『アンメット』“ミヤビ”杉咲花の手術に横たわる困難 脳の前頭葉が示す失われない絆

『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)第10話のタイトルは「あなたが灯してくれた光」。前話ラストで、ミヤビ(杉咲花)は「三瓶先生は私のことを灯してくれました」と言って三瓶(若葉竜也)を抱きしめた。その直後、目の前にいる三瓶が誰かわからなくなってしまうショッキングなシーンが続いた。ミヤビの症状は一過性健忘だったが、潜在的な不安を呼び覚ますことになった。

第10話の患者は絵描きの柏木周作(加藤雅也)。認知症患者が描いたポートレイトは、顔の輪郭がぼやけて目鼻や表情が欠け、抽象画のように見えることが知られている。認知機能の喪失を説明するものとして引用される肖像画に『アンメット』は新たな角度から光を当てた。

河原で倒れた柏木は脳腫瘍を患っていた。可能な治療は全て施したものの余命は長くて半年。成増(野呂佳代)やミヤビのポートレイトを描いた柏木は、腫瘍から出血が見つかり、記憶障害が進行していた。ライバルへの嫉妬心をむき出しにするなど感情の制御が難しくなり、妻の芳美(赤間麻里子)が呼びかけても反応しないことが増えた。

ミヤビの記憶障害は、交通事故で海馬動脈が損傷して血流不足になったことに起因する。脳梗塞が完成すれば命にかかわり、治すには血管の上流と下流を遮断してつなぐしかない。大迫(井浦新)によると、血管は脳内の手術不可能な部位「ノーマンズランド」にあり、0.5mm以下の極小な範囲を手術できる医者は世界でも一握りしかいない。しかも、側副血行のないミヤビの場合、通常20分の手術時間が2分に限られる。事実上、手術は不可能だった。

ミヤビが手術をしない意向を示したのは「成功率の低い手術にかけるよりも、最後まで医者として患者さんを診たい」が表向きの理由だが、三瓶のためでもあった。「もしも失敗したら、三瓶先生は自分を責めてしまう」。必死に縫合の練習をする三瓶をミヤビは案じていた。

各話のエピソードに登場する患者の疾患と、ミヤビが記憶障害から回復する過程はリンクしている。第10話はそのことが鮮明に表われていた。意識が混濁した柏木は芳美のことがわからない。それでも「感情は最後まで残るはず」と三瓶は語る。亡くなった成増のパートナーの思い出から、自己と他者を区別する前頭葉の内側前頭前野について言及し、大切な人のことを自分のことのように感じる脳の働きを示した。

手術を望まないミヤビの考えは、記憶を失うことの恐怖が根底にあった。記憶障害の発作は頻度が増し、「私は何をいつまで覚えていられるのか」とミヤビは自問自答する。大切な人も、交わした言葉も、一緒に過ごした日々も全てなくして、最後は何も残らないとしたら。暗闇に取り残され、三瓶もいなくなって、光が消えた世界で自分はどうなるのかと。

ミヤビを勇気づけたのは柏木と芳美だった。看護師がいくら呼びかけても食事を摂らない柏木は、芳美が差し出したスプーンからなら食べることができた。「心が覚えている」は、今作のキーフレーズ「強い感情は忘れない」に通じる。絵のモデルになったことがきっかけで夫婦になった柏木と芳美の関係は、記憶をなくしても失われなかった。

半分に分けたあんパンとドーナツは「二人で一つ」を暗示し、寄り添う二人の象徴でもある。柏木の内側前頭前野は、芳美をかけがえのない存在として知覚していたのではないか。無表情で涙を流す夫と彼を抱きしめる妻。加藤雅也と赤間麻里子は夫婦の絆を全身全霊で表現した。

恒例となったカフェのシーン。抹茶パウダーの在庫を一方的に消費する店員2(今泉力哉)をおそれてミヤビに買い物を頼んだのに、三瓶の顔を見た瞬間、ミヤビは三瓶の抹茶パウダー好き(完全な誤解)を思い出し、それが記憶喚起のきっかけになる。サプライズ出演さえ台本に取り込む遊び心と柔軟性が、ドラマに奥行きを与えていると言えそうだ。

(文=石河コウヘイ)

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