜線堂は、冗談混じりに自尊して「私が頼んだから引き受けてもらえた」と語っていたものの、それぞれの作家に持ち味があって、お互いに意識し合っているからこそ呼びかけに応えたところもありそうだ。実際に、収録された5人の作家による5編は、ミステリーとは言いながら随分と趣が異なったものになっている。

例えば、阿津川辰海が寄稿した「屋上からの脱出」は、極めてストレートな「脱出」のストーリーだ。真冬の屋上に閉じ込められた天文部の部員が、どうにかして抜けだそうとする展開の中で、誰がそうした状況を作ったのかといった犯人捜しも行われる。阿津川には、短篇集の『透明人間は密室に潜む』(光文社文庫)に「第13号船室からの脱出」というリアル脱出ゲームを題材にした話があり、「脱出」というテーマで依頼を受けた時も、そのイメージでいろいろと構想したという。

その結果、「すごくベタにミステリーを作ってしまったのが私で、その後に4人の作品を読んでここまで発想を飛ばすんだとおののきました」と阿津川。これについて斜線堂からは、「いていただけて良かった」と、脱出ミステリーに対して一般の人が浮かべる王道のイメージで作品を提供してくれた阿津川の仕事に感謝する言葉が贈られた。

続く織守きょうやは、もともとホラーテイストの作風で知られる作家だけあって、収録された「名とりの森」も伝奇的な雰囲気の短編となっている。立ち入り禁止の森から脱出しようとする少年たちが味わう恐怖が描かれた作品だ。「王道の脱出は、阿津川さんか井上さんがやると思っていました。密室からの脱出も誰かがやるだろうと思って、私はホラー味があるものを書こうと思いました」と織守。「和風も被らないと思ったら、空木さんと被ってしまいましたが、主人公が子供なのでそこは被りませんでした」と説明した。

斜線堂は企画者だが、掲載された「鳥の密室」執筆までにはいろいろと試行錯誤があった模様。「最初に提出したプロットは反故にしました。流刑に遭った人が島から脱出する話を考えていましたが、島の歴史を考えて史料を見ていたら、2日に1回は沈んでいることが分かったんです」。これは脱出をしている場合ではないと考え直し、「読んでいた魔女狩りの史料を使うことにしました」。

こうして生まれた作品は、話題となった『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)のような特殊設定のミステリーではなく、魔女狩りが繰り広げられている世界で、魔女と疑われ捕らえられた女性たちのある企みに触れられる内容となっている。ただ、「百合と黒ばかり書いていると言われるんです」という斜線堂の最近の作風には、しっかり沿ったものとなっていて、読み終えた時に驚きの展開に戦慄できる。

空木春宵は、古風で選び抜かれた言葉による幻想的な作風で知られる作家で、アンソロジーにもそうした言葉遣いによる「罪喰いの巫女」を執筆。単純に逃げ出すだけの「脱出」とは違った展開を読ませてくれる。「最初に5本から6本プロットを出しました。その中でちょっとだけ残虐なのがこの話でした」と空木。読んだ斜線堂は、「カタルシスが大きい作品で、切なくもあって恐ろしくもあります。脱出というテーマからこの作品が来たのが面白かった」と評した。

井上真偽の「サマリア人の血潮」は、奇病が大流行した世界で治療の要になる力を持った少年をめぐるやりとりが描かれたサスペンス的な作品。閉じ込められていた状況からだんだんと見えてくる周囲や世界の状況が戦慄を誘う。「アンディー·ウィアーの『プロジェクト·ヘイル·メアリー』(早川書房)のように、記憶を失って目覚めた主人公が、記憶を取り戻しながら脱出していくのが面白いと思いました」と執筆の動機を話す井上。「自分では結構、残虐をいれたつもりだったのですが、斜線堂さんの前には霞みました」。こう聞くと、斜線堂の「鳥の密室」がどれだけ衝撃的か分かるだろう。

作家同士のトークイベントなので、それぞれの執筆状況も知りたいところ。司会を務めた編集担当から、どのような日課で執筆しているかを聞かれて、阿津川は「こちらに来る前に20枚くらい書いてきました」と答えて、斜線堂から「偉すぎる」と賞賛を浴びていた。織守は「朝は8時に起きてご飯を食べて、お昼ぐらいまで書いて遊びに行かない時は午後も書いておやつを食べてまた書きます。出かける時があっても1日5枚とかは絶対に書くと決めています」と規則正しい執筆状況を披露した。

ユニークだったのが井上で、「自分は場所を変えないと書けなくて、いま和歌山にいるのもそのためです」と、執筆のために旅行までしてセルフ館詰めの状況で自分を追い込む習慣があることを明かした。斜線堂は、「『どうぶつの森』みたいに眠くなったら寝ます。1日1時間くらい頑張って、疲れたら寝るといった感じで暮らしています」とマイペースぶりを話したが、その中身は超充実。「1時間で6000文字くらい書きます」。400時詰めなら15枚だから相当な執筆スピードだ。

