学校の先生が「学校の先生が抱える課題を解決しよう」と立ち上がると起業してしまう?:株式会社エデュポルテ 宮崎麻世さん,有馬友美さん

福岡大学商学部・飛田先生の新連載!"福岡新風景:経営者と語る福岡の魅力"では、福岡へ新たに根を下ろした経営者たちの生の声をお届けします。さまざまな背景を持つ経営者がなぜ福岡を選び、どのように彼らのビジョンと地域の特性が融合しているのか、また福岡がもつ独特の文化、生活環境、ビジネスの機会はどのように彼らの経営戦略や人生観に影響を与えているのかについて、飛田先生が、深い洞察と共に彼らの物語を丁寧に紐解きます。福岡の新しい風景を、経営者たちの視点から一緒に探究していきましょう。福岡へのIターン、Uターン、移住を考えている方々、ビジネスリーダー、また地域の魅力に興味を持つすべての読者に、新たな視点や発見となりますように。

※この記事は、Podcastでもお楽しみいただけます。

小学校の先生の勤務実態に見る教育界の重要な課題

飛田 このインタビューは,「福岡新風景」と題してこれまで毎月1回,経営者にお話を伺ってきました。今回はもしかしたら初めて女性がゲスト。しかも,お2人にお越しいただきました。それでは,自己紹介お願いします。

写真左から宮崎麻世さん,有馬友美さん

宮崎 はい。こんにちは!エデュポルテ株式会社の宮崎と申します。学校や先生たちを支援するという教育のオープンイノベーション事業を行っている会社になります。

有馬 私も同じくエデュポルテの有馬と申します。宜しくお願いします。

飛田 エデュポルテという会社はまだできたばっかりだと伺ったのですが。

宮崎 はい。昨年2023年の12月に創業いたしました。

飛田 今,小学校の先生方の支援というお話がありましたけれども,もう少し詳しくその事業の内容について伺ってよろしいですか?

宮崎 私は福岡市内の小学校で教員として15年間勤めました。その中で学校現場の課題というのを目の当たりにしてきました。

やっぱりどうにか解決したいと内部でもいろいろとチャレンジしていたのですが、この時代の変革の速さに追いつけないなというところもありました。

そんな思いもあって,昨年春に思い切って起業しまして,外から先生たちや学校を支援することや,それが福岡そして日本全体の教育に貢献できるかなと思い、起業したところです。事業としては先生たちが学校と社会を繋げる企画を考えてプロデュースしたり,あと研修やコミュニティ作りを行っています。

飛田 私の娘も小学校2年生で毎日楽しそうに通学しているので「よかったな」とは思っているんですが,よく報道でも小学校に限らず、学校の先生の過重労働っていう話はいろんなところで聞きます。そこで「宮崎先生」でいらっしゃった頃はどれくらい忙しかったのかなっていうのを教えて頂けますか?

宮崎 そうですね。やっぱり慣れるまでがすごく大変で、教師になって、まずもう3年とかもう本当に周りが見えないぐらいバタバタしている状況ですね。

3年ぐらい経つと一つ、一通り仕事がわかってくるので調整が効くようにはなってくるんですよね。

教師の仕事って際限がないので多分飛田先生もそうだと思うんですけれども,もう土日も飛び回って「いい!」と思ったらやってしまうところとか,もっと納得する授業とか,子どもたちにもっと良い授業をって思うと教材研究に土日も出かけたりとか,それらを楽しんでやってったのできついという感覚はなかったんですけども,周りを見渡すとすごくきつい思いをされている先生もいらっしゃったりなんか、かなり個人主義みたいなところがあるので、もう少し仕組みとして整えられないかなと思っていました。

飛田 そもそも先生方って朝何時頃から登校されているんですか。

宮崎 大体6時ぐらいから学校は開いています。下手したらもう追い詰められている人は,4時とかからいる人もいたり…。6時台に先生がいない学校はないって言ってもいいぐらいです。朝仕事をしたい派の人がもう6時台には学校にいます。

飛田 会社でもそうですね。早い人はいますよね。それで,8時半ぐらいから授業が始まるんですか?

