「パラと健常に壁はない」パリパラリンピック卓球最年少代表・舟山真弘選手 初の大舞台へ

パリパラリンピック卓球の最年少代表、19歳の舟山真弘(早稲田大学2年)。
卓球をこよなく愛するサウスポーが初めての大舞台に立つ。

4歳の時、利き腕の右上腕骨骨肉腫を手術

すっかり五輪の注目競技となった卓球。
今回のパリ大会でも「打倒中国」を旗印にして男女個人、団体、そして東京大会で金メダルを獲得したミックスダブルスとすべての種目でメダルが期待されている。

パラリンピックは、五輪に続き8月28日〜9月8日(現地時間)まで、12日間にわたり開催される。
22競技・549種目が実施予定で、卓球競技は男女11クラスに分かれている。
卓球代表最年少の19歳、早稲田大学2年の舟山真弘は、健常者に最も近い「クラス10」で初めての大舞台に臨む。
4月1日にパラリンピック日本代表が確定したが、その道程は舟山選手にとってはジェットコースターのような日々だった。

舟山真弘選手:
去年(2023年)の3月、パラリンピックの選考レースが始まった時点では上位とのポイント差が200ポイント近く離れていました。それを今年(2024年)3月、最終的には8ポイント差まで縮めることができました。1年間に出場した国際試合は15試合、15カ国です。月1回は海外遠征という生活でした。自分の中では、この1年間はすごかったなぁと。遠征ごとに、勝ったり負けたり、負けたり勝ったり。パリに行けそう、やっぱダメか、を繰り返して。選考レースの緊張感とプレッシャーの中で試合をできたのは本当に良い経験だったと思います。

4歳の時、利き腕の右上腕骨骨肉腫を患った。
小児がんの一種だった。

舟山真弘選手:
サッカーもバスケットも好きだったんですけれど、手術をした右腕が細くて、骨がもろくて接触プレーのある競技は難しいかなと。でも卓球と出会って、人生が180度、コロッと変わりました。やっぱスポーツ、勝負ごとの世界は好きでした。小学5年から卓球を始めてまだ8年目。卓球は練習も楽しい。ほかの部員は小さいころから卓球をやっていて、嫌気が差すときとかあるようです。自分は本当に卓球、楽しいですね(笑)。

舟山は卓球をする際、右腕を装具で右脇に固定して左腕でラケットを握っている。
攻撃的なサウスポーとして、高校時代インターハイに出場。
早稲田大学に進学し関東学生リーグ戦にも出場している。
リオ・東京と、パラリンピックに出場した岩渕幸洋を目標にしてきた。

舟山真弘選手:
パラリンピック選考レースはポイント制なので、負けたらマイナスポイント、勝ったらプラスだと、試合前に無意識に計算してしまう。格上には強気に行けるけれど、ランクが下の選手には消極的になってしまった。遠征は実費参加なので、試合ごとに何十万円もかかるので、費用とポイントを計算し結果を求めて、それがプレッシャーになったときもありました。

舟山のパーソナルコーチ・伊藤誠さんは、早稲田大学、シチズン時計で監督を務め、2021年東京パラリンピックでは特命アドバイザーだった。

舟山選手パーソナルコーチ・伊藤誠さん:
彼は、ものすごく練習をするんです。去年1年間の休みを聞いたら、飛行機移動の時だと。これではやりすぎです。ビデオを見たり、ストレッチをするのも練習だよと。彼は卓球を始めた時期がほかの選手よりも遅いと感じている。追いつこうとしている。そしてパラの大会のみならず、大学のリーグ戦などでも戦いたい。何に関しても積極的で物おじしない。

「まなざしが1人だけ違った」実演デモの相手に指名

2月、福島・南相馬市で開かれた浮舟杯。
大会前日の講習会で舟山を初めて見た。
東北・関東の社会人・大学・高校・中学・小学・幼稚園児まで、約400人が一堂に会して行われた講習会。
講師は東京富士大学の西村卓二監督だった。
約400人が1台の卓球台を囲む中で行われた実演デモンストレーション。
西村監督は急きょ、舟山を相手に指名した。

