『燕は戻ってこない』“基”稲垣吾郎が父性に目覚める “人生に責任を持つ”ことの意味

「うちは金を出した。あなたは子宮と卵子を差し出した。その子たち、一体誰のものなんでしょうね」

日本産婦人科学会は、倫理的な観点から代理出産の実施を認めていない。その理由として、第一に「生まれてくる子の福祉を最優先するべき」とある。例えば、代理出産を認めている国では代理母と依頼人の間で親権を巡る争いが頻発しており、そうなると子どもの生育環境を損なう可能性があるからだ。

子どもは1人では生きていけない。『燕は戻ってこない』(NHK総合)第8話では、ここまで己の欲望に突き動かされてきた大人たちが、初めて生まれてくる子どもに目を向ける。

リキ(石橋静河)が、父親が誰だか分からない双子を宿して8週目。事情を知る悠子(内田有紀)は秘密を抱えきれなくなり、基(稲垣吾郎)に全てを話した。一方、つわりに苦しむリキは腹立ちまぎれに、日高(戸次重幸)とダイキ(森崎ウィン)に父親の可能性があることを告げる。

両者の反応に対するリキの感想はいずれも「こいつはダメだ」。日高は焦った様子で、認知の可否については濁し、性懲りもなく下世話な話題に持ち込む。対して、ダイキはリキが双子を妊娠したと分かった途端に喜び、「こっちで一緒に育てよう」と言ってくれた。だが、今のダイキに子どもを養えるだけの生活力はない。その楽観ぶりはリキを笑顔にしてくれたが、現実問題、頼れそうもなかった。

日高とダイキの責任感のなさにがっかりしたリキは、りりこ(中村優子)のアトリエで春画を眺めながら「女たちは妊娠しちゃったらどうするんですか?」と疑問を投げかける。春画作家のりりこが描くのは、男女の“まぐわい”だ。男も女も対等に性愛を楽しんでいる。けれど、それは「つかの間の夢の世界」であるというりりこ。なぜなら、性行為には必ず妊娠の可能性が付きまとうから。そこにあえて触れない春画をりりこは愛しているが、実際の性行為には興味がない。

それはりりこが他人に性的欲求を抱かないアセクシャルだからというのもあるが、たとえ誰かと肉体関係を持って妊娠したとしても子どもを欲していない彼女は責任を取れない(取りたくない)からだろう。だから妊娠の可能性がある限り、性行為はしない。そう決めている彼女は誰よりも、自分の人生に対して責任を持っている。

対して、リキや草桶夫婦はどうだろうか。リキは腹の底からお金と安心を求め、自らの意思で代理母になることを選んだ。「人工授精期間は他の誰とも性的関係を持たない」と規定した契約書にもサインし、その上で日高からもダイキからも強要されたわけでもなく、自らの欲求に従って身体を重ねた。もちろん、それには日高とダイキも合意している。基は自らの遺伝子を継ぐ子を望み、代理出産という方法を選んだし、悠子も夫婦関係を維持するために戸惑いながらもそれを受け入れた。

子どもがほしい、愛する人のそばにいたい、今よりも楽に生きたい。それぞれの利害が偶然にも一致した結果、リキは2つの命を宿した。けれど今、3人は産むか産まないかの選択を互いに押し付けている。リキは基に判断を仰ぐが、基は自分と血が繋がっていない子どもを育てるつもりはないものの、子どもを堕ろさせるのには抵抗があった。悠子は「生まれてくる子どもを幸せにしたい」と身を引く覚悟を決めるが、代理出産のプロジェクトから逃げたと捉えられてもおかしくはないだろう。誰もが自分のことばかりで、生まれてくる子どもと真摯に向き合っているとは言い難い。

もちろん、彼らの選択を“自己責任”で片付けることはできない。子どもが欲しいという欲求はそれ自体責められるものではなく、そのためには代理出産という選択を選ばざるを得なかった基と悠子。リキは生活苦から抜け出すために、子宮と卵子を差し出すしかなかった。日高やダイキと性行為に及んだのも、自分の身体が自分のものじゃなくなることに対する無意識の抵抗だ。浅はかではあったが、悠子が「彼女を妊娠しやすい体にしてたのは私たちなのよ」と基に訴えたように決して彼女だけの問題ではない。

つわりが治ったリキは、元々はりりこの実家が経営する病院の看護寮だったシェアハウスに身を置くことになった。そこでは、りりこの叔父であるタカシ(いとうせいこう)や家政婦の杉本(竹内都子)ら独身の男女が身を寄せ合って暮らしている。惜しむらくは、リキが代理母になるという選択を下す前にりりこに出会えなかったこと。もしも出会えていれば、もっと違う未来があっただろう。だが、もし先に出会えていたとしてもりりこはリキに興味を持たなかったかもしれない。だから、タラレバを言ってもしょうがない。事実として、リキのお腹で子どもは育っているのだから。

そんな中、基は遺伝子の壁や才能の限界に挑戦する教え子の姿を見て、その呪縛から解き放たれる。前回、基の母である千味子(黒木瞳)はリキに「バレエにはメソッドが大事だ」と言った。そのメソッドは一代で築かれたものではなく、多くのダンサーによって脈々と受け継がれてきたものだ。そこには必ずしも遺伝子的な繋がりは必要ではなく、基と生徒たちのように人の手から人の手へと渡していける、基はそう思えた。それは親からもらった才能ではなく、努力によってバレエダンサーとして成長してきた自分自身を認めることでもある。憑き物が落ちた晴れやかなその顔を見て、自分の人生に対して責任を持つとは、すなわち自分を愛することではないか、と感じた。自分を愛してこそ、自分にとって最良の選択が下せる。他人の人生に責任を持つのは、そこから。基はリキの子宮内で育つ胎児の映像に心を震わせる。その煌めく純真な瞳が父性の芽生えを映していた。
(文=苫とり子)

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