テツandトモが語る『爆笑オンエアバトル』25年後の真実「楽屋では誰ともしゃべりませんでした」

テツ(左)とトモ。トモは「声をかけていただいたときは、チャンスだと思いましたね」(写真・福田ヨシツグ)

1999年3月、NHKがスタートさせたお笑い番組『爆笑オンエアバトル』(オンバト)。

芸人たちがネタを披露し、観覧客100人が「オンエアしてもいい」と思えばボールを1個投票。芸人の人気や芸歴に関係なく、得票数上位に入らないとネタが放映されない(オフエア)という「史上最もシビアなお笑い番組」(番組キャッチコピー)だった。

放送開始当時は、お笑い“冬の時代”。芸人がネタで競う全国レギュラー番組は、『オンバト』しかなかった。

数度のリニューアルを経て2014年まで続いた『オンバト』には、計907組の芸人が出場し、オンエアを果たしたのはこのうち462組に絞られた。

今回は、2010年4月に『オンバト+』にリニューアルされる前の“最盛期”に活躍したコンビを直撃。25年後の真実を語ってもらった!

「世に出るきっかけを与えてくれた番組ですから、今でも感謝しています」

と口を揃えるのは、番組初期に大活躍したテツandトモ(オンエア20回/出場23回)。赤ジャージのテツ(中本哲也)と青ジャージのトモ(石澤智幸)が語る。

テツ「僕らは放送第2回から出ていました。一緒に出ていたのはアンタッチャブルさん(20回/22回)やダンディ坂野さん(7回/22回)、はなわくん(15回/20回)とかね。おぎやはぎさん(13回/18回)もいました」

オンエア率は87%と、屈指の勝負強さを見せた。

テツ「もっと負けていたような気がしますけどね。僕らは漫才でもコントでもない、特殊なコンビですし(笑)」

トモ「僕らが『オンバト』に出たのはデビュー1年後くらいの時期。声をかけていただいたときは、チャンスだと思いましたね。NHKの全国放送ですから、日本中の方に知ってもらえる。ドキドキワクワクしました」

テツ「ディレクターさんにスタジオを見学させてもらって、『ここから、お客さんがゴルフボールを転がして採点するんだ』って聞いたとき、『え、そんなアナログなの?』って驚いたんですが(笑)、始まってみれば、画期的だなあと、すごく感心しました」

トモ「緊張したよね。最初は12組の芸人さんが出て、うち7組がオンエアだったのかな(のちに10組中5組に)。負けたら敗者コメント取られて終わりですから、勝ち残るために『なんでだろう~』以外のネタもやっていたんですよ。『♪みんなで重い物を持つときに手を添えてるだけの奴』とかを歌った、『必ずいるんだよね』という“あるあるネタ”でしたね(笑)」

当時、しのぎを削ったライバルたちのことも、印象的だったという。

トモ「ますだおかださん(17回/17回)とか、ラーメンズさん(13回/17回)、アンジャッシュさん(17回/20回)……ほかにもたくさんいらっしゃいますけど、確実に一枠を持っていかれる先輩がたくさんいましたね」

テツ「もう解散されましたけど、ツインカムさん10回/10回は強かったですね。あとは、ドランクドラゴンさん16回/19回。ライブでご一緒していて、すごくおもしろいのは知ってるから、敵わないなあと思っていました」

楽屋ではどんな感じだったのだろうか。

トモ「『オンバト』に出ていたのは28歳くらいだから、まわりの先輩芸人たちは年下だったんですよ。知り合いがいないし、誰ともしゃべりませんでした。地方収録の打ち上げ以外は、飲みに行ったことは1回もないですね」

テツ「楽屋でも、誰かボケたらバーッとまわりがツッコむ。でも、僕らはなかなか輪に入れない(笑)。ずっと芸人目指してきた人は、引き出しの数が僕らとは違うなあと思っていました。『オンバト』のあとはいろんな番組に呼んでもらったんですけど、僕らが得意なことは、フリートークじゃなくて、やっぱり舞台だったんです」

トモ「当時は、まわりはライバルでしたね。でも先日、ますだおかだの増田(英彦)さんとご飯行ったら、『オンバト』の話がもう止まらない(笑)。当時は、増田さんと話したことなんてほぼないですから。ストイックな方で、いつもネタ考えてて。“話しかけるなオーラ”を感じていました」

テツ「僕らとはキャリアも違いますしね。最近になってからですよ。昔の話で、みんなとコミュニケーションを取れるようになったのは」

オンエアがかかっているだけに、芸人はみんな必死だったのだ。

トモ「オンエア回数が多いと出られるチャンピオン大会が目標で、毎日ネタ作りして、練習の毎日でした。出場が叶って、決勝でネタやったときは達成感がありましたね」

テツ「もうオンバトのためだけに生きてました(笑)。僕の出身である滋賀の田舎でも放送されるわけですから。親も、親戚も友達にもテレビに出ている姿を見せられる。これも大きかったですね」

観客が採点する『オンバト』のシステムは、「素人に何がわかる」と嫌う芸人も多かった。

トモ「採点方式には、特に何とも思わなかったですね。ライブに出て盛り上がる感じを、そのままやれればいいなと思ってました。ただ、その場でウケても、その空気をテレビの向こうの視聴者にも伝えないといけないんで、難しい面はありましたね」

テツ「当時はテロップも入らないですし、笑い声を足してるわけじゃない。ホントにそのままのガチの空気なので、スゴい番組だと思ってました。そこでお客さんから票が入って、オンエアされれば自信になるし、モチベーションが上がる番組でしたね」

トモ「審査員のお客さんが一言コメントを書いた『ジャッジペーパー』というのがありました。あれ、読まない方もいましたけど、僕らはぜんぶ読んでいました」

テツ「生の意見ですからね。どういうふうに見ているのかなって参考にしていました」

トモ「やっぱり『オンバト』がなければ、僕らはこんなにもネタを作らなかったと思います。今も仕事の中心はテレビじゃなくてお客さんの前、イベントや寄席、営業ですから。『オンバト』が、僕らの基礎を作ってくれたのは間違いないですね」

トモ「僕らもいわゆる“あるあるネタ”ですから、他の芸人さんとネタが被らないようにもしてましたね。いつもここからさん(14回/16回)には、絵であるあるネタをやってたんで、電話して『こういうネタやった?』とか確認したりしてました(笑)。知らずにやっちゃうと、ファンの方に『パクった!』とか叩かれちゃうんですよ」

テツ「それでもかぶることはあるんですけどね。当時はSNSがなくてよかったですよ」

テツandトモにとって、『オンバト』は本当に大切な場所だったという。

トモ「『オンバト』がすべての始まりなんです。『めちゃイケ』に呼んでいただいたのも、キャスティング担当者が『オンバト』を見てくださっていたから。その『めちゃイケ』が、アニメ『こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)』のエンディングに『なんでだろう~』が起用されるきっかけになって、子供たちに僕らのネタが広まって……ぜんぶ繋がってるんですよね。その最初のきっかけが『オンバト』だったんです」

『オンバト』の放送開始、テツandトモの初出場から25年。今も2人は、舞台狭しとパフォーマンスを繰り広げている。

トモ「『なんでだろう~』は、僕がトイレの中で思いついただけですし(笑)。それで、営業で全国回って、舞台でネタをやるのは本当に楽しいんですよ。『テレビに出られないから営業してる』『消えた一発屋芸人』とかずいぶん言われましたけど、今は、初対面の人を笑わせる営業への見方が変わってきたと思います。小島よしおくんも子供たちに人気ですし、本当にありがたいですよ」

データ提供・ANKEN

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