「イタルデザインのワイングラス」と、それを支える職人技:大矢麻里&アキオ ロレンツォの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #18

ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。

photo 大矢麻里Mari OYA /Akio Lorenzo OYA / Italdesign

コンセプトカーの脇で輝いていたもの

「アッソ・ディ・ピッケ・イン・モヴィメント」とは、自動車デザインR&Dで知られる「イタルデザイン」が2024年4月、ミラノ・デザインウィークで公開したコンセプトカーである。1973年に「アウディ80」を基にジョルジェット・ジウジアーロがデザイン、フランクフルト・ショーで公開したショーカー「アッソ・ディ・ピッケ」の誕生50年を記念し、それを再解釈したものだ。

参考までに、イタルデザインは2010年にフォルクスワーゲン・グループへの傘下入りを果たし、ランボルギーニ、ドゥカティなどと同じアウディのユニットに組み入れられた。2015年に創立者ジョルジェット・ジウジアーロが会社を後にしたあとも、イタリアを代表する自動車開発企業として活動を続けている。

デザインウィークの会場では、イタルデザインのプロダクトデザイン部門による自動車以外の近作も紹介された。ここに紹介するワイングラス「テッラTerra」もそのひとつである。

ミラノ・デザインウィークのイタルデザイン・パビリオンに展示されたテイスティング用ワイングラス「テッラ」。
2024年イタルデザイン「アッソ・ディ・ピッケ・イン・モヴィメント」。2023年12月のデジタル公開に続き、1/1のモックアップがつくられた。
1973年「イタルデザイン・アッソ・ディ・ピッケ(手前)」。

その名は「大地」

テッラはイタルデザインがアルタ・ランガ・ワイン生産者組合の依頼を受けて開発したテイスティング用グラスだ。アルタ・ランガはイタルデザインと同じピエモンテ州で生産されているスパークリング・ワインである。イタリア製ワインにおける最上級の格付けであるDOCG(保証付き原産地統制呼称)に指定されている。

イタルデザインは2012年、ジョルジェット・ジウジアーロが同様に彼らのためにテイスティング用グラスを手がけている。約10年後、両者はふたたび手を組んだというわけだ。

テッラのネーミングはイタリア語で大地を示すterraとともに、ラテン語で3を意味する副詞terにも掛け、生産地であるピエモンテの3つの州(アスティ、クーネオ、アレッサンドリア)を示している。それを象徴するように、ボウル部分・プレート(台)部分とも三角形を基調としている。

そのボウル形状はテイスティング・グラスの機能をすべて備えていることに加え、ワインが渦を巻くのを防ぐ。スパークリングの場合、他のワインのテイスティングのようにグラスを何度も回してしまうと、せっかくの泡が台無しになってしまう。飲む人がそれを知らずに回してしまった場合のことを想定しているのである。

イタルデザイン・プロダクト担当部門のトップ、ニコラ・グエルフォ(当時)とリッカルド・マテーラは、「私たちの仕事は、形によって物語を語ることです。これこそがデザインの本質であり、モノの機能を表現することなのです」と開発ポリシーを語っている。そのうえでアルタ・ランガの威信を伝えるべく、ブドウの房、つる、葉といったものの観察だけでなく、スパークリング独特の瓶内二次発酵を行う荘厳なセラーにも足を運んだと回想する。

2012年にジウジアーロがアルタ・ランガ生産者共同組合のためにデザインした「グランデ」。photo : Italdesign
2022年「テッラ」。photo : Italdesign

支えているのは中世からの技術

驚くべきことに実際の製作にあたったのは、筆者の知人ジャンピエロ・ブロージ氏が主宰するクリスタルガラス工房だった。場所は中部シエナ県にある人口2万2千人の町コッレ・ヴァル・デルサ。工房名を「コッレヴィルカ」という。

1脚を作るのに、同時に5人が必要だ。最初の職人が長さ1.5メートルほどの吹き竿を持ち、溶けたガラスを飴を作るように回しながら玉をつくる。それを別の職人に渡して塊を整える。次にイタルデザインによるフォルムを実現するため特別に造られた鋳鉄製の型の中でふくらませる。同時に、他の2人の職人が足とプレートを成形する。そして5人目の職人が、接合用のクリスタルを注入する。

これらの作業を約12分でこなす。まさにマエストロ同士の阿吽の呼吸による賜物だ。ガラスがわずかに冷めたら除冷炉に入れ、5〜6時間かけて480℃から室温へと徐々に冷やしてゆく。グラスの上部を研磨。このあと良品のみを選び、最後にロゴ入れを施す。

比較でしか表現できない筆者の文章力を恥ずべきだが、テッラの妖艶な輝きと透明度を一度見ると、我が家にあるすべてのワイングラスが曇って見える。

そもそもコッレ・ヴァル・デルサのガラスづくりは、中世にさかのぼる。炉の燃料となる森の木、ガラスの原料となる土、川の水など資源に恵まれていたうえ、巡礼路沿いにあり、製品の流通に与したことが町にとって幸運だった。1963年には町内のある工房がクリスタルガラスの製造に成功。イタリア経済の好況に乗って大きく成長した。ジャンピエロ氏の父親が創業した工房も活況を極めた。

しかし事業を引き継いだジャンピエロ氏の時代、成長にブレーキがかかった。ガラス製品の需要は、デリケートな扱いが要求されるクリスタルよりも、食洗機にも対応した普及品に、より比重が移っていったためだった。同業他社がクリスタル製造を捨てるなか、ジャンピエロ氏は「倉俣史朗氏をはじめとする著名デザイナーとの協業や、新興富裕国を開拓することで、クリスタルに新たな市場と活路を見出したのです」と説明する。今回のイタルデザインとのコラボレーションも、まさにそうした彼の努力の成果のひとつといえる。

コッレ・ディ・ヴァル・デルサは、フィレンツェから南約50キロメートルにある町。
町の入口には「クリスタルガラスの里」を示す表示が。町は今日でもクリスタルガラス生産では、国内95%、世界でも14%のシェアを占める。
「コッレヴィルカ」の工房内。テッラとは別のクリスタル製品製造風景。

メイドイン・イタリーの原動力はコラボレーター

かくもワイングラス「テッラ」は、伝統工房との協業で完成した。自動車に話を戻せば1968年、カロッツェリアとしては後発で、ベルトーネのように自社の車体生産工場も持たないイタルデザインが成功したのには理由があった。マスターモデル製作を20世紀初頭から手がけていた「ストーラ」をはじめ数々の専門工房がトリノに存在したからであった。さらに遡れば、トリノのカロッツェリアは馬車工場に行き着く。
イタリアのものづくりの底力は、こうした歴史に裏づけられたコラボレーターたちの層の厚さなのである。

ルーマニア出身のマリウス氏(右)と日本出身のマサノリ氏(左)。絶妙に呼吸を合わせ、またたく間にフォルムをつくってゆく。
コッレヴィルカを主宰するジャンピエロ・ブロージ氏。

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