「何をするのも特別」南極に派遣された鹿児島の料理人が報告会 極地で経験した“かけがえのない時間”

鹿児島・鹿屋市で小料理店を営んでいた男性が店を休み、南極の昭和基地に“料理人”として派遣された。1年余りの活動を終えて帰国した男性は、現地での「かけがえのない時間」について地元の人たちに報告し、店の再開に向け忙しい日々を送っている。

日本では“絶対経験できない”場所

鹿屋市の中心部にある創作和食の小料理店。

店主は南極に派遣されていた中川潤さん(41)だ。「ずっと休んでいたのでやることがたくさんあり、なかなか終わらない。正直まだ先は見えないが、そろそろ再開したい」と、1人で切り盛りしていた店の再開に向け準備に忙しい毎日だ。

なぜ中川さんは2年にわたって休業してまで南極を訪れようと思ったのか?

中川さんは、「普通の人では行くのが難しい所へ行ってみたい」と2度目の挑戦で試験に合格し、南極で様々な観測を行う昭和基地の“料理人”になる夢をかなえた。

2022年11月から2024年3月まで、第64次南極地域観測隊の調理担当として、昭和基地に派遣された中川さんは、食事の時間を楽しんでもらうため、観測の最前線に立つ隊員たちのモチベーションが上がる献立を心がけたと話す。

南極での日々を「一言で言うなら、『かけがえのない時間』ですね。何をするのも特別みたいな。日本では絶対に経験できないことのできる場所だと思っています」と振り返った。

カンパチに鳥刺し 鹿児島の味も好評

1年以上にもおよぶ任務を終えて帰国した中川さんの南極での貴重な体験談を聞こうと、6月、鹿屋市で報告会が開かれた。

「調理隊員では2人でした。交代のシフト制で料理を作っていた」と話す中川さん。現地で撮影された映像には、手際よく天ぷらを揚げる中川さんの姿があった。背後に大きな冷蔵庫があり、棚には多くの皿が。まるでレストランの厨房のような風景で「普通に昭和基地の中で料理をしている。これだけ見ると南極か日本か分からないと思う」と説明していた。

28人の隊員の食事と予備もあわせ、昭和基地に持ち込んだ1年分の食材はなんと40トン。その中にはカンパチの照り焼きや鳥刺し、さつまあげなど鹿児島の味も。どれも好評だったそうだ。

また、南極ならではの大自然が織りなす美しい光景も紹介。特に参加者が興味津々となったのは、オーロラだ。

上空一杯に広がり、色と形を変えながら波打つ光のページェント。自身が撮影したオーロラは画面越しでも見飽きることがない迫力と美しさ。中川さんによると「この時は(気温が)マイナス20℃くらいだった」ということで、「1時間いるとすごく寒いが、どんどんオーロラがきれいになり、なかなか(撮影を)やめるタイミングが見当たらなかった。これは、すごくきれいだった」と振り返った。

ほかにも「氷点下の寒さには慣れる?」「ペンギンは間近で見られる?」といった数々の質問にも、中川さんは1つ1つ丁寧に答えていた。

参加者は「生の声を聞いて『すごくいろいろな体験をしたのだな』と、私も一緒に行ったような気分になり楽しかった」「自分たちは観光でも行けない南極へ行かれて、『うらやましい』の一言だった」と感動したようすだった。

家族との時間も大切に…

報告会の翌日。再開に向けた準備を進める店の中で、中川さんが取材班に見せてくれたものがある。

南極大陸の形をした鍋敷きだ。南極派遣の記念として、同期の建築隊員が作ってくれたという。同じようなものは、昭和基地でも使っていたと聞いた。

中川さんは「『南極に行った人』という認識でお客さんが来られると思うので、南極らしいところが店にあってもいいので『あっ、これね』と話のネタにもなる」と、店の新たなシンボルとしての役割に期待していた。

何事にも好奇心旺盛な中川さん。南極での活動を終えて次の挑戦は…と言いたいところだが、新たな挑戦探しはいったんお休み。今は南極にいる間、寂しい思いをさせていた家族との時間を大切にしつつ、2024年7月の小料理店再開を目指す。

はるか南極の地で美しさに感動し、厳しさにもまれながらも隊員たちを笑顔にした料理が、今度は鹿屋の人たちにきっと大きな笑顔をもたらすことだろう。

(鹿児島テレビ)

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