「白鳳伽藍」復興に尽力 奈良市の薬師寺で高田好胤元管主の二十七回忌法要

高田好胤元管主の二十七回忌法要=21日、奈良市西ノ京町の薬師寺

 奈良市西ノ京町の薬師寺で白鳳伽藍(がらん)の復興に生涯をささげ、1998年に亡くなった高田好胤元管主の二十七回忌法要が21日、始まった。23日まで。

 初日の法要は約250人が参列。食堂(じきどう)の本尊「阿弥陀三尊浄土図」前の祭壇には、高田師の遺影と生前着用していた法衣が飾られ、加藤朝胤管主が導師を務め僧侶7人が読経。お写経結縁代表2人による写経奉納、高田師ゆかりの遠州茶道宗家家元の小堀宗実宗匠による献茶などが行われた。

 加藤管主は「お写経勧進を通し心の種まきを実践し給う。全行脚その数8072回に及ぶなり」と高田師を讃える表白文を読み上げた。

 法要後は小堀宗匠による講演があり、「父の宗慶と高田和上の交流が縁となり花会式で献茶のご奉仕をさせていただいている。父のお供でいろいろな場所へご一緒した」と高田師との思い出を語った。

 加藤管主は「自分に厳しく人に優しい人。勉強熱心で努力を惜しまない人だった」と話した。

 高田師は67(昭和42)年、管主に就任して写経勧進を発願。100万巻を達成して76(同51)年に金堂を完成させるなど、白鳳伽藍の復興に尽力した。仏法の種をまこうと18年間にわたって修学旅行生に法話を続けたほか、太平洋戦争の戦没者慰霊のため全国各地を回った。

 命日にあたるきょう22日の大導忌は、法徳寺(奈良市)の倍巌良明住職が導師を勤める(満席)。23日は観世流能楽師の観世喜之さんと観世喜正さんが追善能を奉納する(若干席あり、要申し込み)。期間中は西僧坊で「写真と書作でたどる 好胤和上の足跡と教え展」も開催中。観覧無料(要拝観料)。

 申し込み、問い合わせは薬師寺、電話0742(33)6001。

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