“網干のランドマーク” 旧銀行の歴史的建造物は「地域の大切なものをつむぐ」一つの形 兵庫・姫路

(写真提供:旧網干銀行湊倶楽部)

なつかしい日本の姿を思い出させてくれる古きよき建物が多く存在するエリア、兵庫県姫路市網干(あぼし)地区。姫路市南西部にあるそのまちのシンボルとなっているのが「旧網干銀行本店」です。竣工から100年以上の時を刻む建物で、現在はレストランとして活用されています。地域の財産であるこの建物はどのように育まれ、そして生まれ変わったのでしょうか。このたび、地元・姫路の魅力を伝えるラジオ番組で紹介されました。

【写真】旧網干銀行湊倶楽部のようす

網干地区は、国宝姫路城を擁する同市中心部とは異なる雰囲気を持つ港町です。同番組でパーソナリティーを務める姫路市の清元秀泰市長は、同地区について「今も寺社仏閣や昔の日本を感じさせる趣のある邸宅が多く、また、それらがとてもきれいに保存されているため、少しまちを歩くだけで昭和や大正時代にタイムスリップしたような気分になれる」といいます。

そんな網干地区にある歴史的建造物の一つが、旧網干銀行本店です。現在は「旧網干銀行湊倶楽部」という名のレストランとして親しまれています。

山陽電車の山陽網干駅から徒歩約10分のところにあるこのレトロな建物は、1922(大正11)年に竣工。レンガと木造で組み上げた構造に、円形の玄関まわりと、ドーム屋根を特徴としています。その名の通り、もともとは銀行でしたが、2019(令和元)年にレストランとして再生。従来の建物の魅力はそのままに、今もまちの人々が集い愛される場所として活用されています。

網干はもともと交易が盛んで、物の売買がよく行われる場所。つまり、出資者の貴重な財産を守る堅固な鉄壁となる銀行が必要であったことから、当時は木造建築が多いなか、レンガ造りの旧網干銀行が建てられました。今でいう最先端ビルのようなもので、「まさに網干のランドマークでもあったのでは」と清元市長はいいます。

その貴重な財産である建物を失わないために、今のレストランの形にしたのが、鵜鷹司(うたか・つかさ)さん。旧網干銀行湊倶楽部のオーナーです。

このたびラジオ番組にゲスト出演した鵜鷹さんは、建物の出会いについて、「SNSでたまたまこの建物が売りに出ているのを見つけたこと」だと明かします。

建物を実際に見に行き、そのときに「この建物を残さなければ。それができるのは自分しかいない」と使命感に駆られた、鵜鷹さん。最初は建物をどうするか全く考えていなかったそうですが、知人の話も参考にしつつ、最終的に「網干の歴史や特産品に触れながら人が集まる場所にするなら、ゆっくり食事を楽しめるレストランがいいだろう」ということで、今の形に至ります。

ただし、100年以上の歴史がある建物は経年劣化が激しい部分もあり修復が必要でした。そこで鵜鷹さんは、まず元の銀行としての様相に戻すことを決断します。

経年劣化で土壁や漆喰(しっくい)がはげ落ちてしまいレンガがむき出しになっている部分は、隠すのではなく、あえて見せる形にすることで、建物が持つ歴史を感じさせるとともに、建物そのものの魅力を味わえるような工夫が施されました。

内装は、金庫など、もともとは銀行であったことがわかる部分を数多くしつらえ、そのうえでレストランとしての要素を取り入れるためアンティークショップで調度品を収集。それらの努力も奏功し、今ではレストランを楽しみに来る人はもちろん、建物そのものを建築的資料として興味を示す見学客が遠方からも訪れるようになったそうです。

「地域の大切なものをつむぐ、その一つの形が、この旧網干銀行湊倶楽部」と述べる鵜鷹さんは、「こうした古い建物や古民家再生が盛んに行われることで、網干地区では若い人が起業し活動拠点にするといったことが増えている」とまちの現状を前向きにとらえます。そのうえで、「どこか1つのスポットというよりも、ゆったりと街並みを歩いて、『あっ!?』と思うものを見つけて欲しい」と、網干地区への来訪を呼びかけていました。

旧網干銀行湊倶楽部について「食事をしながら大正ロマンを感じることができる。こうした形で残してもらえることは非常にありがたいこと」とコメントした清元市長。“歴史と文化の街”網干については、「ぜひ行ったことがない人も歩いてみて欲しい」と笑顔で語っていました。(西真莉恵)

※ラジオ関西『ヒメトピ558』より
※「旧網干銀行湊倶楽部」公式サイトより一部引用

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