西東京市で、保谷市の名残を見つける旅

2001年に田無市と保谷市が合併して、西東京市が誕生した。前回のこのコラムでは、その西東京市の旧田無市地域を歩き、田無市の名残を見つけて回った。同様に、旧保谷市地域にも保谷市の名残があるのだろうか。

まずは東伏見駅周辺で保谷市の名残を探す

田無に比べると、私自身の保谷へのなじみは薄い。私の地元が田無駅のある西武新宿線沿線で、保谷駅は西武池袋線の駅だからだ。しかし、西武新宿線の東伏見駅、西武柳沢駅も旧保谷市に属する駅と聞き、まずは東伏見駅に降り立った。

ところが、駅一帯がまるまる旧田無市の遺構であった田無駅に比べ、東伏見駅周辺に保谷市を思わせるものは何ひとつ残されていなかった。保谷市時代から存在していたであろう看板も、きっちり西東京市に修正されている。

東伏見駅南口付近の看板。色あせ、落書きもされてしまっている中で、「西東京市」だけが妙に目立つ。

ブックポストも、団地の案内看板も、まるで「昔から西東京市でしたが、何か」と言わんばかりの表記である。

東伏見駅構内のブックポスト。23年以上経過していそうな見た目だが、前面の透明アクリル板の「西東京市」には修正された跡がない。
昭和に作られたかのような看板に「西東京市」の文字。もしかすると昔から西東京市だったのかもしれないと錯覚する。

少し寂しい気持ちになってうつむくと、そこには保谷市章の入ったマンホール蓋があった。

西東京市設置のものより、保谷市のマンホール蓋のほうが多い印象である。

デザインマンホールや防火水槽蓋、道界の金属プレートなど、地面には保谷市の名残が多く残されているのだった。

保谷市の鳥・花であるシジュウカラとサザンカがあしらわれている。こちらのカラーマンホールは保谷駅から徒歩5分、あらやしき公園近くの路上に設置。
年季の入った防火水槽蓋もやはり保谷市。
土地の境界を示す金属プレートにも保谷市。

西武柳沢駅周辺は「保谷市度」が高い?

東伏見の名所である東伏見稲荷神社に参拝した後、柳沢地区から西武柳沢駅に向かって歩みを進めていくと、看板やアパートの住所表示など、保谷市の名残がちらほら現れ始めた。

柳沢付近を歩いて、ようやく発見した保谷市の名残看板。
アパート入り口に掲げられる旧住所。「柳沢」は町名変更がなかったので支障はなさそう。

西武柳沢駅前の団地、

西武柳沢駅前の団地看板。この深緑色の背景に合わせて文字を修正するのは難しそうである。

駅南口から延びる道路に設置された彫刻、

西武柳沢駅前から南に延びる道路には彫刻が設置されている。「西東京市公民館だより」(2021年2月号)によれば、設置時期は合併前の1991~92年ということで、保谷市の名が残る。

駅北口の駐輪禁止看板など、西武柳沢駅周辺は東伏見駅に比べて保谷市度が高くなっている。

西武柳沢駅北口の看板。保谷市と西東京市が混在している。

「西東京市」に修正されたはずの看板の文字も、剥がされたか劣化したか、保谷市が透けて見えるのだった。

きちんと西東京市と修正されていたはずが、うっすら保谷があらわれている。

シジュウカラもまた保谷市の名残

西武柳沢駅からバスに乗り、西武池袋線・保谷駅へ移動してみる。保谷駅周辺も再開発が進み、保谷市を思わせるものはなかなか見当たらない。しかしきっちり西東京市に修正されているようでも、保谷市の鳥であるシジュウカラが残されるなど、どこか微笑ましい看板なども見つけることができた。

保谷地区にいくつか見られる生産緑地地区看板。市名はきっちり修正される一方で、シジュウカラは放置されている。かわいいからいいか、という感じか。

この生産緑地地区看板もそうだが、旧保谷市時代からあるものに、シールを貼って「西東京市」に修正しているケースがとても多い。先に述べた東伏見駅周辺もそうだが、旧田無市地域に比べ、旧保谷市地域ではこの修正がきっちり行われている印象だった。

時を経てうっすら存在感を増す「保谷市」

ところが、である。この「西東京市」修正が多く行われている道路標識やカーブミラーのポールに、ある異変が生じていた。そもそも修正すら行われていないポールもごくたまにあるが、

保谷市のまま丸ごと残っているのは比較的珍しい。

多くは「保谷市」表記の上に「西東京市」シールが貼られている。

上からテープが貼られてきちんと修正されているが、うっすら透ける保谷の文字……。

しかしよくよく見ると、下の「保谷」がうっすら透けているのだ。

この透け具合が、合併から23年を経て進行してしまっているように見える。多いのが、西東京市の「東」と「京」の間から保谷市の「谷」が透けて見える「西東谷京市」タイプ。

一番多いのがこのタイプ。

もともとの「保谷市」の上に番号が振られているところに「西東京市」を重ねてしまったため、結果全てがズレて「西保東谷京市市」になってしまったタイプ。

ここまでくると、何が何だか分からない。

果ては、なぜこうなってしまったのか全くわからない「保東京市」というバージョンも発見できた。

なぜそうなった? 西東京市の「西」はどこへ行った? 謎が深まる表記。

もはや忘れ去られてしまったかと思われた保谷市が、時を経てうっすら存在感を増している。今後もこうした歴史の証拠物があちらこちらから発掘されるのかも知れない、と思うと、少し楽しみでもある。

イラスト・文・写真=オギリマサホ

著書一覧

オギリマサホ
イラストレータ―
1976年東京生まれ。シュールな人物画を中心に雑誌や書籍で活動する。趣味は特に目的を定めない街歩き。著書に『半径3メートルの倫理』(産業編集センター)、『斜め下からカープ論』(文春文庫)。

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