「フィールドの中でも外でも、彼は真の巨人だった」――”史上最高のオールラウンド・プレーヤー”と呼ばれたウィリー・メイズの本当の偉大さ<SLUGGER>

現地6月18日、“史上最高のオールラウンド・プレーヤー”と言われた1950~60年代のジャイアンツの名外野手、ウイリー・メイズが死去した。93歳だった。

数字を見るだけで、メイズはまさに史上最高のプレーヤーの一人だったということが一目瞭然だ。通算660本塁打(歴代6位)、3293安打(歴代13位)、ゴールドグラブ12回(外野手歴代1位)、オールスターでのスタメン18回(歴代1位)、首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回……このように、ほんの一部を列挙しただけでも、その偉大さを極めて雄弁に語ってくれる。

だが、彼の真の価値はそこではない。ロサンゼルス五輪など5回のオリンピックでオフィシャル・アーティストを務め、多くのアスリートを描いたアメリカの画家リロイ・ニーマンは、「メイズがボールを打つ姿を見るのは、美しい女性や著名な政治家を描くよりもはるかに感動的な体験だ」と語っている。文字通りメイズは「絵になる」ベースボール・プレーヤーだったのだ。

54年にメイズがインディアンスとのワールドシリーズ第1戦で、メイズが披露した伝説的な“ザ・キャッチ”は、日本でも言及されることが多い。2対2の同点で迎えた8回裏、無死一、二塁の場面で放たれたセンター後方への大飛球を、メイズは背走したままほとんど振り向きもせずに、グラブにボールを収めた。絶体絶命のピンチを脱したジャイアンツは延長戦の末サヨナラ勝ちを収め、そのまま4連勝のスウィープで世界一へ駆け上がった。
特筆すべきは当時のメイズがまだ23歳だったことだ。メジャー3年目の若手選手が球史でも有数の好プレーを成し遂げたことからも分かる通り、彼の身体能力はとにかく卓越していた。アスリートとしての才能を走攻守すべてでフルに発揮した優雅なプレーはニューヨークやサンフランシスコをはじめとする全米のファンを魅了した。「もし1シーズンに打率.450、100盗塁をクリアし、毎日守備で奇跡のようなプレーを披露する選手が現れたとしても、私はウィリーの方が優れていたと言うだろう」とは、ドジャースやジャイアンツで監督を歴任し、通算2008勝を挙げた殿堂入りの名将レオ・ドローチャーの言葉だ。

メイズのプレースタイルは、はるか後世の選手にも多大な影響を与えている。バリー・ボンズの名付け親(ゴッドファーザー)であることはよく知られているが、90年代のスーパースター、ケン・グリフィーJr.も、メイズのことを「センターのゴッドファーザー」と慕う。まだグリフィーJr.がティーンエイジャーで、メジャーリーガーになる前のことだ。メイズは彼に対してにこのような金言を与えた。

「とにかく全力でプレーすることだ。楽しんで、笑顔で、自分らしくいるんだ」

”セイ・ヘイ・キッド”と呼ばれたメイズのこのアドバイスを、グリフィーJr.はメジャーリーガーになってからも忠実に守った。天真爛漫な笑顔で、走攻守に全力でプレーするグリフィーJr.のことを、いつしかファンは”ザ・キッド”と呼ぶようになった。今回の訃報に接して、グリフィーJr.は「彼はフィールドの中だけでなく、外でも真の巨人だった」とメイズの偉大さを称えている。

6月20日からアラバマ州バーミンガムにて、ジャイアンツ対カーディナルスのカードで行われる予定だった「MLB@リックウッド・フィールド」は、かつてメイズも所属したニグロリーグ球団、バーミンガム・ブラックバロンズの本拠地でもあった。このイベントではもともと、メイズの生涯を称える式典が行われる予定だったが、彼が旅立った今では、さらに大きな意味を持つことになることだろう。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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