落水洋介&三代達也講演会「挑戦を諦めない~5年越しの夢とこれから~」(2024年5月25日開催)~ 中途障がいで車いすユーザーになったからこそ見える世界

明日、病気や事故で急に車いす生活を余儀なくされても、前向きに新しいことにチャレンジし続けられますか。

病気・事故とそれぞれ人生の途中で車いすユーザーになった二人の男性が、車椅子街歩きイベントに合わせて九州・沖縄から倉敷へ。

自分自身がつらい経験をしたからこそ、同じようなつらさを他の人には味わってほしくない。前向きに、自分のやりたいことに挑戦する人の背中を押したい。このような熱い思いをもった二人の講演を聴いてきました。

落水洋介&三代達也講演会「挑戦を諦めない~5年越しの夢とこれから~」について

2024年5月25日に倉敷公民館で開催された「挑戦を諦めない~5年越しの夢とこれから~」は、車いすユーザーの落水洋介(おちみず ようすけ)さんと三代達也(みよ たつや)さんによるコラボレーション講演会。

主催者は、理学療法士の森上美穂(もりうえ みほ)さんです。森上さんは毎年春と秋に、倉敷美観地区で車いす街歩きイベントを開催しています。

本講演会は、車いす街歩きイベントの前夜祭として開催されました。森上さんが本講演会を開催するに至った経緯は、こちらの記事で紹介しています。

左:三代達也さん、右:落水洋介さん

落水洋介さんと三代達也さんは、どのような人なのでしょうか。

落水洋介さん

落水洋介さんは、1982年に福岡県北九州市で生まれました。

幼少からサッカーをしており、小学生時代は元日本代表FW大久保嘉人選手とともに北九州市選抜チームでプレー経験があります。
化粧品メーカーで営業・商品開発を経験しましたが、2013年に原発性側索硬化症(以下、PLSと記載)という100万人に1人の難病を発症し、少しずつ身体・手足・口が動かなくなっていき寝たきりになります。現在は、全国で講演活動やライブイベント、テレビや各メディア出演を精力的におこなっています。

また、2021年株式会社PLSを設立し、『誰もが生きやすくなる居場所づくり』を目指して全国で年に100回以上講演するなど精力的に活動しています。

三代達也さん

三代達也さんは、1988年に茨城県日立市で生まれました。

2006年にバイク事故で頸髄損傷になり、車いす生活を余儀なくされました。手術やリハビリを重ねて、2011年に単身ハワイ旅行を経験し、日本よりはるかに進んだバリアフリーに触れ、海外旅行に関心をもちます。

その後、障がい者雇用で勤めていた仕事を退職し、ロサンゼルス、オーストラリアへの短期移住を経て多くの人に海外におけるバリアフリー環境の魅力を届けるべく、車いす単独世界一周を決意。約9か月間23カ国42都市以上を回り、世界一周を達成しました。現在は、沖縄県糸満市在住。

世界一周から帰国後は、車椅子トラベラーとして全国で講演活動をおこなっています。また、旅行会社と提携して国内外に赴き車いすで旅行しやすいツアー造成の監修に携わったり、【教育×旅】をテーマに学生の福祉教育に積極的に関わったりと、活動の幅を広げていっています。

当日の会場のようす

イベント当日、会場の倉敷公民館1階第2会議室に入ると、最前列には何台もの車いすが並んでいました。

車いすと介助犬

さらに、落水さんや三代さんの講演を聴きたい人が障がいの有無を問わず倉敷市外からも集まっていました。二人の人を引きつける力も、この講演の開催に至った理由のひとつなのでしょう。

私は聴覚障がいがあるので、補聴援助システムと音声認識アプリを使用して二人の話を聴きます。このことを事前に主催者へ伝えていたので、音声認識アプリを立ち上げたスマートフォンを置くための机を用意してくれていて、ありがたかったです。

音声認識アプリを立ち上げたスマートフォン

補聴援助システム
送信機のマイクで拾った言葉が補聴器機に取り付けた受信機に直接送られるシステム

音声認識アプリ
音声情報を文字情報に変換するアプリケーション

講演開始予定時刻の午後7時。司会の二人が、開会をアナウンスします。

今回の講演会は演者の二人だけでなく、司会の二人も車いすユーザー。主催者の「障がいのある当事者の活動を応援したい」という想いが伝わってきます。

中央二人:司会を務めた車いすユーザー

三代達也さんの講演

「挑戦を諦めない~5年越しの夢とこれから~」は、三代達也さんの講演から始まりました。

「車椅子トラベラー」とも呼ばれる三代さん。きっと、旅の思い出話を語ってくれるのだろう……と思っていると、マイクを持つなり「今日は旅の話は5分くらいしかしません。なぜなら、今日僕が話したいのはヒーローズジャーニーだからです」と語りはじめました。

