追悼・桂ざこばさん 「同じ演目」でも「同じ噺」はない“ざこば落語”の真骨頂(本多正識)

桂ざこばさん(C)共同通信社

【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#196

桂ざこばさんの巻

◇ ◇ ◇

上方落語界の重鎮、桂ざこばさんが亡くなられました(享年76)。

感極まれば人目もはばからず涙を流す、喜怒哀楽をストレートに表現される個性は本当に貴重な存在でした。怒ってらっしゃる時は取り付く島もなく、怒りが静まるのを待つだけ。相手が政治家であろうが先輩であろうが、ご自身の尺度で「悪いヤツは悪い! ええヤツはええ!」という立ち位置を変えない。これはなかなかできることではありません。その根底にあったのは「俺は落語家や。テレビやラジオがなくなったて舞台があるわい!」という“落語家のプライド”と“高座へかける熱い思い”ではなかったでしょうか。

私も15年以上番組をご一緒させていただきましたが「いつ降ろされたってかめへんねん。しがみつく気はないさかい」といつも本音で話をしておられました。その後すぐに「けど、ホンマになくなったら大変やけどな(笑)」と笑いに変えてらっしゃいましたが、本気だったと思います。

感激屋で涙もろく、学校や役所の怠慢で子供さんが命を落とされるようなニュースになると、「やることやれよ! 話、聞いたれよ! それが仕事ちゃうんかえ……かわいそうに」と途中から涙で声を詰まらせることも数え切れずありました。政治家の汚職などには机を叩きながら「おまえらなにしに議員やっとんねん! やめてまえ! アホンダラ!」と体を震わせて怒ってらっしゃいました。

本芸の高座でも登場人物に感情が入りすぎて、感極まって涙でむせて言葉が出てこないこともありましたが、これこそが「ざこば落語」の真骨頂!

埋もれて誰もやらなくなっていた噺を再構成して現代に通じる噺につくりあげられ、どんな高座でも変わらぬ高いクオリティーで安定した噺を演じられ、その噺が「教科書」と言われた米朝師匠とは真逆で、同じ演目でもその時の高座によって感情表現が変わっておられたので一度として「同じ演目」でも「同じ噺」はありませんでした。だからこそ多くの方が「今日のざこば」「生のざこば」を見に独演会へ足を運ばれたのだと思います。

朝丸時代は「ウィークエンダー」のリポーターとして活躍し、知名度は全国区でしたが、その間も高座は欠かさず、軸足は常に「落語」に置いておられたざこばさんでした。次回はざこばさんの師匠愛についてお話しさせていただきます。

(本多正識/漫才作家)

© 株式会社日刊現代