【42年の歴史に幕】特急列車・381系やくも 整備士やJR職員などさまざまな人の思いを乗せたラストラン 定期運行の別れに感謝のメッセージ

【動画】特急列車・381系やくも 整備士やJR職員などさまざまな人の思いを乗せたラストラン 定期運行の別れに感謝のメッセージ

島根県出雲市と岡山県岡山市を結ぶ特急やくも。国鉄時代に導入された旧型の381系車両がラストランを迎えました。各地でイベントが開かれる中、長年やくもに寄り添ったJR社員の思いとはー。

6月15日を最後に定期運行を終了した特急列車・381系やくも。県内外から大勢の鉄道ファンが駆け付け、2日間の日程でラストランを行い、42年の歴史に幕を下ろしました。

福井から訪れた人

「ちょっと感動しました」

広島から訪れた人

「やっぱ寂しいですね。(旧型の)色や形になじんで育ってきた世代なので」

三重から訪れた人

「ラストということでたまたま切符が取れたので。先頭に三角のマークがついていて、あれが国鉄の特急電車の特徴だったので、そういう電車がなくなるのは残念で寂しい」

そして、ラストラン最終日には出雲市にある車両所で特別に「幕回し」が公開されました。会場には、抽選で選ばれたツアー客120人が招かれ、引退したばかりの国鉄色やくもの幕回しを間近で見学しました。ヘッドマークには「しらはま」や「くろしお」など、今はなき381系の列車名が次々と映し出されます。

東京から訪れた人

「最初で最後なので絶対来たいと思って非常に満足ですね。ここに入る機会もなかなかないので」

和歌山から訪れた人

「同じ車両が和歌山でも走ってたので、それが先に引退してこっちでしかなかったので、もう乗れないと思うとちょっと寂しいです。けれど新しいやくもに乗るのを楽しみにしてます」

この様子を会場の端のほうで見守る一人の男性が…。

整備士 阿部喜文さん

「みなさん夢中になって撮っていただいてますので、いい光景だなと思って」

整備士の阿部喜文さん、62歳。阿部さんが入社した2年後の1982年に381系やくもがデビュー。以来42年にわたり、381系やくもの整備に携わってきました。そして、最後の勇姿を見届けた阿部さんはー。

整備士 阿部喜文さん

「ちょっと(胸が)詰まるので、きょうはだめですね。小さい声でありがとうございましたということを伝えたいと思います。ありがとうございます。この前から涙が出てしょうがないんですよ」

381系と共に歩んだ阿部さん。今後は別の車両の整備や修理にあたります。

◇ ◇

一方、JR米子駅の改札口。6月17日朝、特急やくものファンが撮影していたのは、車両ではなく、ホワイトボード。

鉄道ファン

「(定期運行が終了して)悲しいのもありますし、愛がこもってるなっていう感じは伝わりました。ファンからみてもすごく愛は感じるって、皆言ってますね」

5月末から6月15日まで置かれていたこのホワイトボード。特急やくもの旧型車両への感謝状が、イラストで描かれています。

~ホワイトボードに書かれた文字~

「私はあなたと同じ1982年生まれです」

381系車両の定期運行の別れを惜しむあふれんばかりの感謝をつづったメッセージ。17日の午前中に特別に展示されました。書いたのは、JR米子駅の職員で運航管理などを担当する竹原悠花さん。

竹原悠花さん

「40年以上もの間、安全にお客さまを送りとどけていただいた381系のやくもに対して感謝の気持ちを込めて描いております」

実は竹原さん、381系が特急やくもでデビューした1982年の翌年に生まれた40歳。旧型やくもの1学年後輩です。ホワイトボードには、同じ年と書いたのにはある思いがありました。

竹原悠花さん

「わたしの思い出を中心として、ほかの職員の思い出も一緒に思いを込めて感謝状を完成させております」

~竹原さんが書いた特急やくもへのメッセージ~

「はじめてあなたと出会ったのは小学校の修学旅行。車窓から見える景色に同級生と共にわくわくしたのを覚えています。中学生のころは、甲子園を見に夏休みに家族で出かけました。列車にゆられながら両親の子どもの頃や学生時代の思い出、私への思い、いろんな話を聞きました」

小さいころから旅行が好きだった竹原さん、電車などの移動手段をより思い出深いものにしてもらおうと、JR西日本に入社。乗客の安全を20年にわたって守り続けています。

竹原悠花さん

「これからも単なる移動手段としてやくもを利用するのではなく、沿線の皆さまだとか、たくさんのお客さまの思いだとか、未来に希望を運んで走り続けていってほしいと思います」

最後まで大勢の人に愛された「381系やくも」。今後は、繁忙期などに臨時列車として運行される予定です。

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