“裁判官の会議”は「見られたら、とても恥ずかしい」… 現職の敏腕判事の“勇気ある発言”を待ち受けていた「運命」とは

裁判官の会議の知られざる実態とは?(※画像はイメージです。Gearstd/PIXTA)

今年4月、現職の裁判官、しかも津地方裁判所民事部のトップの裁判長(部総括判事)が、国を相手に「違憲訴訟」を提起する意向を表明し、話題になっている。

竹内浩史判事(61)。元弁護士で市民オンブズマンを務めた経歴があり、弁護士会の推薦により40歳で裁判官に任官し、かつ、自らブログで積極的に意見を発信する「異色の裁判官」である。

本連載では、竹内判事に、裁判官とはどのような職業なのか、裁判所という組織がどのような問題点を抱えているのか、といったことについて、自身の考え方や職業倫理、有名な事件の判決にかかわった経験などにも触れながら、ざっくばらんに語ってもらう。

第5回のテーマは、裁判所の内部で行われるさまざまな「会議」について。どのような「実態」があるのか。参加者として業務改善に向けた「提案」や「質問」をしたらどんなことが起きるのか。以前と比べて改善された点はあるのか。竹内判事が自身の経験を基に赤裸々に語る。(全6回)

※この記事は竹内浩史判事の著書「『裁判官の良心』とはなにか」(弁護士会館ブックセンター出版部LABO刊)から一部抜粋・構成しています。

裁判所は「会議が下手」

裁判所で最も重要な、最高裁・各高裁・各地裁・各家裁の「裁判官会議」の実情について述べる。

かつて、どこかの弁護士会が裁判官会議を傍聴したいと希望を出したが、裁判所からにべもなく断られたそうである。そりゃそうだろうと思った。見られたら、とても恥ずかしい。

裁判所の会議の「あり方」は、弁護士会はもとより、民間企業などと全く異なるように思う。

裁判官会議の議題は、5~10分程度で終わってしまう。

主要な議題は、その裁判所における事務分配(各裁判部・裁判官への事件の配点ルール)・開廷割(各裁判部・裁判官が何曜日にどの法廷を使用する権限があるか)を規定する裁判所規則の審議・可決である。

簡単に変更点を説明しただけで、議長である長官・所長の「よろしいでしょうか」の一言で可決される。

私はこれを株主総会の「シャンシャン総会」以下の「シャンシャンのシャンの音も聞こえぬ」裁判官会議と呼んでいる。このようになるのは、事前に根回しをして、事実上、成案を確定してしまっているからである。

裁判官会議で“勇気を振り絞って”「提案」「質問」をしてみたら…

それでも、私の経験では2回だけ出席裁判官から改正案や質問が出たりしたことがあった。

1回目はさいたま家裁の裁判官会議である。少年審判を担当していた大ベテランの裁判官が、同じ少年に対する後続の事件は、なるべく同じ裁判官に配点する規則に改正したらどうかというような提案だった。

私はもろ手を挙げて賛成した。なぜなら、私も東京高裁で、同一当事者間の同一日に言い渡された離婚訴訟と関連訴訟(その内容によっては、現行法では家裁で併合審理できるが、当時は地裁の管轄で、別の事件記号が付され、基本的に併合審理はできないものとされていた。)の記録が控訴審に同時に届いた場合などに、連番の事件番号を付した上で別の民事部に配点していたことを極めて不合理に感じ、改正案を考えた経験もあったからである。

しかし、突然の提案だったため、他の裁判官には顧みられず、否決された。

2回目は、私自身が勇気を振り絞って疑問を提起した質問である。

横浜地裁に転勤して最初の裁判官会議で、私の転入を含む4月1日付けの事務分配の改正が、あろうことか所長の臨時「応急措置」で行われており、その追認を求められたからである。

事務分配は裁判官会議の最重要議案である。それも、4月1日の定例の異動に伴う大改正である。

所長に権限を委譲し続けて最後に残った最重要議案まで、たとえ形式的になっていたにせよ、裁判官会議の議決権を奪うのか。

私は驚愕(きょうがく)して予定外の質問をせずにはいられなかった。

「前任地のさいたま地家裁では、3月に臨時裁判官会議を開催して毎年恒例の4月の事務分配改正案を議決していた。臨時裁判官会議を横浜地裁ではなぜ開けないのか。

たとえば、支部が遠方にあり、転勤直前の時期だから、裁判官全員が本庁に参集するのが難しいとか、何か事情があるのならば教えていただきたい。」と。

これに対する議長であった所長の発言には更に驚愕した。開口一番、「君はこの議案に反対なのか!」と一喝してきたのである。

私はひるまずに「そういうわけではありません。ただ、事情を知りたいだけです。」と応答した。しかし、結局、事情の説明はされなかった。おそらく、所長は、私のような問題意識をまったく抱いていなかったため、答弁不能だったのだろう。