空木は、「今日は頑張ったというのが5枚くらい。斜線堂さんとか阿津川さんの仕事ぶりを見ていると、自分もやらないと思います」と神妙だったが、そうした執筆活動を通して生まれてくる言葉遣いが独特で、井上から「1行のコストが凄い」と評されていた。言葉を探して吟味し推敲もして作り出される空木の小説世界に触れたことがある人なら、納得の執筆スピードと言えそうだ。

今回のイベントに合わせて、会場となったブックファースト新宿ではそれぞれの寄稿者が選んだ、他の「脱出」がテーマとなった作品を展示·販売していた。阿津川が選んだ作品は、法月倫太郎の『しらみつぶしの時計』(祥伝社文庫)に収録されている表題作「しらみつぶしの時計」で、「設定が面白くて、最後の瞬間まで論理的に潰していく展開が何回読んでも面白い」とアピールした。

織守は、『地雷グリコ』(KADOKAWA)が本格ミステリー大賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞を次々に受賞した青崎有吾の『11文字の檻 青崎有吾短編集成』(創元推理文庫)に収録されている表題作「11文字の檻」をセレクト。「どうやって推理をするか、どうやって脱出するかといったテーマで無駄がなく面白い」と評した。

斜線堂が選んだのは、ルネ·ベルブノアによる自伝的小説『Dry Guillotine -乾いたギロチン-』(アメージング出版)で、「指名手配犯が逃げ込んだ屋敷にいたのがサイコパスの殺人犯で、肉体的に痛め付けられながらどう脱出するかといった作品」とのこと。聞くからに残酷そうで痛そうだが、「最後にカタルシスがある」という斜線堂の言葉を信じて読むことで、何か得られる感動もありそうだ。

空木は、ミュージシャンの大槻ケンヂによる『ロコ!思うままに』(角川文庫)に収録の表題作「ロコ!思うままに」を挙げた。「お父さんとふたりで暮らしていて、お化け屋敷の中で育てられている子どもの話で、親の呪縛を逃れて外の明るい世界に踏み出していきます」と空木。大槻が所属するバンドの「筋肉少女帯」も好きでライブにも良く行くというだけあって、ミステリーのジャンルとは違うところから作品を見つけてきた。

井上は、サラ·ウォーターズによる『荊の城』(創元推理文庫)を紹介した。「ある富豪の話で、お嬢さまとメイドが出て来て百合ミステリーとして紹介されていたので興味を持ちました。愛憎の中で脱出する部分が面白くてハマります」と井上。百合ミステリーへの関心がある人なら読んでみたくなる紹介になっていた。

このあと、小説以外のジャンルで気になった「脱出」物についての話になり、阿津川からDMM TVでネット配信されている『大脱出』のシリーズが挙がって、「2期の『大脱出2』は、1の成功を受けて作られた完全なミステリー」と評された。斜線堂からは、「狭いチューブに入って放置される」という体験が紹介され、「一生に一度やってみると良いです」と勧められた。

このほか、閉じ込められた部屋に置かれた様々なヒントを解き明かして制限時間内に脱出するゲームなども挙がったが、編集から「自分が脱出したいこと」について聞かれた時は、阿津川が「締め切り以外にありますか?』という返事があり、井上の「脱稿したい」という言葉も含めて作家の逃げたいもものが「締め切り」だと判明して、すぐに終わりとなった。

最後に、それぞれの今後の活動予定が紹介され、阿津川からは、7月26日発売予定で、特殊な力で煽動する殺人犯と警察官が対峙する『バーニング·ダンサー』(KADOKAWA)が刊行されること、WEB別冊文藝春秋で展開されている有栖川有栖デビュー35周年記念トリビュートに寄稿する、『山伏地蔵らの放浪』(創元推理文庫)や『ブラジル蝶の謎』(講談社文庫)をモチーフにした作品が公開されることが話された。

織守も、有栖川有栖トリビュートに参加していることや、江戸時代が舞台となった本格ミステリーの連作短篇集が登場することを予告。斜線堂は、タテ読み漫画サイトのジャンプTOONに原作者として参加し「きみのためのエデン」を提供していることや、アンソロジーへの参加などを話した。

空木は、アンソロジー『屍者の凱旋 異形コレクションLVII』(光文社文庫)への参加を話し、井上は、プログラムのアルゴリズムについて分かりやすく書いた児童書が出ることや、「ぎんなみ商店街の事件簿」シリーズ(小学館)の続編を執筆中であることを紹介して、来場者にそれぞれの活動をアピールした。

(文=タニグチリウイチ)

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