【商都郡山100年物語】求められる味追求 福島県郡山市虎丸町の大友パン店

市民に愛されるパンづくりを誓う(左から)吉田さん、美知子さん、和子さんら

 福島県郡山市虎丸町の大友パン店は、創業100年を迎えた。太平洋戦争や東日本大震災と東京電力福島第1原発事故などの災禍に見舞われながらも、手作りにこだわった味で地域に親しまれてきた。3代目の吉田明弘社長(48)は「明日も、おいしいパンを届けたい」とパン作りに向き合う。

■戦禍の絆

 初代の大友武一(たけかず)さんはいわき市の造り酒屋に生まれた。家業が行き詰まり、樺太に渡って酒種酵母を使ったパン作りを習得。交通の要衝・郡山市に商機を感じ、現在地に店を構えた。近くの教会の神父らの協力を得て海外からレシピを取り寄せ、パンの風味や食感を練り上げた。

 教会との縁は戦時下も続いた。戦況が悪化し、食べ物に困る修道女に妻のヨシエさんがパンを着物に隠して届けた。ヨシエさんの葬儀には、感謝を伝える大勢の教会関係者が参列した。

■クリームボックス

 2代目の大友孝(こう)さんはヨシエさんのおい。20代はいわき市の小学校で教壇に立っていたが、素質を見込まれて1961(昭和36)年に養子に入った。

 探究心を食パンに傾けた。生地を2度発酵させ、うまみを引き出す「100%中種法」を確立。生地に脱脂粉乳を通常の2倍入れ、味わい深いミルク食パンを開発した。時は1970年代。第2次ベビーブームで、子育て世帯が増えていた。厚くて柔らかく、食べやすいミルク食パンはたちまち人気を集めた。ミルク食パンにミルククリームをたっぷり盛ったクリームボックスは市民のソウルフードに成長した。

 震災と原発事故の発生後は一時休業したが、3日後に再開。列をなすファンに整理券を配り、妻の美知子さん(80)らと限られた材料で作ったパンを渡した。不安な日々を過ごす市民を焼きたてのパンで励ました。

■まちのパン屋

 3代目の吉田さんは都内の飲食店で腕を磨き、郡山市でフランス家庭料理店を開いていた。孝さんの次女和子さん(52)との結婚を機に2013(平成25)年、パン職人に転身した。社員と知恵を出し合い、イチゴなど四季の食材を使ったクリームボックスを発案した。

 店内には現在、約200種類のパンが並ぶ。材料や燃料の価格が上がる中、誰もが求めやすいように大半の品を200円以内に抑えている。吉田さんは「お客さんが食べたいと思うパンを作る。『まちのパン屋』であり続けたい」と地域に寄り添う。

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 郡山市が1924(大正13)年9月1日に市制を施行してから、今年で100年となる。明治期の安積開拓以降、市内の企業は不屈の開拓者精神で激動の一世紀を乗り越え、商都の礎を築いた。市誕生と時を同じくして生まれた「100年企業」の歩みに光を当て、持続可能な地域の在り方を探る。

厚切り食パンにたっぷりのミルククリームを載せたクリームボックスが人気となっている

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