小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=158

 信二は、汗臭い昨日の衣服を着けるのをためらった。しかし良子を見舞うために新しい物と着替えることは、良子を好いているように思われそうで気恥ずかしかった。家の者は洗濯の手間を省くために、たいてい四、五日は同じ作業着で就労していたのである。

「良子さん、どんな」

 信二は、鍬の柄に通して運んできた水樽を、家の入口に下ろして声をかけた。

「信二さんかい、まあまあ」

 寺田とめさんがハンカチで手を拭いながら出てきて、信二を良子の部屋に案内した。薄暗い部屋の片隅で良子は横になっていた。とめさんの石油ランプで照らされた良子の皮膚は、透きとおるほど白かった。髪の毛は赤く生気を失っていた。

「俺、ゆうべ良子ちゃんの夢みたんや。日本にいた頃の可愛い声だった」

 良子はそれには答えず、ランプの反対方向に顔をそむけ、片手で顔を撫でた。その腕は痛々しく、細かった。

「薬、飲んでるんか」

「日本のキニーネ。毎日飲んでんねけど、あかんのや。あれ硬いから消化せんで丸薬のまま素通りしてしまうみたい」

「ブラジルのパルダンの注射が効くというぜ」

「パトロンから借金して打ってもらってるんだけど、どうもパッとしない。近頃はどうかすると一日に二度も悪寒が襲って、布団を何枚かけてやっても震えは止まらないの。特効薬も身体によくめぐらず、注射を打った跡が紫色に腫れてしまい、もう良子のお尻は瘤だらけになってしもた」

 横から、とめさんが付け加えた。

「頑張るんや。雨季が去ればマラリアは治る」

「ジャルジネイロ(乗合バス)が通うようになったら町のお医者さんに連れて行ってもらうわ」

 良子は、顔をそむけたまま細い声で言った。

「お医者に行って一日も早く元気になるんやで」

 信二は、布団の上から良子の背をさすった。良子は泣いているようだった。

 

(四)

 

 どしゃ降りの雨が屋根を叩いていた。天井のない瓦剥き出しの家は、雨音がじかに頭上へ響く。雷雨に眼を覚ました信二は、向かいの炊事場に灯のともっているのを見た。夜中の筈なのに寺田多助夫妻と、他にまだ二、三人のボソボソと話す声が聞こえた。

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