宮崎 8時20分始業とか25分始業の学校もあったりします。台風とかで1時間遅れるだけで優雅な朝を過ごすこともあるんですけど,アクシデントが起きていたりもするので…。1時間遅れて登校ってなると,その1時間で先生との対話も生まれたりとか,ゆっくり準備ができたりとか,9時から始まればいいのにねって言ったりもしていましたけど…。

飛田 それに小学校の先生ってさまざまな科目の授業をやるわけじゃないですか。僕ら大学だと1日1コマとか2コマとかで,しかも自分の専門的な内容を喋れば良いから。

宮崎 そうですよね。国語,算数,理科,社会、家庭科,体育、図工,道徳,音楽,外国語,総合的な学習,特別活動…。プログラミング、あと何だろう、アントレプレナーとかですね…。

飛田 今数えていただいただけでも12-13ありますね。たまに音楽とか、図工のような専門科目の先生もおられるから,必ずしも担任の先生が全部教えるという訳では無いにせよ、全部教えるんですよね(笑)

宮崎 はい。全部教えていましたね。専科の先生が入られているときがあるんですけど、人が足りなくなっていくんですよ。年度当初にはいても産休,育休,病気,いろいろな理由でお休みに入られる先生方がおられるのですが,補充が来ないので結果全部教えるみたいなことがよくあります。

飛田 でも準備するのも大変ですよね?

宮崎 そうなんですよ。だから全てが頭に入ってはいるんですが,毎年学年が変わるので、6年生を教えたと思ったら,次に1年生に教えると全く違う学習になってしまうんですよね。

飛田 ですよね。僕らはずっと18歳から22歳を教えているからまだいいですけど…。

宮崎 はい。

飛田 小学生だと成長もするし。同じように学年が上がっていくならいいでしょうけど,下がるとなると大変でしょうね。

宮崎 そうなんです。例えば,1年生だと「あ」を1時間かけて教えることがあります。書き方だったり,文字の成り立ちだったり。それをどうデザインして教えるか。結構楽しいのですが,なかなか難しいです。

飛田 大学って専門を教えるから難しいとかって言いますけど、逆に事前の前提知識があるから「これはこういうもんだよ」って教えられるなと。けど,小学校で教えるって基礎概念だからめちゃめちゃ難しくないですか?

宮崎 そうなんですよ。

飛田 「1+1」を教えるだけでも,それはとても難しいですよね?

宮崎 そうなんです。非常に大事で,もうそれをやっぱりもう「1+1は2だよ」って教えちゃうと何も残らないので「1+1とはこういうことなんだ」ということを教えるのに試行錯誤をしています。

飛田 そうですか。本当に大変だと思います。僕ももっと頑張らないといけません。私も小学生の娘を持つ立場として,小学校,中学校,高校の先生たちはとてもご苦労されているというか,すごいなと思いながら見ているのですが,午前中は4時間,給食を食べて,掃除して、午後も1時間とか2時間授業をやって。

宮崎 そうですね。授業が終わるのは3時50分とかほぼ4時前なんですよ。それで,退勤まで残り時間50分ぐらいしかなくて…。

飛田 退勤は5時なんですね。

宮崎 ですね。8時20分始業だったら4時50分で終業なので,もう残り1時間で(児童や生徒に)「さようなら」してから1時間ぐらいしかないんです。

飛田 こういうことを大きい声では言えないのかもしれないんですけど,実際にはやっぱその後も残られているわけですよね?

