「忘れつつあるんです…」17年前のベストセラー『ホームレス中学生』を田村裕が回顧

「家が無くなった」という衝撃的なフレーズから幕を開ける『ホームレス中学生』(小社刊)。中学生時代の田村少年は、ある日、住む家を無くし、近所の公園で生活を始める。ダンボールで飢えをしのぎ、ハトのエサであるパンくずを拾い集めた少年時代。

たったこれだけ文章でも、その生活の壮絶さが伝わってくるが、これはフィクションではなく、ノンフィクション。お笑いコンビ、麒麟の田村裕が27歳の頃に綴った一冊の物語だ。2007年に発売され、 発行部数225万部を突破。社会現象とまでなった。

それから17年、コンビ格差を自虐するほどの現状となった麒麟。田村自身は『ホームレス中学生』を振り返ってどう思っているのだろうか。ニュースクランチ編集部が聞いた。

▲田村裕(麒麟)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

売れているのが信じられずに本屋をハシゴ

田村は中学生当時のことを今でも覚えているのだろうか。衝撃的な家族の解散のシーンは、今もなお鮮明に記憶に刻まれているのか。それを最初に聞いてみたかった。

「じつは忘れつつあるんですよ。映画で見た印象の強いシーンが勝っていたり、自分の視覚で見てないものを見た気になっていたり。全ての記憶が混同してて、おじいちゃんがちょっとボケはじめている、みたいな感じなんです(笑)。客観視しすぎちゃっているのかもしれない」

『ホームレス中学生』は映画化・ドラマ化もされている大ヒット作だ。自身が経験したことが役者に演じられ、スクリーンに映し出されるというのは、なかなか経験できることではない。しかし、本作はそれほどまでに人気を博した。田村が紡ぐ“せつなおもしろい”貧乏物語を大衆がキャッチしたのだ。当時、田村はその人気が信じられず、本屋をハシゴしたという。

「“すごく売れています!”と電話をもらったときは、本当に信じられない気持ち。だから、自分で本屋に行って確かめようと思ったんです。そしたら、どこ探してもないわけですよ。“なんやねん! 嘘つきやがって、どこにも売ってへんやん!”って。

そんな気持ちになっていたけど、4軒目、五反田の本屋さんに立ち寄ったときに勇気を出して“この本、ありますか?”と店員さんに聞いたら“入荷したらすぐに売り切れて、今は絶対に手に入らないですよ”って言われて。本当だったんだと実感しました。

“僕、作者なんですけど、よければサインを書きましょうか?”と続けて店員さんに言うと、“だから、その本がないんですよ!”と言われてしまいました(笑)。確かにそうやなって」

色紙にサインでもよかったのでは? と店員にツッコミを入れたくなったが、当時のフィーバーぶりを実感できるエピソードだ。そんな『ホームレス中学生』が描きおろしを加えて、新装版として今年7月に発売される。17年ぶりにこの本と向き合い、執筆をしていたのだろうか。話を聞くと田村らしい返答が返ってきた。

「時間がなかったので、新エピソードを書くために読み直すことはしなかったですね。全く時間がなかった。すみません。でも、やる気がなかったわけではありません。当時、初めての執筆だったので、お腹がいっぱいになるほど読みましたから。

何度も何度も、細かい表現や気になることはないかと読み返して。僕は本を書いた経験がないし、もともと字を書くこともしてこなかったから、たった1行でも気になってしまったら、何日も筆が止まったりもして。だから今回、読み返すことはなかったです」

飄々と答える田村の様子に、自然とこちらも笑みがこぼれてしまう。本作には新エピソードが追加されるが、どのように生まれたのか。きっとこれまでの物語を踏まえて凝縮されたエピソードなのだろう。しかし、彼の返答はこれまた“らしい”答えだった。

「担当編集の方に書けと言われたから…(笑)。とは言いつつ、このエピソードは“追加できますか?”と言われたときに最初に浮かんだ話だったんですよ。

やっぱり、前回の発売から時間が経って、特に僕の場合はとても幼かった。周りの27歳よりも対人、対外に対する経験値も成熟度も低かったなと思うんです。そこから大人になって子どもを育て、いろんなことをやって、相方の川島くんとこれだけ格差がついて(笑)。

