人種差別が当たり前に存在していたアメリカのスポーツ界…リベラルな風が吹き荒れるアメリカで〈大谷翔平〉が活躍することの意味

(※写真はイメージです/PIXTA)

今やその名前を知らない人はほとんどいない、日本中…いや全米も熱中するアスリート・大谷翔平。本記事では内野氏による新刊『大谷翔平の社会学』(扶桑社)から一部抜粋し、リベラル至上主義に支配された現代のアメリカにおける「大谷翔平」の意味について解説します。

リベラルな時代の波に乗った大谷翔平

ベーブ・ルースがアメリカ野球のヒーローになってから約1世紀後、大谷が「ベーブ・ルースの再来」と騒がれたわけだが、メディアが伝える大谷のキャラクターはルースとは似ても似つかない。私生活は質素で、四六時中野球のことを考えている、まるで野球少年がそのまま大人になったような存在だ。「子どもがそのまま大人になった」という点ではルースと同じかもしれないが、大谷にはルースと違って社会性があり、球場外で破天荒なふるまいをする気配もない。いかにも模範的な優等生である大谷は、ルースのように「酒と女に溺れる」なんてイメージも全くない。時代の違いもあるのだろうが、大谷とルースのキャラクターは真逆だ。

また、ルースが「白人のアメリカ人」という社会的マジョリティだったのに対して、大谷が「アジア人」という社会的マイノリティであるという点も見逃せない。ルースが活躍していた時代、野球はまだ「白人のスポーツ」で、MLBには白人選手しかいなかった。人種差別が当たり前の時代だった。しかし今日、人種差別は目の敵にされ、MLBは多国籍なリーグになった。人種や性的嗜好の多様性を重視する「リベラル」が支配的なイデオロギーとなり、欧米では社会的マイノリティを受け入れるどころか、彼ら彼女らが表舞台に出てくることを積極的に求めており、場合によっては社会的マジョリティの側が差別されるという現象まで起きている。

今日、欧米の広告業界ではCMのイメージキャラクターやモデルに「社会的マイノリティ」を積極的に起用することがルール同然になっている。白人だけでなく黒人やアジア人、男性だけでなく女性を登場させることがお決まりのコードになっているのだ。仮に少しでも人種差別を匂わせるような表現を含んでいた場合は、すぐさまSNSで炎上する。バッシングするのは現代のリベラル至上主義が生んだ、表層的な「ポリティカル・コレクトネス」に過剰なまでにこだわる人々だ。社会的地位の高い人物が過去に行った差別的な発言などの記録を引っ張り出し、その人物を社会的に抹殺することを指す「キャンセルカルチャー」なる言葉も生まれた。

大谷翔平が積極的に受け入れらた土壌

こうしたリベラル至上主義に支配された現代のアメリカには、人種的マイノリティである大谷が積極的に受け入れられる土壌があった。大谷は「人種的マイノリティであるにもかかわらず」ではなく、「人種的マイノリティであるがゆえ」積極的に受け入れられた可能性がある。大谷の存在は、MLBが「白人による白人のための時代遅れなスポーツ」ではなく「多様性に満ちたリベラルなスポーツ」であるというイメージを流布することに貢献した。メジャーリーガーの大多数を占めるアメリカ人やヒスパニックではない、アジア人のスーパースターが誕生したことはMLBプロモーションにとっても好都合だったはずだ。

企業が自社のマーケティングに「ポリティカル・コレクトネス」を取り入れ、政治的なメッセージとともに自社の商品やサービスを売り出すことも今や珍しくない。その手のマーケティングで商業的な成功を収めた最たる例が、元NFL選手のコリン・キャパニックを起用したNIKEのキャンペーンだ。

NFLサンフランシスコ・フォーティナイナーズのクォーターバックだったコリン・キャパニックは2016年8月、プレシーズンマッチで試合前に行われる国歌斉唱の際、ベンチに座ったまま起立を拒否した。その理由についてキャパニックは「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と説明し、人種差別への抗議であると訴えた。その結果、フォーティーナイナーズはキャパニックとの契約を破棄した。フリーエージェントとなったキャパニックに手を差し伸べるチームはなく、キャパニックは事実上NFLから追放されたかたちだ。

そんなキャパニックに手を差し伸べたのが、NIKEだった。

アメリカ西海岸のオレゴン州に本社を構えるNIKEは、キャパニックが「リベラルな価値観を体現するアイコン」となったことに目をつけ、同社の有名なタグラインである“Just Do It”30周年記念キャンペーンのメインビジュアルに起用した。キャパニックの顔写真に“Believe in something, Even if it means sacrificing everything”(何かを信じろ。たとえそれで全てが犠牲になるとしても)とメッセージを載せたキャンペーンは若者を中心に好感を得て、NIKEは売り上げの大幅アップに加え、株価は最高値を更新した。

この広告は、アメリカで最も権威ある広告・マーケティング誌として知られる『アドバタイジング・エイジ』の最優秀マーケティング賞に選ばれた。NIKEの成功を見たほかの企業も相次いで、リベラルな価値観を持つ人々をターゲットに「第二のキャパニック」を探し始めた。もっとも多くの場合、こうしたキャンペーンで掲げられる社会的正義は極めて表層的で、中身を伴わないものが多かった。

たとえば、リオネル・メッシやネイマールといった南米出身の世界的サッカー選手とスポンサー契約を結んでいる大手クレジットカード会社のマスターカード。「お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで」のタグラインで有名な同社は、2018年にロシアで行われたサッカーワールドカップで「ネイマールとメッシが得点を決めるたび、食糧難にあえぐ貧困層の子どもたちに1万食の食事を無料で提供する」というキャンペーンを打ち出した。

マスターカードとしては同社が「社会貢献」に積極的であることをアピールしたかったのだろうが、このキャンペーンに対して「資金があるならゴールに関係なく寄付すべき」「選手にプレッシャーをかけすぎ」などと批判が殺到した。これを受けてマスターカードは、慌てて「両選手のゴール数に関わらず2018年中に1万食を配布する」とキャンペーン内容を修正し、さらに「飢餓という深刻な問題に取り組む同社の活動から目をそらさないでほしい」と苦し紛れに訴えた。マスターカードが心配しているのは貧困層の子どもたちではなく、自社のブランドイメージと株主への利益還元であることは誰の目にも明らかだった。

すでに政治的メッセージを帯びている大谷

さて、日本で数々の企業広告に出演している大谷は、キャパニックやマスターカードのように明確で具体的な政治的メッセージを発しているわけではないが、その存在自体がすでに政治的メッセージとなっている。

アメリカでは人種的マイノリティである大谷が「投打二刀流」という新しい挑戦で成功を収めたという事実は、MLBというスポーツ機構の「懐の深さ」を示唆している。大谷本人にそんな意識がなくても、今日のアメリカにおいて大谷の存在は「人種的マイノリティのサクセスストーリー」のひとつと見なされる。それはMLBに限らずアメリカのスポーツ界では人種差別が当たり前に存在していたこと、場合によっては今もあることの裏返しでもある。

内野 宗治

ライター

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