宮崎 そうですね。残っています。例えば,今日筆箱が壊れた子(の保護者)に(電話して)、はい、次に壊した方に電話。その仲介役をしてとかの対応もあります。その上で明日の6時間の準備、今日6時間やったノートの丸つけ,チェック,成績付けをして,さらに来週の時間割作りに…。

飛田 そうそう。それもびっくりして。(神奈川県出身の)僕のときって小学校って基本的に時間割が決まっていたと思うんですけど、今は毎週変わりますよね。

宮崎 変わりますね。

飛田 あれも毎週先生方の調整をしながら作るわけですか?

宮崎 そうです。全部計算して、国語は今何時間やっているから残り何時間でどこまで進めてっていうのを全て学年で打ち合わせて…。

飛田 そうした打ち合わせを授業終了後の50分でやることになっているという。

宮崎 そうです。

飛田 そんなの無理ですよね?(笑)

宮崎 無理なんですよ。無理だけどやれちゃっているんです。先生たちは本当スーパーマンだと思います。

飛田 そうした準備も含めて退勤されるのって何時ぐらいになるんですか?

宮崎 これも本当に人によって異なります。遅い人は遅いんです。学校の文化で遅いのが美徳みたいになってしまうと、どんどん残っちゃうという事実もあります。それでも今は働き方改革が進んできたので、結構早いです。「ブラック,ブラック」って言われているんですけど、意外と5時半とかには帰っています。

飛田 でも朝派の人は6時に来られているんですよね(笑)。

宮崎 そうですね。逆に夜派という人もいますよね。それこそ,私も7年前ぐらいとかは結構2時とかまで平気で残っていました。

飛田 それは午前ですよね?(笑)

宮崎 はい。いや,下手したら朝5時に帰って7時に出勤しているみたいなこともありました。これは今では笑い話ですけど,そのときはみんな一生懸命になっちゃっていたんですね。今となればそれはあまりよろしくはないってわかるんですけど、そのときは熱中しているような状態でしたね。

飛田 先日ゼミで講演を頂いたときに、我々(大学教員)は裁量労働で残業代はないけれども,その分手当である程度カバーされている部分があるんですけれど、小学校の先生はちょっと給与体系が違うっていう話もありましたね。

宮崎 はい。そうですね。給特法(注:公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)という法律があって,教員は調整額4%をつけるから残業という概念はありませんよということになっています。だから,労働基準監督局も入らなくて勤務管理が全然できてない状態だったと思います。それが今の時代に合ってないとか,ワークライフバランスと言われ始めているので,管理職の先生が「もう帰ろう」って促しているっていう状況があります。

飛田 でも,実際の勤務時間に対して払われている給料を計算する,つまり時給換算すると結構えらいことになっているということですか?

宮崎 そうですね。月1万とか,その程度の残業代がようやくつくという状態なんですね。早く帰れるようになったと言っても,毎日2時間ぐらいは皆さん前か後かにやっているんじゃないかなと思うので,全然違うと思います。

飛田 週5日,たまに土曜授業があったりするので割り算すると本当に…。

宮崎 はい。

飛田 お金の面で言うと割が合わないっていう言い方を先生に言っちゃうと良くないかもしれないですが、恐らく一般の方々(教職以外の方)は「さまざまな職業選択の中で学校の先生やっているんでしょ?」って捉えられてしまう。と同時に,やりがいがある仕事だからやってしまうみたいなところがあると思うんですけど…。

宮崎 そうなんですよ。当時を振り返ると,一番は授業作りが楽しかったんです。こんなふうにしたらどういう反応するかなとか,研究し始めたら面白くなっちゃうので。

例えば,川ひとつとって見ても今までは何も思わなかったのが,改めて地理として見てみるとこういう秘密があったのかっていうのは小学生の教科書でも結構学びが深いんですよね。だんだん面白くなって,子どもたちとどんなことを考えるかなっていうのが1時間の授業だけじゃなくて,単元としてデザインしていく。そのためには前準備も必要になっていきます。研究授業とか,本気でやる授業は相当な時間をかけて作って,(先輩の先生に)ご指導いただいて,さらに練り直してって際限なくやっていました。

