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<前編のあらすじ>
朱美(52歳)は足腰の悪い実母の静枝(79歳)のために、週3ペースで実家へ通い介護をしていた。最近の静枝は物忘れも多く、実家は老朽化し周囲には坂道も多いので心配だった。
息子が独り立ちして家を出たので、自分たちの家で一緒に暮らさないかと提案したが、静枝は頑として家を出たくないという。そのくせにハッキリとした理由は言わなかった。
朱美は家を取り壊して土地も静枝が存命のうちに売ってしまったほうがいいだろうと考えていた。何度か説得を試みるが、静枝はイヤだの一点張りでまともな会話にもならない。そんな中、 うっかり「取り壊す」という言葉が出たことで静枝は激高し、「私は1人で生活をするよ。今までだってそうしてきたんだから」と、心を閉ざしてしまう……。
●前編:同居を拒む実母…通い介護の負担を抱える50代の娘が母に放った「親子でも言ってはいけない」一言
それでも介護のために実家へ通う
朱美は家に帰り、その日起こったことを功平に相談した。
「そうなんだ。あのお義母(かあ)さんが怒るなんて、ちょっと信じられないな……」
「うん、私もびっくりしちゃった」
朱美はエプロンを脱いで、ダイニングチェアに腰かける。功平はコーヒーで唇を湿らせた。
「そうなると、説得は難しそうだね。やっぱり、あの家に愛着があるんだよ」
「うん、でも……」
それでも朱美は諦めるつもりはなかった。
実家に愛着があるのは朱美も同じだ。喜んであの家や土地を手放そうと言ってるわけではない。静枝のことが何よりも大切だから、同居を提案しているのだ。
厳しい表情の朱美に功平は笑いかける。
「あんまり強引に話をしても、よけいにこじれるだけだと思うよ。少し様子を見るっていうのはどう?」
「……そうね。これでけんかなんてしたら、本末転倒だしね。しばらくはこの話はしないようにするわ」
朱美はそれからも今まで通り介護のために実家へ足を運んだ。静枝の様子が思いのほかいつも通りであることにほっとしたが、同時にあの日の会話をなかったことにしようとする強い意志が感じられて、それはそれで2人のあいだにできてしまった大きな溝を突きつけられるようだった。
「じゃあ、お母さん、今日は掃除をしていくから」
昼ご飯を一緒に食べた後、朱美はそう提案した。
「あら、そんなの別にいいのに」
「だって、今の状態じゃ掃除も満足にできないでしょ。2階とか手つかずだったでしょ」
「……じゃあ、お願いしようかな」
静枝は申し訳なさそうにうなずく。
それから朱美は軽い足取りで2階へと上がっていく。掃除にかこつけて荷物の整理をするのが朱美の狙いでもあった。もちろん、静枝には内緒だ。そうやって水面下で準備を進めておいたほうが、いざ同居をするとなったときに、物事が円滑に進むと思った。
家族のアルバムと父の日記
実家の2階はとても狭く、ひと部屋しかない。そこは両親の寝室になっていて、朱美は1階の和室で寝るようになってから、ほとんど2階に立ち寄らなくなっていた。
久しぶりに寝室を開けると、思わずくしゃみが出た。かつて両親が寝ていたであろう場所にはたくさんのものが置かれていて、その全てにほこりが積もっている。懐かしい思い出を押しつぶすように荷物が山積みになっていた。
5年前に父が病気になってから、2人とも私が使っていた1階の部屋で寝るようになった。どうやらそのときから2階の寝室は単なる物置として使われるようになっていたらしい。
なんとか足の踏み場を探して部屋のなかを進み、寝室の窓を開ける。
太陽の光が差し込んで、部屋のなかのほこりが粉雪みたいにきらめいた。とはいえ、景色は最悪で、部屋中には段ボールや紙で包装された引き出物らしきものなどが積み上げられている。
これらを全て処分するのは骨だったが、朱美は目の前のことからコツコツとやろうと思い、軽く手をたたいて気持ちを引き締めた。
