【対談連載】少女歌劇団ミモザーヌ いわむら ゆきね(1期生・団長) ちば ひなの(1期生・副団長) すずき みあい ムェンドワ(1期生・特待生)(上)

【大阪・難波発】早春の頃、黄色い小さな花が集まって鮮やかに咲き誇るミモザ。そんなミモザにちなんで誕生したのが「少女歌劇団ミモザーヌ」だ。団員である10代の少女たちは、20歳で卒団するまで、歌やダンスのみならず日舞や殺陣、華道などの習得にも励む。10代の女性が『千人回峰』の紙面を飾るのは初めてのこと。さぞ華やかな話が満載かと想像していたら、あにはからんや。語られたのは自身への深い探求と分析から生まれた、ストイックでピュアな言葉の数々だった。

(本紙主幹・奥田芳恵)

(写真左から)ちば ひなの(副団長)、いわむら ゆきね(団長)、すずき みあい ムェンドワ(特待生)2024.5.19/吉本興業本社にて

基礎練だけの地道な期間に追い打ちをかけたコロナ禍

――挨拶しながら、3人と向き合って――

芳恵

ああ、本当に華やかですね。周囲が明るくなるようです。まずは、自己紹介からお願いできますか。

いわむら

いわむらゆきねです。団長です。

ちば

ちばひなのです。副団長です。

すずき

すずき みあい ムェンドワです。団員で特待生です。

芳恵

特待生というのは?

すずき

1カ月に1度、東京に行って歌の強化レッスンを受けたり、落語や歌舞伎を観たり、芸事をする上で大切なことを学ばせていただいています。

芳恵

そういう特典があるのですね。皆さん、第1期生ですが入団されたのはいくつの時ですか?

いわむら

私は中学。1年生。13歳でした。

ちば

私は12歳でオーディションを受けて、入団は13歳。中学1年生です。

すずき

私は13歳。中学1年生でした。

芳恵

オーディションはいかがでした?

いわむら

実は「少女歌劇団」という名称から堅いイメージがあって、自分が合うのか悩んだことも…。でも合宿審査で、参加したみんなと練習したことがすごく楽しくて、やってみたいと思いました。

ちば

私、その合宿審査の曲がアイドルっぽくて、「ちょっと自分は違うかも?」と思いつつ、合格できたので、じゃあ頑張ろうかなって。

すずき

その曲、私も「ええ!?」って思ってました。すごくアイドル曲っぽくて。とにかく歌うのが恥ずかしくて、鏡に映る自分の姿も見たくないくらい…。

芳恵

どんな曲だったんですか?

すずき

(少し考えていたが、いきなり歌いだして)M!I!R!A!I! MIRAI!みたいな。

―3人、弾けるように大笑い―

いわむら

まさか歌い出すとは思わんかった!!

ちば

びっくりした!

すずき

だって、歌ったほうがわかるやん。

芳恵

(大笑いしながら)確かに!よくわかりました。

でも、アイドルっぽい曲がイヤだったということは、アイドルを目指していたわけではないと。

いわむら

はい。ミモザーヌ自体がアイドルではなくて“舞台人”としてあるようにと言われています。

ちば

総合演出の広井王子さんからは「普通の青春を味わおうとしてはダメ」だと。

芳恵

いわゆる部活をやったり、友達と遊んだり…というのはダメというわけですね。

ちば

はい。私たちはそれができないんです。学業優先なのでレッスンは土日だけなんですが、そのレッスンのために平日の放課後はずっと自主練で。

すずき

入団して3年間はずっと基礎練習なんです。

芳恵

基礎練習はどんなことをするんですか。

ちば

ダンスだったら、ストレッチ、筋トレ、体幹の鍛錬。歌だったら、発声練習やリズム取りだけで1日が終わることもあります。

芳恵

それが3年間続く…。

いわむら

その上、基礎練が始まってしばらくしたらコロナ禍になって。

芳恵

そうか、コロナ禍の時期だったんですね。じゃあ、レッスンはオンラインで。

ちば

そうなんです。入団してすぐはみんなと対面で練習していたので、会えないのが本当につらかったです。

すずき

先生から厳しいことを言われた時、対面だとみんなで話し合ったりできるんだけど、オンラインでは一人で受け止めるしかなくて。

いわむら

実はその状況に耐えきれなくて、辞めてしまう子もいました。

芳恵

うーん。厳しい。まさに修行だったんですね。

一同

(異口同音に)ああ! そうです。修行でした。

日常生活のすべてがミモザーヌにつながる

芳恵

そういう厳しい期間を乗り切れたのは、どうしてだと思います?