いろんなことを考えたときに、あの頃の気持ちにはなられへんなと。追加で書くと言っても、別人が書いている感覚でした。だから、最初はあの頃の自分の文章に合わせたいと思いながらも、それが難しくて。結局、今の自分のままで書きました」

相方・川島にはマネージャーを通してオファー

発売から17年。あの頃の気持ちになれないのは、きっと彼が良い歳の取り方をしているからだろう。ただ、読者として感じるのは、田村の変わらない優しさと人間性、人となりが前面に出ていること。最初に『ホームレス中学生』を読んだときと変わらない、感情を抱いた。

「読解力のある方には、そう言っていただけますね。読んでない人からは、いまだにゴーストライターがおるんやろって言われます。読んだ人には田村だなとわかっていただける文章力なのかな? たどたどしいというか。今作もパッと読んだ方には、あの頃のままやなと、成長してないなって思われるかもしれない」

そんな大ヒット作の新装版の帯は、相方・川島明のコメントが寄せられている。

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初めて読んだ時より笑った。
初めて読んだ時よりちょっと泣いた。
田村、やっぱりこれめちゃくちゃええ本やな
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ラブレターのようでもあり、互いが互いを信頼しているからこそ紡ぎ出された言葉。この川島の秀逸な帯は、田村の希望により実現したという。

「いろんな案が出たなかで、最終的に川島にお願いしたいと僕が決めました。ただ、川島の心境もわからないし、僕が頼むと断りづらいと思って、マネージャーを通してオファーしました。やっぱりプレッシャーじゃないですか、オファーを受ける川島にとってみても。でもOKしてくれて、本当にありがたかったですし、本当に素晴らしいコメントを寄せてくれました」

続けて、田村は『ホームレス中学生』が発売されるもっと前の話をしてくれた。

「じつは、ワニブックスさんからオファーをもらう全然前、まだ僕たちが大阪で活動をしているときに、僕がエピソードを喋って川島が文を書いてください、というオファーが来ていたんですよ。『人志松本のすべらない話』で話すもっと前の話ですけど、それは、川島が“田村に失礼やから”と断ってくれたんです。でも、この帯を見るとやっぱり川島が書いたほうがよかったかなと思いますよね(笑)」

一時的にお金持ちになれたし身の丈にあった人生

川島とのエピソードが出たところで、これまでの芸人人生について聞いた。

「身の丈にあった人生です。お金持ちになりたい、女の子にモテたい、人気者になりたい、お母さんのことを世に広めたい、お父さんを見つけたい。大きな目標を掲げて、この世界に入って、川島くんと出会い、頑張ってきました。

結局、平均にしたら大したことないけど、お金持ちになりたいは一時的には叶ったし、モテたいも叶ってはいないけど、奥さんと出会うことができた。お母さんのことも“素晴らしいお母さんですね”とたくさんの人に言っていただけたし、お父さんも見つけることができたし、人気者にもなれた。お笑いやりたいと思って掲げたことは、これまで全て叶ってるんです。

もっとお金は欲しかったし、もっとモテたかったし、もっと人気者になりたかった。でも、身の丈にあっているなと。実際、もっとお金があれば、それに溺れていたと思うし、調子に乗って嫌味なヤツになっていたと思う。モテたとしても、その体験が忘れられず、週刊誌にしっかり撮られて、身を滅ぼして、せっかくできた奥さんの存在を逃していたでしょうね。

自分の人気を考えても、身の丈にあってると思ったときに、“ええ人生やな”と思ったんです。それこそ中学生の頃は“世の中にこんなに不幸な人間がおるんか! しんどすぎるやろ!”と思う日々でしたけど、平たく見たら身の丈にあっている。

一つひとつ楽しいし、幸せだし、ないものはたくさんあるけど、あるものもすごく多い。だから楽しい人生やなと思います。なんかこんなことを話すと、もう死んでいくみたいですけど(笑)」

凄まじい経験をしながらも、幸せを手に入れることができた田村。ひとつ気になったのは、彼の子育て術。田村は今どのように子どもと接しているのだろうか。

「人とはズレているかもしれないですね。あんまり頑張ってないというか、いや頑張ってはいるけど責任は感じてない。何かあっても“勝手に生きや”って思ってるんで。すごく気楽に向き合っています。