教科書って実は最低限なんですよね。だから教科書通りにやれば最低限は流れるんですけど。日本の教育レベルが高いのは,実は教科書のレベルが高いからなんですよね。 一方で,「教科書さえやっておけばいいや」っていう考えも若干あるのもあって、面白くない授業になってしまっているものもあるというのは事実として感じます。

でも,そうなると学校が楽しくないと児童が感じるかもしれません。友達関係は楽しいってなっても、ほとんどの時間が授業ですから,授業が楽しくないと学校は楽しくないんですよね。そこを担保しようと思うと勤務時間だけでは入らないし、6教科全部そんなに力を注げない,身を削ってやるんじゃなくて諦めて教科書を追いかけるというのもあるかもしれないですね…。

飛田 悩みどころですね。

宮崎 やりすぎるとちょっときついし、でもやっぱ教科書だけじゃ面白くないしっていうところですごく悩んでいるんじゃないかなと思います。

先生,ついに起業する

飛田 とは言え,そうやって教えたり,子どもたちの成長を見るのが楽しかった宮崎先生が、一念発起して起業をされました。そもそも起業をしようと思った動機やきっかけって何かあるんですか。

宮崎 そうですね。教師になった頃まで遡ると,1年目がうまくいかなくて辛かった。自分が辛いだけならまだしも、子どもたちに申し訳なくて、本当にやるせない思いが募っていました。それが根源にあります。

その後は頑張ってだんだん力をつけて,27歳のときには学年主任をしたりと運営する側にもあったんですけど,やっぱり同じ思いをする若手の先生がいらっしゃる。自分が学年主任としても手が回る範囲だったらいくらでも助けられるんですけど、他の学年って言いにくかったり,教室も離れているし,自分も授業をしているわけなので,関わりたくても関われないというようなことがあったんですよね。

教師として,担任として,自分が子どもたちに提供できるものはもちろん一生懸命やっているんですけども,隣のクラスはどうなっているんだっていうところに目を向けたときに,授業を離れてそっちにずっと助けに行くわけにもいかない。

それでも覗いたりとかしていたんですけど、そんなことを繰り返しているうちに「先生たちを元気にしたいな」とか、「先生たちの支援が要るな」って思ったときに管理職になるってのもひとつの手かなと思ったりもしました。けど,管理職になっても自分の学年や学校っていう単位でしか関われないんですよね。

隣の学校の初任の先生が泣いているって言っても,なかなか助けに行けないな。そういう縛りなく,「自分が助けたいな」と思ったし,「誰か助けて」って思っている先生に手を差し伸べる場があったらいいなと自分が思って,一念発起して起業しました。

飛田 学校って割と蛸壺化しやすいですよね。どうしてもクラスとか学年とか学校でそれぞれカルチャーも違うし,やり方も違うし,先生の専門性も違うみたいなところがあるなかで,根底のところでは支援するインフラみたいなのがなかなかないということですよね。

宮崎 ないですね。窓口がないんですよ。互助会とか,福利厚生からチラシが来て、メンタルヘルスはここで相談を受け付けますとか、弁護士相談ありますってあるんですけど、遠かったりして足が向かない。学校で何かあれば保護者から直で私たちなので、ご意見があったときに全部直でかかってくるので…。

飛田 もう先生たちが何から何まで全部やらなきゃいけない。

宮崎 そうですね。私が就職した頃とか,お金の管理までしていましたよね。月謝袋に教材費を集めて,中も全部分けて確認して。そういう先生たちが置かれている状況をいつか支援しなきゃいけないっていうことで会社を立ち上げてしまいました(笑)。

飛田 それが2023年の春。

宮崎 はい。

飛田 ということは,創業されて1年3ヶ月ぐらい。どんな感じですか?正直なところ。

宮崎 そうですね,一番は楽しいです。思いっきり自分の目指していた世界を作ろうと, 直接自分の手で届けることができるので。困っている先生の全部を網羅はできてないですけど、困っている方と繋がったりとか、何かこういうのあったらいいのにっていうのをすぐに具現化できるのですごく楽しいですね。

