営業中の札「復興中」に…地震で最愛の妻と娘失った居酒屋店主 移住元の川崎で新たな『わじまんま』を開店

石川から約300キロ離れた神奈川県川崎市に今月10日、一軒の居酒屋がオープンしました。店主は元日の輪島市で最愛の妻と娘を失った男性です。あの地震から5カ月、このタイミングで店を開いた男性の思いを取材しました。

「おめでとうございます」「乾杯」

今月10日、神奈川県川崎市に輪島の酒や食材を使った居酒屋「わじまんま」がオープンしました。

店主の楠健二(くすのきけんじ)さん。楠さんは元日の地震で妻と娘を亡くしました。

地震発生直後の楠さん:
「レスキューが来ないとダメだっていうの。だから(救助を)呼んでくれメディアの力でずっと出してあげられていないきのうから。女房が埋まっているの。由香利」

家族5人、自宅で過ごしていた楠さん。隣のビルが倒壊し自宅は下敷きになりました。妻と長女は身動きが取れず楠さんは助けを求めましたが、救助は間に合わず、2人は目の前で亡くなりました。6年前に川崎から移住し、妻と一緒に自宅の1階に居酒屋「わじまんま」を開きました。子どもたちも手伝う家族経営のにぎやかな店でした。

楠さん:
「おやじっていうのは、家族を守らないといけないじゃん。お金だけじゃなくて、守れなかった。まして娘なんて生きていた。生きていたのに誰も助けられなくて、俺も助けられなくて、そこにいたじゃん。目をつぶると鮮明に思い出す。その状況が。」

地震の後、楠さんは1カ月以上に渡ってがれきの中から家族との思い出の品を探していました。

楠さん:
「これ娘の成人式の写真。去年前撮りした時の。ひけめを引いている。だから全員死ぬか、全員生きるかにしてほしかったどっちかっていったら。だったらこんな苦労することないなんで俺が生かされたのかわからない、今の今まで。」

地震で家を失った楠さんはかつて家族と暮らしていた川崎に戻りました。

楠さん:
「ふぐの卵巣」
Q これも輪島から?
「全部輪島、ぬかさばとかある」

店で扱う食材や酒の多くは輪島から取り寄せました。

Q 5カ月じゃないですか。最初にお店川崎でされるって聞いて早いなって
「早いでしょ。だってキャベツ買うのと一緒でここ決めたもん。収入がないと無情にも支払いだけがどんどんくる。誰もまってくれないの支払いって。だからもう、働くしかないじゃん。とにかく、この店はうちの女房も娘も知らない場所じゃん、ここに入るとなんとなく作業できる。輪島のわじまんまに行ったときはいろんな探しものしたけど思い出しかないじゃん、あいつらのそうするとどよんってなる。1月1日になる。気持ちが。」

メニューの表紙に描かれているのは楠さんと妻のイラストです。オープンは輪島の店を開いた日と同じ、6月10日にしました。

楠さん:
「やるなら輪島のわじまんまをそのままこっちに持ってきたかった。将来的にも、最終的には輪島には戻りたいなと思っている。気持ちの中では。それは女房と約束した。何年かしたあとにまた輪島に戻れればいいかなって」

Q いよいよオープン
楠さん:
「そうですね、うれしいか悲しいかわからないけどオープンだね。」

「いらっしゃいませ」

オープンと同時に多くの人が店内に。店はすぐに満席になりました。

客:
「それはどこから仕入れる?」
楠さん:
「全部能登、魚も何も全部能登。珠洲の蛸島っていうところが(漁を)再開している宇出津も再開している」
客:
「食べて飲んで応援したい。能登の味が川崎の地元で食べられるっていうのはうれしい」
楠さん:
「久々に忙しい思いをした商売としてはいいスタート商売としてはね」

今は離れていても輪島への思いは変わりません。

楠さん:
「やっぱり本店は輪島に作らないといけねえじゃん最後は戻ろうと本当に思ったきょう改めて思った。いろんなこと起きるじゃん店開けていたら楽しいことも、たまにはお客さんに怒られるかもしんねえけどそれはそれで何ページもめくって(重ねて?)いい加減厚い本になったらそのころに輪島に戻れるのかな。かっこいいこと言ったね散々、カメラ向けられているからあの日から。変に慣れている。最後は輪島に」

妻と交わした 約束を果たせるように。

楠さん:
「これ支度中じゃん営業するときは復興中にしている。言っても俺が復興中だからね俺自体が。これ作ってん、営業中は面白くないなって」

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