楚国最大級王墓・武王墩墓、君主の威厳を示す青銅器

楚国最大級王墓・武王墩墓、君主の威厳を示す青銅器

  【新華社合肥6月19日】中国安徽省淮南市にある武王墩(ぶおうとん)墓は、これまでに発掘された春秋戦国時代・楚国の大型高級墓の中で最大の規模と最高の格式、最も複雑な構造を持つ。3千点(組)以上の出土品のうち150点(組)余りが青銅器で、2千年前の青銅器職人の優れた技術を今に伝える。

 楚国は中原の周王朝に鼎の軽重を問い、一方に覇を唱えた。遷都は数回行い、最後は戦国時代末期の紀元前241年に考烈王が秦国の勢いを避けるため寿春(現在の淮南市南寿県一帯)に都を移したが、幽王、哀王、楚王負芻(ふすう)を経た18年後に秦に滅ぼされた。

 当時の青銅器は祭祀(さいし)や朝見、征伐、宴席、冠婚葬祭との関わりが深く、鼎(かなえ)は食べ物の煮炊きのほか、身分の等級を示す重要な礼器として用いられた。武王墩墓出土の銅鼎(どうてい)は口径が88.9センチ、重さが400キロ以上あり、同市の李三狐堆(りさんこたい)で出土した楚大鼎(鋳客大鼎)を上回る。李三狐堆は専門家により幽王の墓だと確認されている。

 武王墩墓については、規模や構造、出土した文字、文献資料などの分析により、「史記・楚家」に記載のある幽王の父、すなわち考烈王の墓である可能性があると判断された。

 武王墩発掘プロジェクトの責任者、宮希成(きゅう・きせい)氏は出土した青銅簠(せいどうほ)に刻まれた銘文「楚王酓前作鋳金簠以供歳嘗」の「楚王酓前」が考烈王・熊完(ゆうかん、または熊元)を指すことから、武王墩墓の被葬者は考烈王の可能性があると述べた。

 武王墩墓出土の青銅器は、中央集権の象徴とされる「九鼎八簋(きゅうていはっき)」など礼器としての組み合わせをなしていた。宮氏は「墓の東1室から鼎や簋、簠、敦(たい)、鈁(ほう)、壺、甗(げん)、豆、鑑、釜、盤、尊缶などを含む青銅礼器3組が見つかり、墓の等級が王級だと証明された」と説明した。

 簋は煮炊きした食物を盛る容器として使われ、口は丸く、取っ手が二つある。簠は粟や稲を盛り、逆さにしても置けるよう本体とふたが同じ形をしている。鈁は盛酒器として使われた。甗は上部が食物を蒸す甑(そう)、下部が湯を沸かす鬲(れき)からなり、武王墩墓からは足を折りたためる甗が初めて見つかった。足の「ひざ」部分に90度折りたためる機構があり、可動部は獣面花文で正面から見えないよう隠されていた。(記者/屈彦、白斌)

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