飛田 そこを一歩一歩積み重ねてっていうのは素晴らしいですね。そうして立ち上げた会社,エデュポルテは福岡市で非常に注目されているスタートアップのひとつになっているそうで。先日も高島市長と会われたと伺いましたが。

宮崎 そうなんです。福岡市のソーシャルスタートアップっていうものに認定して頂きまして,社会課題を解決する企業として認定されました。特典としては,福岡市に納められたふるさと納税で支援を頂けるというような制度を活用できることになりました。

飛田 どうですか?そういうものに指定されたり、ビジネスプランコンテストでも受賞されましたよね?

宮崎 福岡県の「よかとこビジネスプランコンテスト」でビジネスモデル賞を頂きました。教師しかしなかった私がビジネスモデル賞を頂けるなんてっていうのがすごい嬉しかったんですよね。

飛田 福岡のいいところは一歩踏み出して頑張ろうって人を応援しようという空気があることですよね。そういう賞を取られて周りの反応とか、状況が変わったり、何か感じますか。

宮崎 賞を取ったからどうのこうのっていうより,審査会とかを通じて出会った方々が応援してくださったりとか、その後も関わりができることが嬉しいです。

例えば,福岡市とも繋がりができたり,一緒に認定された方々と一緒に頑張ろうってなったりとか、そういう繋がりが生まれていくというか,応援してもらえているなっていうのはすごく感じています。でも,賞を取るまではすごく頑張ったし,取った時もめっちゃ嬉しいんですけど、浸っている暇もないので…。

高校の同級生が時間を経てビジネスパートナーに

飛田 さて,もう少し宮崎先生から宮崎少女だった頃の話をお伺いしたいんですけど,学校の先生になりたいなって思ったきっかけは何があったんですか?

宮崎 小学校1年生のときの担任の先生が良かった。先生が好きで、なんかいいな,小学校の先生っていいなって何となく思っていました。

それで親に「なりたい」って言ったら、私の母が公務員になって欲しかったみたいで。さらに5-6年の先生が思いを深めるきっかけになりました。

その先生は自主性を尊重してくれた先生だったんです。起業してから気づいたんですけど、私が今起業しちゃっているのは,多分あのときの体験だっていうのがあるんですよ。

5-6年生のクラスは自分たちでいろいろ提案して,何のためにそれやるのかっていうのをちゃんと企画書に起こして「やりたい」ってなればやっていいよっていうようなクラス運営だったんですよね。

外で給食を食べようとか、カラオケ大会をしようとか、みんなでいっぱい企画してどんどんやっていたんです。そのクラスが好きで、多分あのときにいっぱい企画していたのが今の企画力の原点みたいな。あれ楽しかったなっていうか,やっぱ自分たちで作っていくのが楽しいっていう体験をしてきたなと,起業した後にふと気づきました。

飛田 そのあと,中学校,高校,大学と進学しても小学校の先生になるんだと一心不乱だったんですか?

宮崎 そうなんですよ。20歳ぐらいでふと気づいたんです。もしかしてお母さんが言ってきたからじゃないかなと。それでも教育には関心がありましたし,教育のことを考えていると,一番面白いし,追求したいなっていう気持ちもあって。せっかくここまで来たし,まずはなってみようっていうのがありました。

飛田 はい。さて、15歳の春ですかね。高校1年生になって剣道少女だった宮崎さんはある出会いをします。それがもう1人のゲストである有馬さんです。有馬さんにお尋ねしましょう。宮崎さんを最初に見たときの第一印象って覚えていますか?

