『違国日記』新垣結衣は想像以上に“高代槙生”だった 説明セリフを削ぎ落とした演出の妙

〈ほどけないエコーが身体中を駆け巡る この手に宿るもの全ては私だけが知る宝物〉

新垣結衣と早瀬憩がW主演を務める映画『違国日記』。元チャットモンチーの橋本絵莉子が書き下ろした劇中歌「あさのうた」を、朝(早瀬憩)が文化祭で歌唱するシーンで映画館が一瞬にして“コンコース”に変わった。ある人は袖で涙を拭っている。また、ある人はニコニコと微笑んだ。私はその涙のわけも、笑顔のわけも知らない。朝の歌、あるいは、この映画の受け取り方は人それぞれで、その人だけの宝物だ。本当の意味で分かち合うことはできないのだろう。寂しい。けれど、この寂しさは私たちが共に生きていく上で必要なものだと思えた。

本作は、女性コミック誌『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて連載が開始され、惜しまれつつも2023年6月に完結したヤマシタトモコの同名漫画を映像化したもの。人見知りの少女小説家・高代槙生(新垣結衣)が、交通事故で亡くなった姉夫婦の遺児・朝を引き取るところから始まる物語だ。全11巻の原作では、15歳の朝が高校3年生になるまでの日々に加えて、過去と未来が描かれた。その全てを2時間19分という時間に収めるとまではいかないまでも、メガホンを取った瀬田なつき監督は物語の主題に迫る場面を織り込みつつ、朝の中学卒業から夏頃までの数カ月を現在進行形で映し出していく。

朝を演じるのは、オーディションによって選ばれた新人俳優の早瀬憩。『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)にて、本作にも槙生の友人・奈々役で出演している夏帆扮する“なっち”の中学時代を演じ、現在放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』の主要人物・山田よね(土居志央梨)の少女時代を演じたことでも話題を集める早瀬は稀有な才能の持ち主で、劇中で槙生が語る“柔らかな年頃”を瑞々しい演技で見事に体現している。他者からの呼びかけに対し、ときに声にもならない声が漏れ出ることがあり、それが朝の心許ない感じや幼さをよく表していた。

好奇心が旺盛で、躊躇いもなく人の心に侵入していける。そのピュアさが人によっては鋭利な刃物となり、安易に近づけばズタズタに引き裂かれてしまいそうな年頃の女の子を勢いで引き取ってしまった槙生。印象的だったのは、朝の母で、槙生の姉・実里(中村優子)について2人が語る場面だ。「私はあなたの母親が心底嫌いだった」と忌憚なく述べる槙生に、原作の朝は理由を聞くに留まるが、映画では「お母さんを好きになってほしい」とその意見を覆そうとする。

“必ず来る、新しくて美しいもの”という意味を朝という名前に込めた実里。槙生にとっては散々自分を踏みにじってきた相手でも、朝にとっては道を照らしてくれるかけがえのない存在だった。だからこその、好きになってほしい、ひいては悲しみを分かち合いたいという朝の切実な訴えを槙生は「私の感情は私だけのもので、あなたの感情もあなただけのもの。分かち合うことはできない」と跳ね返す。だが、群れからはぐれた子狼のように母親の面影を探す朝を槙生は決して放ってはおかない。姉への憎しみはそのままに、母について語ることでその死を受け入れていく朝に寄り添う。新垣は想像以上に、槙生だった。不器用で、繊細で、完成された大人ではないけれど、孤独も愛する器がある。強いて言えば新垣の槙生はより温かみがあり、彼女の朝に対する感情を単純な“母性”に落とし込むことなく、短くも濃い時間の中で一から作ったオーダーメイドの愛情として見せた。

また、本作は回想シーンがないのが特徴だ。そのため、槙生と友人である奈々や元恋人・笠町(瀬戸康史)の過去についても描かれていないが、説明セリフではなくその距離感や会話の調子で想像させていく。太陽のような明るさで物語を照らす奈々、物腰が柔らかく包容力のある笠町、そして後見監督人として槙生と朝の生活を見守る、これまた少し不器用そうな弁護士の塔野(染谷将太)。わずかな登場ながらも朝を取り巻く大人たちはいずれも魅力的で、3人の想像の余力を残す名演は鑑賞者を原作に誘導するのに一役買ったのではないだろうか。

一方で、朝の友人・えみり(小宮山莉渚)のあるカミングアウトや医学部入試不正問題をモチーフに女性であるがゆえに不当な扱いを受ける千世(伊礼姫奈)の訴えなど、さまざまな要素を盛り込みながら、映画は冒頭で述べた朝の歌唱シーンに向かっていく。少し恥ずかしそうに、だけどみんなの心に何らかの反響をもたらそうとする朝の歌声に耳を傾ける高校生たちを見て、どうか彼ら彼女らが先の未来で踏みにじられることがないようにと願った。そのためにも、この胸に残る寂しさは必要なのだろう。私たちは一人ひとり別の人間で、絶対に分かり合うことはできない。無理に分かり合おうとして誰かを踏みにじらないように、孤独を胸に抱き、そして愛せるようになりたい。
(文=苫とり子)

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