『くるり』最終話 「ラブコメ&ミステリー」というパッケージがたどり着いた到達点

めるること生見愛瑠主演の『くるり~誰が私と恋をした?~』(TBS系)も最終話。3人のイケメンにチヤホヤされるヒロインというラブコメ的な構図と、その3人が3人ともウソをついていたというミステリーを両輪に、記憶を失った人物が主体的に回復していく様を描いた作品でしたが、きっちりとキュンのラブに着地してきました。

いやぁ、よかったんじゃないでしょうか。振り返りましょう。

■めるるの顔芝居と水槽の演出

ITイケメンの律くん(宮世琉弥)と付き合っていたことを思い出したまことさん(めるる)、じゃあやっぱり律くんと付き合うべきだと考えて、律くん好みの服を着て水族館デートに出かけます。

必死で楽しいデートを演出してくれる律くんに笑顔を見せようと努力するまことさんでしたが、やっぱりちょっとそれは本心ではないことは自分でも気づいているし、気を抜くと真顔になってしまいます。

このへんのめるるの繊細な表情芝居と、律くんには笑顔を向けるけど水槽に映る自分の顔は全然楽しそうじゃないという、その演出。俳優部と演出部のやりたいことがガッチリ噛み合ってる感じが、見てて興奮するわけですよ。ああ、いい仕事やってんなぁと思うんです。

この場面、まことさんとしては、自分の表情をコントロールできてないということを表現するシーンなんですね。デートすべき相手とデートしてるんだからずっと楽しそうにしてなきゃいけないという責任感のようなものがあって、それでも本当は別に楽しくないから、つい表情がなくなってしまう。そういう「人の感情はアンコントローラブルである」という意味のシーンを、役者と演出が完全にコントロールして映像にしている。そうして律くんとまことさんの距離感を描くことで、やっぱり好きとかデート相手とかを「べき」で選ぶのはよくないよなという感情を伝えてくる。

このドラマ、脚本がよすぎてあんまり演出のほうの話はしてこなかったですけど、「公太郎さん(瀬戸康史)×まことさん」と「律くん×まことさん」のキスシーンの色味の対比とか、脚本の行間を画面で補足している場面もたくさん見られて眼福だったんですよね。ドラマを見ていて、お話がおもしろいのがもちろん一番うれしいことですけど、こうやって関わっている人たちが力を合わせていいものを作ろうとしている姿勢が見えることもまた、ドラマを見る楽しみだと思います。

■で、脚本の話

ひと言でいえば、出力の高い脚本だったなと思うんです。

記憶喪失の美女と3人のイケメンという構図があって、イケメンは3人ともウソをついているという仕掛けがある。おそらくは、企画の骨組みはそういうものだったろうと思うんです。めるる主演で、記憶喪失モノのラブコメ&ミステリー風味のドラマを作りましょうという中で、じゃあ記憶喪失になった人の心の動きってどんなだろうということに、脚本が真剣に向き合って創作してきた。

記憶が戻ったか、戻ってないか、その人物を客体視して周囲の人たちの戸惑いや悲しみを描くだけでも、ラブコメ&ミステリーとしては十分成立するものだったはずなのに、『くるり』というドラマはちゃんとまことさんという人物の背後に回り込んで、主体的に記憶喪失の人が記憶を喪失したまま人として生きていく道筋を考えて形にしてきた。

自分が何者だかわからない。ひとつひとつ決断をすることで自信が生まれ、自覚が生まれてくる。それでも自分自身を定義しようとすれば、また迷いが生まれ、その迷いを受け入れたり他人に委ねたりしながら、結局は感情に従うしかないことに気づいていく。

それは記憶を失っていない私たちにとっても、迷いが生じたときの心の動かし方を示唆するものでした。

きっと、このドラマを作った人たちは、そういうことを普段からちゃんと考えて生きてるんだろうなと思うんです。何かに迷ったとき、その迷いの正体をちゃんと掘り下げて自分の中で言語化・実体化してきたからこそ、「めるるが記憶喪失でラブコメ&ミステリー」という仕事が舞い込んだときに、それを企画に合わせた形で表現できる。そういう、マジメに物事を考えて生きてるやつがこの国のどっかにいたんだなと再確認できることもまた、ドラマを見る楽しみのひとつだと思いました。

いやぁ、最後は甘々でちょっと瀬戸康史がバックハグで「好き」なんて見てらんない感じではありましたが、おもしろかった『くるり』。ありがとうありがとう。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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