“手役アーティスト”森山茂和72歳「AIにできない味のある切り方ができてこそプロ雀士」【前編】

国内最大のプロ麻雀団体を率いる森山茂和

【レジェンド雀士からの金言】麻雀ブームの今こそ、その礎を築いた男たちの声を聞け――レジェンドが自らの麻雀人生や勝負哲学、後輩への思いを余すところなく語り尽くす特別連載。2人目は麻雀界を発展させてきた名プロデューサーにして日本プロ麻雀連盟・現会長、そして“手役アーティスト”の森山茂和(72)だ。団体内では歯に衣着せぬ辛口で闘魂注入する“カミナリ親父”的な存在でもあるが、まずは激動の時代や“ミスター麻雀”こと小島武夫(享年82)との思い出を振り返りつつ、その美学を明かしてもらった。

5人兄弟の末っ子として山口県で生まれ、中学では剣道部、高校ではサッカー部に所属するスポーツ少年だった。「麻雀を始めたのは大学に入った18歳の時。麻雀をやっているやつが私にルールを覚えさせて、カモにしようとでも思ってたんじゃないですかね」と笑うが、大学卒業後、実家の玩具店を手伝っていたものの、麻雀熱が冷めることはなかった。

当時麻雀プロ団体はまだなく、新聞や麻雀専門誌に登場した誌上プロを“麻雀プロ”と認識していた時代だった。

「麻雀新撰組(※)の小島(武夫)先生たちは別格として、雑誌に出ていた若手プロといわれる人たちのレベルってこの程度かと思い『だったら俺がプロになってやろう』と上京したのが、今でも忘れない1977年2月22日。プロになったところで飯が食える保証なんてひとつもないのに、血気盛んでしたね」

東京で競技麻雀会に出場していた折、すでにスター的な存在だった小島の事務所に、縁あって泊めてもらえることになった。

「第一印象は、粋で破天荒な人(笑い)。その日以来、優しくしていただき、事務所に気楽に出入りさせてもらえるようになったんです。小島先生からは、締め切りに間に合わないから書いてくれない?なんて原稿を頼まれたこともあり、週刊アサヒ芸能からは小島先生の後釜で、何切る連載をやらせてもらいました。周りからは小島武夫の弟子と言われたこともありましたが、小島先生は『森山君は弟子じゃない、仲間なんだ』と言ってくれていました。うれしかったですね」

ミスター麻雀はボートレースやカジノも好んだ。

「晩年、小島先生は韓国のカジノで大負けしたことがあり『なんでそこまで負けるんですか?』と聞いたら『みんな後ろで見ているんだよ。小島武夫がちまちま張るわけにはいかないだろ』と言ってガハハと笑うんです。勝つこともあったんでしょうけど、結局はやめない人。勝つまでやめないのではなく、負けるまでやめない人だったんですよね」

23歳の頃、麻雀論文を募集していた近代麻雀に応募した。

「運やツキといった目に見えない部分をどう感じ、どう捉えていくのか。そこにこそ麻雀の奥深さがあると思い『麻雀は運である』というテーマで応募しましたね」

森山論はこうだ。

「運やツキを感じるためには自分の中に“レーダー”を持ち、どう反応していくのかを指針とし、基本的にはツイていると感じた時はGO。ツイていない時はストップ。ツイていれば、流れのままにまっすぐ手牌を進めていくのが基本、アタリ牌をつかまないのが真理なのです。読みの知識やそれに基づく技術を持っていることはプロなら当然。それを踏まえた上で流れを読み、レーダーで得た情報を加味して総合的に打っていくゲームであると書きました」

半世紀たった現在も、この考え方は変わっていない。

「目に見えているところだけで戦っているようでは、それこそAIに学習させれば、効率のいい切り方をしてくれるでしょう。でも味のある切り方はできないはず。味のある切り方ができてこそプロの存在価値につながると思うんですよね」

異名は“手役アーティスト”。

「いつも『一打入魂』という気持ちで打っています。第1打からその局が終了するまで1枚の絵を描くイメージ。手順を尽くした美しい芸術作品をどれだけ多く作れるか。ラクな手牌ではない時こそ、なんとかしようとするのが麻雀だと思っているんですよね」

CS放送「MONDO TV」の麻雀番組「モンド麻雀プロリーグ」には2001年から20年以上出場。視聴者に語り継がれる名場面も数多く生み出してきた。

「小島先生がよく言っていたことは、誰が打っても変わらないアガリではプロとしての価値はない。私も同様で、常に自分らしく打つことは大事にしてきました。自分らしくというのは、自分でこう打つと方針を決めたらその通りに打つ。だからホンイツを狙っていたはずなのに、途中で楽な道を選んでやめたら、結果的にホンイツになっていたというようなことは本当に嫌なんですよね」

後編に続く

※麻雀新撰組=1970年に作家の阿佐田哲也を中心として結成された麻雀グループ。小島武夫や古川凱章らが在籍

☆もりやま・しげかず 1951年11月6日、山口県生まれ。専修大学卒業。主な獲得タイトルは第9期王位、第12期最強位、第6回MONDO21杯、MONDOプロ麻雀リーグ第17回名人戦、第3・6・7・12・13・16回天空麻雀など。著書に「麻雀プロはこう読む」。北海道から九州まで全国12か所に支部を構え、約900人が所属する日本プロ麻雀連盟の現会長。2003年、オンライン対戦ゲーム「KONAMI麻雀格闘倶楽部」に麻雀プロを登場させるなど、「麻雀プロが食える世界」を多角的に構築してきた。

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