有馬 第一印象というか,剣道部でものすごく印象的な出来事はあるんですけど…。

宮崎 あんまり言わないでー。

有馬 剣道部が当時プレイヤーは7人いたんですけれども、一番剣道に熱のある人だったなと。剣道研究とかも本当にやっていましたよね。

飛田 ちなみにお2人の出身校は福岡を代表するF高校でしたよね。

2人 はい。

有馬 今もなお何か企画とかを考えるときに,彼女はすごくすごく考えていくんですけど,そういうところの根底があの剣道に対する熱さ,研究している姿とか,今も被るな,あのときから来ているのかなみたいな感じはしますね。

飛田 ちなみに有馬さんの第一印象は?

宮崎 剣道してる人って結構小学校からやってる人が多いんですよ。うちなんかは両親もやっていて剣道一家みたいな感じなんですけど,彼女のように高校からやる人って本気の人が多いんです。そんな中でも有馬さんは『るろうに剣心』に憧れて(笑)。

有馬 それが違うんだけど(笑)。全然違うよね(笑)。

飛田 お2人とも有段者なんですよね。

2人 私(宮崎)が4段で,私(有馬)が2段で…。

有馬 力関係がここに(笑)。

飛田 で,有馬さんは同級生が創業されたエデュポルテに参画されるまで,実は福岡市役所職員だったということなんですけども,これまでどんなキャリアを歩んでこられたんですか?

有馬 そうですね。大学時代ぐらいからお話しさせていただくと,私は広告代理店とか,編集とかの仕事にすごく興味があって、最初はフリーペーパーの会社に1年もいなかったんですけど,在職しておりました。

そのあと人生どうしようかなと思いながら,勉強すれば市役所職員になれるよねと思って、福岡市役所に入庁しました。

市役所の仕事は9時5時の仕事をしていた時もあれば、だんだん面白い仕事を任せて頂けるようになって時間関係なく働くような部署に配属されていたこともありました。

その中でスタートアップ支援とかの公民連携の取り組みであったり,実証実験のサポートであったり,スタートアップや「これから福岡変えてやるぜ!」くらいの勢いのあるような人をサポートする仕事をすることが多かったです。

そういう中で頑張るスタートアップとかを見ていると、何かサポートするだけじゃなくて,自分でも何かやれないかな,なんかないかなみたいなことを思っていたときに、宮崎さんがなんか面白いことやってんじゃんということに気がついて…。

飛田 なるほど。市役所職員でスタートアップ支援をやりながら、同級生がスタートアップを立ち上げたぞと。何か面白そうなことやっているじゃんみたいな感じだったんですね。

有馬 はい。ちょうどいい人がいるなと(笑)。

飛田 有馬さんは今エデュポルテに参画をされているわけですが、「市役所職員の立場を捨てて、スタートアップに行くなんて」って普通は言われてしまいそうなところ、実は福岡市には創業特区であることを活かして,公務員,福岡市職員にも特例があるんですよね?

有馬 そうなんです。福岡市が国家戦略特区に指定されていることで公務員の退職特例という制度ができました。ざっくり言うと3年以内なら戻ってこられるみたいよという制度ができまして。その制度を使って,戻ってこないでいいぐらいに頑張ってこいと福岡市役所の先輩上司から送り出して頂きました。そんなこんなで今はもう戻らないかもな,戻らないんじゃないかなみたいな気持ちで頑張っています。

元市役所職員が語る,「ポップに起業できる」福岡市の起業施策の長所

飛田 今,ジョインしてひと月。どうですか?すごいざっくりした質問ですけど(笑)。

有馬 働き方が全然変わって,さっき宮崎が言ったみたいに何でも自分たちがやりたいことを決めていけるみたいなところにはすごく面白さを感じますね。市役所だったら何かひとつのことを決めるのにいろんなところに調整して,いろんなところに配慮して,いろんな決裁を踏まえた上で決めるっていう感じでした。しかし,今は宮崎と「これやろう」みたいな感じでアイディアがどんどんどんどん変わっていくんですけれども、決めていけるのは面白いなと。

飛田 宮崎さんはどちらかっていうとバーっとブルドーザーのように進んでいく印象がありますが,有馬さんはうまくブレーキを踏みながら,行き過ぎないようにみたいな感じを印象として受けます。2人の関係性はそんな感じなんですか?