放任とまではいかないけど、最終的には知らんでという無責任感はある。だから、“あそこまでいろいろ言っておいて、最終的には責任を持たなかったな”って、子どもが大きくなってから思うかもしれないです。“気をつけろ”と言うわりには最終的には好きにしいやって感じだから。

でも僕自身、子育てが楽しいし、こんなに難しすぎるものもないですよね。世の中にはいろんな趣味があると思うけど、子育てなんか最高の趣味ですよね。愛情があればハマり続けますから一番楽しい遊びです!」

▲子育てに関しての持論を熱く語ってくれた

そんな田村が子育てで大事にしていること、それは壁にぶつかったときはプロに聞くということ。親は子どもの意思を尊重しながら、サポートをしてあげていくことで伸びる。これは田村が大好きなバスケットボールの現場でも感じることだと言う。

「この春からバスケットスクールを合計10校、運営することになるんですけど、そこで感じていることは、子どもより親がめちゃくちゃ熱を入れている家庭って、子どもが育ちにくいんですよ。放任しているところのほうが伸びます。一番いいのは放任して、サポートをしっかりすること。

そして、プロに任せるのが一番伸びる。プロの方は教え方も違うし、壁にぶつかったこともあるから、説得力があるんです。もちろん、親は補助輪をつけてあげないといけないとは思うし、そこは意識しないといけないんで難しいんですけどね。ただ、親の熱量は低いほうがいい。“ガワ”を整えてあげることを意識したほうがいいんです。

まだ芸人としては死んでいない

なるほどと思う田村の子育て術。バスケの現場から学ぶことも多いようだが、バスケ芸人として確固たる地位に上り詰めた田村が、そのバスケを生業にしたキッカケとは?

「単純に僕がバスケがしたかった(笑)。だから、まずは奥さんを説得しないといけないというところから全てが始まった感じです。自分が体を動かしてバスケをすることで、撮影で活躍できる、言葉に説得力、バスケの解説に説得力が出てくる、全てが仕事につながるからと。

だからこそ、そのために動き続けてるほうがいいんだ! そう奥さんに納得し続けてもらうために、バスケの仕事でなんとしてもお金を生なきゃいけなかったんですよ。ただバスケして遊んでるだけやったら、“お笑いの仕事せえや!”になっちゃうから。後輩との出会いがあって、そこから最終的にスクールにたどり着いたんです」

現在は、YouTubeチャンネル『麒麟田村のバスケでバババーン!』や、TOKYO DIMEという3x3バスケットチームの共同オーナーなど、「週8でバスケをしている」というのが嘘ではないくらいバスケ漬けの毎日を送る田村。

「バスケの魅力は、誰もが活躍する可能性のあるスポーツだということです。誰もが点を取れる可能性があって、それこそ上手い人のなかに素人が入ったって、ボールがリングにさえ届いて、お膳立てしてもらえれば、点を取れる可能性がある。

バスケにはスポーツの醍醐味が全て詰まっていると思うんです。速さで目立つこともあるし、テクニックの見応え、パワーのすごみとか。ゴール下なんて格闘技並みにやり合いをしてますしね。コートが狭い分だけ、とっさの判断と戦術理解度という、バスケIQというところの見栄えも面白い。バスケファンのなかには、戦術を理解しながら楽しんでいる方も多くいらっしゃいます。

あとは会場の小ささ。経営という面で考えると、他のプロスポーツと比べて、お客さんを多く入れられないのはデメリットでもありますけど、それだけ選手との距離が近い。選手やコーチの声が聴こえる、選手の汗やボールが飛んでくるかもしれない、このハラハラたるや、とんでもない魅力です」

最後に、今後の目標について聞いた。

「このまま終わるのはイヤだから、もう少し、この人も芸人なんだなと思ってもらえるように、世の中に発信したいなと思って生きています。この前は、麒麟でもトークライブをやって、ネタも披露しました。

今も、お笑い番組を見てストレートには笑えないので、まだ芸人としては死んでいないなって。この気持ちがあるかぎりは、まだまだ芸人として戦えているのかなと思っています」

(取材:笹谷 淳介)


▲『新装版ホームレス中学生』は7月19日発売!

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