東京富士大学・西村卓二監督:
講演をしていて、まなざしが1人だけ違ったんですよ。小学生・中学生など400人ぐらいいたけど、あいつの目がね、話をする私を真っすぐ見返してくる。それで実演の時、指名したら右腕に装具をつけ始めた。急なことだったのに、うれしそうに喜々としてラケットを持って駆けてきた。そこで初めて気がつきました。うわさでは聞いていたが、彼が早稲田の舟山かと。

卓球界きっての熱血漢と舟山の“熱いデモンストレーション”は、予定の時間を超えて行われた。
選考レースでプレッシャーを抱えながら海外を転戦する舟山にとって、貴重な体験だったという。

舟山真弘選手:
人前に出ることは嫌いではないです。久々に卓球の奥行きを感じました。年齢とか体格とか関係なくできるのは卓球の良さですよね。この1年間、パラの大会にたくさん出てもそこは変わらず、そう思っています。健常の学生の大会にも積極的に出場して勝ちたいです。

コーチ「予定よりちょっと早くなった」

パリパラリンピック卓球クラス10の出場権は14枠。
各大陸・地域王者5人、世界ランキングから6人、最終予選、招待など3人。
舟山はオセアニア王者が欠場し、世界ランキング枠で繰り上がり、出場権を得た。

舟山選手パーソナルコーチ・伊藤誠さん:
当初の私たちの目標は2028年のロサンゼルスだった。今回はギリギリで出場権を獲得できた。思いがけず予定よりちょっと早くなった。だからパリでは、思い切って自分の力を出し切ること、そこに全力を注いでほしい。結果は、後からついてくるはずです。

3年前、テレビで見ていたパラリンピック。
舟山は夢を現実に変えた。

舟山真弘選手:
卓球は2日目から試合があるので、たぶん開会式には行けないですね。ただ閉会式の前日に試合が終わるので、閉会式は楽しみにしています。

パラリンピックの源流は1948年の座位アーチェリー大会

1948年、イギリス・ロンドンにあった脊髄損傷した軍人の治療施設だったストーク・マンデビル病院で、ルードヴィヒ・ビッグマン博士がリハビリテーションの一環として始めた座位のアーチェリー大会がパラリンピックの源流となった。
ストーク・マンデビル大会と名づけられ、大会は2年に1回開催された。

1962年、日本は吉田勝也と伊藤工の2選手を初めて派遣。

吉田は、水泳と卓球の2種目に出場し銅メダルを獲得した。
障がい者スポーツの世界大会で日本初めてのメダリストとなった。

そして1964年東京パラリンピックでは、日本初の金メダリストが誕生した。
記念すべき第1号は卓球競技からだった。
男子ダブルスで猪狩靖典・渡部藤男のペアが世界一となったのだ。

右腕を手術し、うつむきかけた少年の人生を180度変えた卓球とは。

舟山真弘選手:
卓球の魅力は、ボールの回転とスピード、ラケットとラバーとフォーム、すべてがそろって良いボールが出たときの気持ちよさです。これはすごい。イメージした通り打てたときの手への振動、あの感覚はすごいですね。

2021年東京パラリンピック日本選手団の旗手は卓球選手だった。
舟山が目標にしてきた早大卓球部の先輩でもある岩渕幸洋が務めた。
パリパラリンピック開催の時、舟山は20歳、早大卓球部は100周年を迎える。

舟山真弘選手:
パラと健常に壁はない、卓球という競技には全部が包含されている。

目を輝かせて“卓球愛”を真っすぐに語る舟山真弘。
パラリンピックの次世代の旗手へ、そのまなざしは無限の可能性にあふれている。

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