宮崎 そうなのかな。(有馬さんに)よく怒られています(笑)。

有馬 私はつい止めすぎたりとか,細かいことを言ったりとかしちゃうので。でも役割分担をしておくのは…。

宮崎 戦略の有馬と行動の宮崎なので、はい(笑)。

飛田 なるほど。

宮崎 頭がいいんですよ,有馬さん。これは高校時代から剣道部で一番頭いいってみんな思っていて。何だろう、なんか天才的なところがあって。有馬さん,今まともな感じに見せていますけど、結構変人なところもあります。市役所のかっちりした人っていうイメージを持たれていると思いますけど(笑)。

飛田 今,スタートアップとその市役所の働き方が違うっていう話だったんですけど,市役所ではスタートアップ支援を主にされていたということなので,ここで福岡で起業とか創業したいと思われている方に福岡市のスタートアップ支援の特徴がいくつかありましたら、ちょっとご紹介頂いてよろしいですか。

有馬 特徴ですね。やっぱり一番はもう皆さんかなりご存知頂いているかと思いますが,Fukuoka Growth Nextを中心とした起業創業の裾野を広げるところから,(成長という)高さを目指すところまで切れ目ない支援を行っているところが特徴になるかなと。

飛田 市役所職員当時はまさにこういう感じで多分いろんな人と話をしていたんだなって感じました(笑)。

有馬 そこで私がやっていたのは特にグローバルのところだったのですが,福岡から海外を目指すスタートアップの方々に海外でのイベント出展であったり,ビジネスマッチングの機会を作るようなことをやっていたり、去年とかは経済産業省と連携して海外で実際に学びましょうみたいな研修に同行したりしていました。

飛田 多分Fukuoka Growth Next,わたしたちはFGNと呼んでいますが、廃校になる小学校の跡地を活用してスタートアップ支援をやりましょうと出来上がったんですよね。僕ちょっと正確に把握してないからあれなんですけど、結構な数の企業が入っていますよね。FGNっていうそのシンボル的な存在ができて、やっぱりそれまで起業っていうのは特別な人がやるものだみたいなに思われていたのが、今や割と当たり前になったっていう感じありますよね。

有馬 はい。FGNがもちろんそうなんですが,その中にあるスタートアップカフェで親身に話を聞いてくれる環境とかも良かったのかなと思います。宮崎もスタートアップカフェに起業前からかなり相談に行ったって話は友人としてずっと聞いていたので。

宮崎 そうなんですよ。めちゃくちゃありがたくて。毎週行っていました。

飛田 また相談して、一定のプロセスを経ると創業支援で創業にかかる資金の一部が免除されたりするんですよね。創業に至るまでの相談が全部無料でできるというのがなかなかないと思います。

しかも,市の職員が創業支援しているんじゃなくて,市からいろんな専門家に来て頂いており豪華なラインナップです。

ここに来れば誰にでも相談できるってなかなかできないことじゃないかなと。福岡市はポップにやっているので結構入りやすいだろうなと。

起業するとか新しいことにチャレンジするっていうと,どうしても保守的に計画を細かく練ってお金は大丈夫なのかみたいな話をしていく中で、割と福岡市がこれだけ起業の街として注目された大きな理由っていうのは,やっぱりポップに起業を捉えられるようになった市長の政策というのは感じられますね。

有馬 そうですね。感じますね。行政だけがやるっていう感じになると皆さんは壁を感じちゃうと思うんですけれども,スタートアップ支援を始めたときから地域のコミュニティの方々やスタートアップを実際されている方々と市長とが手を繋いで一緒にやりましょうっていう形をしっかり作ってきたのが大きいのかなと思っています。

