医療者のことばの持つ力 【第1回】病気があることは辛いし苦しいけれど、決して不幸じゃないんだと感じてほしい

まえがき

「僕は一体、誰のどんなことばに支えられて今があるのだろうか」と、病室から見える空を見ながら考えていた。腎臓移植の手術を受けた傷の痛みを我慢しながら体を起こすと、少し頭がふわふわし、鉛のような体の重さを感じた。

ゆっくりと点滴台を押し、首や手、お腹に入っているさまざまな管に注意を払いながら、窓まで数歩の距離をゆっくり歩いてみた。窓から見える空は、ベッドから見るよりも一段と青くそして近くに感じた。

視線を下に向けると、5月の花だろうか、白色と黄色の花が咲き始めている中庭が目に入った。そこでは、年配のご夫婦らしき人が話をしながら杖をついて歩き、その向かいでは若い夫婦がベビーカーを押しながら時折子どもの顔を覗き込み、微笑んでいた。

そこには、病院とは思えぬほど、ほのぼのとした温かい日常が広がっていた。その景色が日常なのか、それとも非日常なのかわからなかった。ただ、私はこの中庭に以前はこんなにたくさんの花が植えられ、きれいに整地されていなかったことを思い出していた。

私は今から35年前、10歳の時にこの中庭を5階の小児科病棟の病室から毎日のように見ていた。あの頃の中庭は、10歳の私には小さな森に思えた。「きっとカブトムシやクワガタ、カナブンがいるだろうな」と思っていたが、病棟から出ることができなかったため、カブトムシを虫かごいっぱいに捕まえている自分を想像しながら楽しんでいた。

私は生まれつき腎臓が弱く、精密検査の目的で、同じく腎臓が弱かった兄と一緒に1週間の予定で、和歌山の実家から遠く離れたこの病院に入院した。しかし、精密検査の結果が悪く治療が必要と言われ、約3ヶ月間入院した。あの頃の自分の気持ちをはっきりと思い起こすことは難しい。

ただ、今でも覚えているのは、早く外の空気を目一杯吸ってみたい、風の冷たさや気温の変化を肌で感じたいと心底思っていたということだ。そして、「退院すれば、自由になれる、何でもできる、もう我慢しなくていいんだ。だって、3ヶ月も入院して痛い血の検査も何度も受けたし、手術も検査も治療も頑張ったのだから」と信じていた。

しかし、結局15歳で透析治療を開始することになった。透析治療は実施しても、決して腎臓がよくなったり治ることはない。腎臓移植を受けない限り、ずっと続けなければいけない治療法である。私は、10歳の時から腎臓悪化を予防し進展を遅らせるために、食事療法や薬物療法を行ってきた。

また、透析治療を受けながら、高校や看護学校、一人暮らし、就職、結婚などさまざまなライフイベントを経験してきた。その間、病気や治療が原因で、何度も悔しさややるせなさを感じ心が折れそうな日があった。でもその都度、誰かの「ことば」に支えられてきたように思うし、むしろラッキーな人生だと思う。

私は現在、看護師の中でも日本看護協会が認定している慢性疾患看護専門看護師という資格を取得し、慢性疾患(治ることが難しい病気を持っている人)を持っておられる方やそのご家族とお話をさせて頂く機会が多くある。

患者さんの中には、治らない病気と付き合っていくことへの辛さや苦悩、絶望感を話される方もいる。その時、看護師としてはその苦悩を少しでも軽減するように努めている。

ただその一方で、一患者としては、病気があることは辛いし苦しいけれど、決して不幸じゃないんだと感じてほしいと願っている。

病気を患っているだけでは「病人」、治療を受ける中で医療・看護を受け、さらに医療者との関係が生まれて初めて「患者」になるといわれている。私は看護師として働く中で、病気を自らの全てであると考え、自分をマイナスに捉えすぎて人生を楽しむことを諦めている患者さんを見てきた。