まずはほこりを全て捨てようと、ほうきとちりとりを手に取った。掃除機で一気に吸い取りたかったが、そんなスペースはこの部屋のどこを探しても見つからなかった。
1時間くらいで掃き掃除と拭き掃除を終えた朱美は、次に不要なものを処分しようと段ボールの中身を端から確認していった。
すると、そのなかの1つに入っていたアルバムが見つかった。
「へぇ、懐かしい」
朱美はページをめくる。アルバムには若いときの両親と朱美の姿が写真に収められている。
庭に出したビニールプールで朱美と父が楽しそうに遊んでいる写真を見て、このあと静枝がカメラを水に落としてしまい、父が不機嫌になったのを思い出す。3人で草津温泉に行ったときの写真を見ると、この写真を撮る直前まで自分が迷子になっていたことを思い出す。あのときは確か、父が血相を変えて走って探しに来てくれた。
アルバムを一通り眺めた朱美は、これは捨てられないと段ボールに戻し、同じ段ボールから見慣れないノートを取り上げる。
「これってお父さんの日記だ……」
けい線にそってびっしりと書き込まれた文章と、きちょうめんに角ばった筆跡から、それが父のものだとすぐに分かった。パラパラとめくっていくと、1枚の写真が落ちた。色あせも少なく比較的新しそうな、庭に面した軒下の写真だった。
「何これ?」
そこで朱美は何かが写っているような気がして、目をこらす。手ぶれがひどいが、それがどうやら、ツバメの巣であることが分かった。
「……何でこんな写真を?」
ツバメのように家を守っていた母
父に写真なんて趣味があっただろうか。
気になった朱美は写真を持って、居間に戻った。ぼんやりとテレビを見ている静枝にその写真を見せる。
「お母さん、この写真、何だか分かる?」
静枝は目を細めて、写真を見ていた。老眼もあるから、何が写っているのか分からないようだ。
「これ、ツバメの巣だと思うんだ。ほらそこの庭の軒下のところだよ。あんなところにツバメの巣があったなんて知らなかったよ」
それを聞き、静枝はうれしそうにうなずいた。
「あぁ、そうそう。もう何年も前から、ちょうど6月ごろの今くらいの時期にね、ツバメがうちに巣を作りに来るんだよ」
「へえ、そうだったんだ」
「それをね、お父さんといつも楽しみにしててね」
「2人ともそんな趣味あったっけ? あんまり動物とかに興味があるって感じたことなかったけど」
静枝は指で優しく写真をなでる。
「寂しかったのよ」
「え?」
「そりゃ、そうでしょ。朱美がいなくなって、2人だけになっちゃったんだから。だから、毎年やってくるツバメが、かわいくってね。毎年の楽しみだったの」
朱美は胸に手を置く。
昔なら、そんな大げさなと感じていただろう。しかし今の自分なら、2人の気持ちに共感することができた。亮一が出て行き、ぽっかりと心に穴が空いた。その寂しさを朱美も今まさに感じているところだった。
2人にとって心の穴を埋めてくれたのがツバメだったのだ。
「この家を離れたくない理由って、もしかして――」
「だってねえ、この家がなくなったら、この子たちの帰る場所がなくなるだろう? それに朱美だって、死んじまったあの人だって、この家にいつでも帰ってきていいんだから」
親の心子知らず、それは自分にも当てはまった。
静枝にとってこの家でツバメを待つということが、父との大切な思い出の1つなのだろう。朱美は危うくそれを奪おうとしていた。
朱美は静枝に目を向けて、手を差し出す。
「ちょっと庭に出てみない?」
静枝はうなずく。朱美は静枝を補助しながら庭に出て、軒先を見上げた。巣の痕跡がある軒下に、まだツバメたちの姿はない。
「今年もツバメ、来るかな?」
「どうだろうね。毎年、お父さんも楽しみにしてたからねえ。きっと今年も待ってるはずだよ」
どうして静枝が同居を拒むのかその理由が分かった気がした。父の楽しみをなくさないためだ。朱美は小さくうなずいた。
「きっと来るよ。今年も楽しみだね」
父もこの家のどこかで同じようにツバメを待っているのだろうなと朱美は思った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。