三代達也さん

講演のテーマは「ヒーローズジャーニー」

ヒーローズジャーニーとは、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが提唱した映画や漫画、小説などのヒーローの物語に共通する物語の流れのことです。12のステップを段階的に踏んでいく法則になっています。

詳しくは、三代さんの講演スライド画像を確認してください。

ヒーローズジャーニー

三代さんのヒーローズジャーニー

三代さんは、アルバイトに明け暮れる18歳の頃にバイク事故で頸椎を損傷。車いす生活を余儀なくされました。

数年にわたるリハビリを経て自力で日常生活を送れるようになりましたが、リハビリやその後の就職などについては、家族や支援者の言うことを聞いて言われたとおりに動く受動的な生きかたをしていたそうです。

しかし、リハビリ施設で出会った同じ車いすユーザーの先輩から、「リハビリ施設から実家まで電車で帰ってみては」「ひとり暮らしに挑戦してみては」「海外旅行に行ってみては」と自分から外に出るよう助言を受けました。

三代さんの海外旅行デビューは、ハワイ。まずは日本語が通じやすい地域から訪問してみようと思って、ハワイを選んだそうです。

実際に海外を旅してみると、海岸までの砂浜に車いす用の道が用意してあるなどの物理的なバリアフリーだけでなく、車いすユーザーの三代さんに「一緒にダンスを踊ろうよ」と手を差し伸べるような心のバリアフリーに触れて感動。

その後、世界一周に挑戦したり、日本国内で気に入った沖縄に単身移住したりと、フットワーク軽くさまざまなことにチャレンジするようになり、それらの経験を全国で講演しながら生活しています。

「知覚動考」の精神で活動する日々

三代さんが大切にしている言葉は「知覚動考」という禅語。「とも かく うご こう」と読み、言葉のとおり、考える前にとにかく行動することが大切だと言います。

今回の講演会でも、講演を聞いて「自分だったらどうしよう」と考えてから行動するのではなく、今自分にできることを見つけたらすぐに行動して、行動した結果について「次はどうしよう」と思考を巡らせてほしい。「行動のきっかけを探しながら、次なる演者落水さんのお話を聞いてみてください」と聴衆に語り掛け、落水さんにマイクを手渡しました。

マイクのバトンタッチ

私も聴覚障がいがありますが、海外ひとり旅を経験したことがあります。

相手に「耳がきこえない」と伝えると、その国の手話を教えてくれたり筆談で接客してくれたりする人が多く「もしかしたら、日本より海外のほうが円滑に相手とコミュニケーションが取れるかもしれない」と思うことがあるほどです。そのため、三代さんのエピソードはどれも共感できるものが多く、ずっとうなずきながら話を聴いていました。

また、講演会終了後には三代さんから「聴覚障がい者って、普段どうやってコミュニケーションを取っているの?」など積極的に質問してもらいました。

疑問に思ったことをすぐに質問し「僕はこう思うよ」と言える姿はまさに「知覚動考」だと感じました。私はきこえないことで話がわからなくても、その場を乗り切るためについ「わかったフリ」をしてしまいます。

しかし、まずは「わからなかった」と言葉にして、周りとお互いを理解していく過程を大切にしないといけないな、とあらためて気づかされました。

落水洋介さんの講演

「僕は、PLSという病気です。PLSってご存知ですか?Peace Love Smileですよ」

講演が始まって最初の一言に、会場中がほっこりとした微笑みに包まれます。

落水さんの講演にスライド資料などはなく、落水さんのペースでゆっくりとていねいに言葉が紡がれていきます。彼の病気は、徐々に筋肉が動かなくなっていく進行性のもの。口の筋肉も自在には動かないため、独特のゆったりしたテンポが特徴的です。