その晩に開催された裁判官懇親会では、私より年配の弁護士任官者から「あんたの言うとおりだ。」と賛意が示された。その後、未確認情報ではあるが、私が大分地裁に転出した直後、横浜地裁でも3月に臨時裁判官会議を開くようになったと聞いた。

竹内判事が裁判官会議で「勇気ある質問」を行った横浜地裁(コン太くん/PIXTA)

形骸化している年2回の「定例の裁判官会議」

ちなみに、定例の裁判官会議は年2回で、毎年6月頃までと12月頃と、どの裁判所でも相場が決まっている。

しかし、この時期には何も重要な議題はないので、なおさら裁判官会議は形骸化し、審議事項としての議案が皆無ということも多い。所長の応急処置を報告する程度で終わってしまう。

この程度の会議に支部を含む全裁判官が参集しなければならないのだから、むしろ負担になっている。

実際には、新型コロナウイルス蔓延(まんえん)までは、全裁判官が一堂に集結する年数回以下の機会なので、晩まで待ってその時期に見合った名目の懇親会(歓迎会・忘年会・送別会)を開催することが多かった。新型コロナウイルス蔓延後は長らく、それさえも開催しなくなってしまった。

“コロナ禍”以後「無駄な会議」が激増中…

このような無意味な会議を開催する一方で、無駄な会議が新型コロナ蔓延後に激増中である。

設備が少ないため制約が多かったテレビ会議システムのみならずウェブ会議やズーム会議も利用できるようになったため、会議のための参集が不要となった。その反面として、交通費等の予算措置が不要となったので、実に気軽に新たな会議を立ち上げ、最高裁や高裁主催の会議を複数種類、毎月のように開催するようになった。

その多くは、審理方法の改善であるが、そう簡単に成果が出るものではない。

時間帯を日中に設定すれば貴重な開廷日が潰れる。また、夜間にすれば裁判所が他方で標榜している「ワーク・ライフ・バランス」と真っ向から矛盾する。

したがって、このような会議は極力設定すべきではないと思う。

このような会議も一応は「自由参加」の形を取っている。また、名古屋地裁から「津と岐阜は大変だろうから、名古屋が出席して議事録メモを送ってあげる」と大変有難いご配慮をいただいた。

しかし、それを真に受けて、裁判を優先して一度だけ欠席したら、「津はなぜ参加しないのか」という「天の声」がどこかから降りて来て、結局は毎回参加せざるを得なくなった。

要するに、「裁判をしない裁判官」が裁判自体や裁判官の私生活の邪魔をしているようなものである。しかし、こうした会議を一生懸命に開催することがどうも評価されるようだ。

「改善されてきていること」もある

他方で、以前と比べて改善されてきていることもある。

かつて、最高裁は、水害訴訟・原発訴訟・集団的労働訴訟などの担当裁判官を集め「裁判官会同」を行っていた。問題の大きい制度があったが、現在は存在しない。

「裁判官会同」では、係属中の裁判を抽象化した事例を出題して、出席裁判官たちに議論をさせた上、最後に事務総局付の裁判官が「最高裁の見解」なるものを発表し、内部資料として冊子にまとめ、下級審に配布するといったことを行っていた。

このようなことは、裁判官の独立を侵害し、三審制を無意味にするものであることは明白であろう。しかし、誤った「正解志向」の下にあった当時の最高裁事務総局の「裁判をしない裁判官」たちは、このような誤った「指導」を下級審に対して行っていた。

その事実が社会に広く知られて指弾を浴びた。

現在は、主として司法研修所において、たとえば「行政訴訟」、「建築訴訟」、「医療訴訟」あるいは「労働関係事件」といった分野別の研究会を開催している。

全国の裁判所から参加希望者を募り、所属裁判所や裁判官経験を考慮してバランスよく選定された参加者から、あらかじめ出題を募り、事件が特定されるような出題を避けてなるべく抽象化しながら議論を促すように配慮している。

当局が最後にまとめの意見を示すようなこともない。

私も十回近く参加しているが、特に問題を感じたことはない。その点は、最高裁の下にある司法研修所を信頼している。

司法研修所の教官たちは、法律問題のみならず社会科学・自然科学全般にわたってよく勉強しており、講師や演題の設定に関しては、その識見に敬服することも多い。裁判官の研修から司法修習生の教育まで含めて、「裁判をしない裁判官」の中では、よく頑張っていると思う。

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