飛田 また,伺った話では有馬さんは創業支援というよりもむしろ,海外進出支援が主たる担当だったということで,福岡市はフィンランドのヘルシンキとMOUを締結しています。そのヘルシンキで開催されているイベント,SLUSHに福岡のスタートアップが参加してはいるものの、福岡って言っても世界的に見れば、まだまだもっと名前を知られなきゃいけないと思います。そういう世界的なイベントに参加していくことで、海外の人たちってどんな反応をしているんですか。

有馬 特にSLUSHは,しっかり継続的に福岡市を前面に出した大きめのブースとかを出していて,少しずつではあるんですけれども「日本の福岡市ね」と印象づけてきて良かったなとは行ったときに感じました。フィンランドの方々って日本人にわりかし気質が強い感じで,恥ずかしがり屋さんな感じもあったりとか。

飛田 SLUSHには当然市として出ていくだけではなくて、スタートアップが何社か出ていかれたと思うんですけど、そのスタートアップの経営者の反応だったりとか、それを海外の人はどういうふうに見ているか,反応で何か感じられたこととかありますか。

有馬 そうですね。去年は結局4社,5社が一緒にそのブースに出展してピッチイベントとかもしているんですけれども、ピッチの中で海外の方から直接お話をとか,そこで商談が生まれて引き続きお話ししましょうか,みたいなのが具体的に生まれてきたとは聞いています。

飛田 そうなると、そういうまだまだ一般的には知られてないスタートアップもあれば,徐々に名前が広がってきているようなスタートアップもある中で、施策として10年近くやってきたその成果っていうのは、だんだん芽を開きつつある。

有馬 そうですね。私は2回グローバルの部署に行ったんですけど、1回目って海外に行きたい人を探すのがすごく大変だったんですけど、今は募集すると皆さん手を挙げてくださるし,実際に海外で活躍できるだろうな,ここはすごいなってそれだけの力と自力とを持ってらっしゃるなっていう会社の数が圧倒的に増えてきたなと。

最後に:福岡で起業する,働くことで感じる街の強み

飛田 ということで,話が尽きないのですが,そろそろ紙幅もあるので最後に福岡で働く,起業するということを2人が今どのように感じておられるのかをお聞かせください。

有馬 そうですね。(市役所から)外に出てみて感じるのが福岡の人の繋がりの深さとか、優しさをすごく感じています。もう市役所職員じゃなくなって、不安があったんですけど,いろんなところでいろんな方にこんなことできるかもねとか,一緒にしましょうかとか言っていただいて、縁の強さ、ありがたいなという、いい街だなって改めて思っています。

飛田 どうですか,宮崎さん。

宮崎 そうですね,私も同じなんですけど,本当に全部繋がっている感じっていうのがあります。

教育界と経済界を比べたときに、意外と経済界の方が優しいと思っていて、学校って「社会に出たら厳しいぞ」みたいな、なんかよくわからないこと,「一生懸命なだけでは通用しないからね」みたいなことを私も言っていたんだと思うし、なんか知らないからそういうもんだと思っていたんですけど、すごい助けてもらえるんですよ。

すごいラッキーなのかわからないですけど,本当に皆さんが応援してくださったり,優しくしてくださったり,本当に繋がった人からまた別の人に繋がったりして。そういう出会いとかご縁が本当に大事だなというか、温かい繋がりの中で頑張る活力を得てそして社会に貢献できていくみたいな循環を今頂いていると思うので、すごくありがたく活動させて頂いています。

飛田 距離が近いだけにこちらの行動もガラス張りだから怖いなって思うときがあるんですけどでも,教育界,特に小学校の先生方が持つ課題に切り込んでいかれるということですし,私も教職という職業に携わっているので,ぜひ今後もご活躍を祈念します。本当に今日はありがとうございました。

2人 どうもありがとうございました!

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