一方で、病気があることは自分のごく一部であり、その中でも人生を楽しもうと今までの趣味を続けたり、新たな楽しみを見つけチャレンジしている患者さんとも出会ってきた。

また私自身を振り返ると、病気があることをマイナスに考え落ち込むこともあれば、病気を頭の片隅に置きつつも学生生活や仕事を楽しんでいる自分がいた。それは医療者との関わり、医療者の「ことば」が大きな影響を与えているからであった。

私は医療者と患者の両方の立場を経験することで、病人とは医療者の関わりひとつで、ことばひとつで、患者にも“ひと”にもなるのではないかと考えるようになった。

この本を同じ慢性腎臓病を持っておられる人やそのご家族だけでなく、医療関係者の方に読んで頂きたい。病気を持ちながら生きることは不都合や煩わしさはあるが、決して不幸ではないと信じている。

でも、前向きになったり、一歩踏み出そうと思えるのは、自分一人では難しく、医療者のことばが背中を押してくれることが多い。「そんなことばに、出会っていない」「特別な声なんかかけていない」と思われる患者さんや医療者がおられると思う。ただ、それはあなたがまだ気づいていないか、まだ出会っていないだけではないだろうか。

私たちの世界は、多くのことばで彩られている。私の体験が、出会ったことばが、ほんの少しだけみなさんの心に何らかの形で響けばうれしい。

また、透析治療を受けながら、高校や看護学校、一人暮らし、就職、結婚などさまざまなライフイベントを経験してきた。その間、病気や治療が原因で、何度も悔しさややるせなさを感じ心が折れそうな日があった。でもその都度、誰かの「ことば」に支えられてきたように思うし、むしろラッキーな人生だと思う。

私は現在、看護師の中でも日本看護協会が認定している慢性疾患看護専門看護師という資格を取得し、慢性疾患(治ることが難しい病気を持っている人)を持っておられる方やそのご家族とお話をさせて頂く機会が多くある。

患者さんの中には、治らない病気と付き合っていくことへの辛さや苦悩、絶望感を話される方もいる。その時、看護師としてはその苦悩を少しでも軽減するように努めている。

ただその一方で、一患者としては、病気があることは辛いし苦しいけれど、決して不幸じゃないんだと感じてほしいと願っている。

病気を患っているだけでは「病人」、治療を受ける中で医療・看護を受け、さらに医療者との関係が生まれて初めて「患者」になるといわれている。私は看護師として働く中で、病気を自らの全てであると考え、自分をマイナスに捉えすぎて人生を楽しむことを諦めている患者さんを見てきた。

一方で、病気があることは自分のごく一部であり、その中でも人生を楽しもうと今までの趣味を続けたり、新たな楽しみを見つけチャレンジしている患者さんとも出会ってきた。

また私自身を振り返ると、病気があることをマイナスに考え落ち込むこともあれば、病気を頭の片隅に置きつつも学生生活や仕事を楽しんでいる自分がいた。それは医療者との関わり、医療者の「ことば」が大きな影響を与えているからであった。

私は医療者と患者の両方の立場を経験することで、病人とは医療者の関わりひとつで、ことばひとつで、患者にも“ひと”にもなるのではないかと考えるようになった。

この本を同じ慢性腎臓病を持っておられる人やそのご家族だけでなく、医療関係者の方に読んで頂きたい。病気を持ちながら生きることは不都合や煩わしさはあるが、決して不幸ではないと信じている。

でも、前向きになったり、一歩踏み出そうと思えるのは、自分一人では難しく、医療者のことばが背中を押してくれることが多い。「そんなことばに、出会っていない」「特別な声なんかかけていない」と思われる患者さんや医療者がおられると思う。ただ、それはあなたがまだ気づいていないか、まだ出会っていないだけではないだろうか。

私たちの世界は、多くのことばで彩られている。私の体験が、出会ったことばが、ほんの少しだけみなさんの心に何らかの形で響けばうれしい。


※本記事は、2023年9月刊行の書籍『医療者のことばの持つ力』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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