【社説】沖縄慰霊の日 戦争の痛み、分かち合おう

 沖縄はきょう「慰霊の日」を迎える。太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が組織的な戦闘を終えてから79年。糸満市の平和祈念公園で全戦没者追悼式が営まれる。

 多くの住民が犠牲となり、米軍の戦史に「ありったけの地獄を一つに集めた」と刻まれた戦いである。広島、長崎の原爆被害などと並ぶ惨事だが、国民に広く知られているとは言えない。

 世界が戦禍に揺れ、日本にもその足音が聞こえる今だからこそ、私たちは79年前の沖縄をよく知る必要がある。むごたらしい戦争の犠牲者に思いをはせ、改めて不戦を誓い合うきっかけにしたい。

 連日悲惨なニュースが届くパレスチナ自治区ガザの死者数は、戦闘開始8カ月で3万7千人を超えたという。単純比較はできないが、沖縄戦では3カ月で日米双方の20万人以上が命を奪われた。犠牲の大きさをまず胸に刻みたい。

 そのうち約10万人は住民だったことが悲劇を色濃くした。当時の沖縄県民の4分の1とも言われる。10代半ばで動員され、戦地を逃げ惑った少年少女も少なくない。

 沖縄国際大の石原昌家名誉教授が聞き取った証言集は、残酷で不条理な戦争の実情を伝えている。

 自決しようと3人で互いに首を絞め合い、娘だけが亡くなった親子。目の前で話をしていた相手が、砲撃で瞬時に吹き飛んだこと。戦死者の隣に横たわり、死臭をまといつつ2カ月を過ごした少年兵。生き残った人々の心身にも大きな傷を残した事実は重い。

 残念ながら、今の日本で沖縄戦への関心や理解は十分とは言い難い。NHK放送文化研究所が2022年に実施した全国調査で、沖縄慰霊の日が6月23日と知っていた人は27・4%と3割に満たなかった。沖縄県民は9割以上が知っていたのとは対照的だ。

 沖縄が本土防衛の「捨て石」とされた構図は今にも通じる。国が県民の反対を押し切り、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を強行しているのは、その象徴と言える。

 台湾などで有事があれば、またも沖縄が最前線になりかねない。実際に先島諸島ではシェルター整備や、住民を九州各県と山口県に避難させる計画が検討されている。身近でリアルな問題と捉えたい。

 広島や長崎の被爆者と同じく、沖縄戦も体験を語れる人が年々減っている。重い教訓を風化させず、日本人全体で受け継いでいくべきだ。

 若い世代への地道な継承が基本となる。各自治体の郷土史から戦争関係を横断的にまとめた書籍も刊行されている。家庭や学校で沖縄戦を話題にすることから始めたい。

 糸満市では、住民らが避難した地下壕(ごう)の内部を3Dデータ化する取り組みが進む。こうしたデジタル技術や人工知能(AI)の積極活用も、今後一層求められる。

 沖縄には「肝苦(ちむぐり)さ」という方言がある。他人のつらさ、苦しみをわがことと感じることだ。沖縄の苦難を共有し、不戦と平和への誓いを世界にも発信する。それが戦後80年に向けた日本の役割である。

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