いわむら

残っているメンバーで支え合ったことが大きいですね。

すずき

オンラインのレッスンで顔を見た時に「あ、この子ちょっとやばいかも」って思うと、電話したりして。

ちば

私も、絶対にまたみんなでレッスンしたいと思ってました。

すずき

それと、まだ何もやり遂げてないうちに辞めるのは絶対にイヤだった。もっと学んで何かを成し遂げて、メンバーみんなで喜びたいって。

芳恵

つらい経験でしたが、得るものはありましたか。

いわむら

はい。自分と向き合う時間がすごく増えたので、メンタルはずいぶん鍛えられましたね。

――ちば、すずき、大きくうなずく――

芳恵

コロナ禍の修行とは別に、「私、ここは頑張った!」と思うことってありますか?

いわむら

入団したての頃、広井さんに「ゆきね(いわむらさんの名前)は、全然俺の目に入ってこない」と言われたんです。ショックでしたけど、逆に「ゆきねしか目に入らない」って、絶対言わせてみせる!って(笑)。

芳恵

奮い立ったんですね。

いわむら

あえて人と違うことをしようと、みんながやりたがらないトップバッターを狙ったりしてました。

芳恵

頑張りましたねえ。ちばさんはどうですか?

ちば

基礎練習とかすごく頑張っているのに、全然認めてもらえない期間があって、「これ以上何をすればいいの?」と悩む時がありました。

芳恵

努力が報われないと感じる時期は、とてもつらいですよね。

ちば

だけど、「きっと何かが足りないんだな」と思い直して自分と向き合ってみたんです。それで「自分はここは得意だけど、ここが苦手」って分析して、苦手を補いながら得意を伸ばすことを心がけました。

芳恵

すごい精神力ですね。

ちば

はい。メンタル鍛えられてますから(笑)。

芳恵

すずきさんの頑張ったことは何でしょう?

すずき

自分の歌が上達し始めた頃、ある先生に「きみは声はきれいだけど、面白くないね」と言われたことがあって、すごくショックで…。声がよくて歌がうまいだけではダメなんだって。

芳恵

うまい歌と面白い歌。どう違うんでしょうね。

すずき

うまい歌というのは、音程を外さないとか歌う技術がある。それはそれで悪くはないけど、心に残らなくてただ普通にうまいだけ。でも、そこに面白さが加わると、歌を聴いた瞬間にその人の生き方や人物像が見えてくる。そんな歌が歌えるように頑張っています。

芳恵

皆さん、ものすごく自分と向き合うし、たくさん考えていらっしゃるんですね。

ちば

「常にお芝居につなげられるかどうか考えて」と指導されているんです。歩いたり食べたりという行動を演じるのではなく、いかにナチュラルにできるか。ミモザーヌに入ってから、普段の生活の行動や仕草を意識して考えるようになりました。

いわむら

毎日、頭の中はずっとミモザーヌです(笑)。

すずき

夢の中にもたくさん出てきます。

芳恵

どんな夢なんですか?

すずき

どういうわけか、ほめられた日に限って見るんですけど、「もう舞台に立たないで」って言われる夢。

――いわむら、ちば、「それはきついー」――

すずき

なので、目が覚めてから「もっと練習しなくちゃ」って思います(笑)。

(つづく)

大切なお守り

いわむらゆきね

広井王子さんの奥様がメンバー一人一人に贈られた手縫いのお守り。いつも公演本番前に握りしめて「舞台がうまくいきますように」と祈るという。

日々が綴られたミモザノート

ちばひなの

入団と同時に支給され、レッスンで学んだことや質問などを書いて広井さんに提出する。悔しかったこと、うれしかったこと、ちばさんのすべてが記録されている。

すべての時間を共にしているイヤホン

すずきみあいウェンドワ

「音楽のない日常は考えられない」というすずきさん。家にいる時、出かける時、片時も離すことはなく、もはや身体の一部になっているそうだ。

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

<1000分の第352回(上)>

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