落水洋介さん

講演のテーマは「前向きは技術」

テンポはゆったりですが、最初の一言のようなたった数文字の言葉で聴衆の心を引きつけ、じっくりと話を聴かせることが上手な落水さん。講演のテーマは「前向きは技術」。

約1時間の講演中何度も「前向きは技術。練習次第で見につくものだ」と繰り返し語る落水さんは「人生で今が一番幸せ」なんだとか。そう思えるようになったのは、PLSという病気になって「当たり前」に友人に会えたり仕事をしたりできることに感謝できるようになったから。

「当たり前」が何かわかることが自分の強みだと言います。

PLSになったからこそ自分の心を満たす選択肢を選べるようになった

落水さんも、最初からポジティブな考えかたができる人ではありませんでした。病気が発覚して最初の2年間は「なぜ自分ばかりがこんな病気になってしまったのだろう」とふさぎ込む日々だったそうです。そこで彼は、毎日の心躍る瞬間をノートに記すようになりました。

すると、病気がなかった頃から「本当は1,000円のランチが気になるけど、なんとなく少し安い800円のランチにしよう」など、日々の選択肢の八割近くを妥協点で選んでいたことに気づきます。

しかし、PLSになって前日よりも今日、今日よりも明日、自分の筋力が落ちていく今。日々のちょっとした選択をする際にも「これができるのは、人生で最後かもしれない」と思うと今の自分のなかでベストな選択肢を選べるようになったそうです。

自分の心を満たす選択肢が何かを見極める力がついたことで、「人生で今が一番幸せ」と自信をもって言えるようになったからこそ「自分と同じような苦しい葛藤を味わう人が一人でも少なくなってほしい」と落水さんは語ります。

「僕は前向きになる努力をしたから今ここで講演しています。前向きは技術ですよ」

と笑顔で、でも真剣に紡がれた一言に、会場内はしんとした静けさに包まれました。

落水さんの話に耳を傾けるスタッフ

笑顔も不機嫌も応援も、伝染する

どの言葉も、落水さんの実体験を伴った真剣なメッセージだからこそ、私たち聴衆の心に響いたのだと思います。

落水さんも三代さん同様に、講演会終了後に私に話しかけてくれました。そして、私の倉敷市での地域おこし協力隊としての活動や倉敷とことこでのライターの活動にじっくりと耳を傾けて、「身体障がいのある仲間の活躍を聞けるのはうれしいです」とにっこりと笑いかけてくれました。

人前で話をする立場の人たちだからこそ、人の話をおもしろがり、互いの活動を応援し合えるのかもしれません。講演でも「笑顔も不機嫌も伝染する」とおっしゃっていましたが、まさに「頑張ろう」という気持ちをくれるお二人とのやり取りでした。

5年越しの夢を叶えた森上美穂さん

今回の講演会「挑戦を諦めない~5年越しの夢とこれから~」は、主催者の森上美穂さんにとって「5年越し」に叶えた夢。

5年前に落水さんと三代さんの講演会に心を打たれた森上さんが、自分の生まれ育った岡山県で二人の講演会を実現させたいとこの5年間奔走したからこそ実現した講演会です。

森上美穂さん

講演会の最後には、森上さんがこの5年間の思い出を振り返りながら涙する姿もありました。演者の二人を含め、会場に集った50名ほどの参加者のほとんどが彼女の5年間の奔走を知っている人たちばかり。

彼女の強い思いに、会場全員が拍手して講演会は閉幕しました。

おわりに

講演の主催者である森上さんに事前にインタビューをした際に「なぜこの講演会を開催しようと思ったのですか」と尋ねると、彼女は「私がお二人の講演を聞いたときに、障がいがあっても自分のやりたいことをやろうと行動するエピソードの数々に勇気をもらったからです」と答えました。

彼女はなぜ「感動」ではなく「勇気」と答えたのか。それは、落水さんも三代さんも自分たちの障がいを悲観した経験をもとに「今自分にできること」を見出し、それを次世代につなごうとしている人たちだからだと、講演に参加することで理解できたように思います。

障がいがあるけれども自分のやりたいことに挑戦している人たちはみな「特別な人」のように見えて「自分には真似できない」と思ってしまいます。しかし、二人は自分たちが健常者であった背景があるからこそ、自分たちの経験の特別さを理解したうえで聴衆に伝えたいこと・実践してほしいことを明確にもって講演していました。

だからこそ、二人の話には説得力があり、自分も今できることに挑戦しようと行動する勇気をもらえるのだと思います。

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