猪木がニヤリ 長州、藤波との世代闘争を終わらせた「パートナーX=山田恵一」の奇策

若手の山田(左奥)を復帰戦で起用した猪木はニヤリと笑った(1987年10月、静岡・富士市)

【プロレス蔵出し写真館】「超・燃える闘魂アントニオ猪木展」が6月20日から、東京・京王百貨店新宿店の7階大催場で始まった(26日まで)。オープニングセレモニーには元プロレスラーでタレントの佐々木健介・北斗晶夫妻と獣神サンダー・ライガーが出席し、猪木の思い出話を披露した。

ライガーは、まだ若手の山田恵一だったころ、猪木が〝意表を突く〟場面でタッグパートナーに起用した。

特筆されるのは、今から36年前の1987年(昭和62年)10月19日、静岡・富士市吉原体育館で行われた猪木の復帰第1戦だ。

この年の6月12日、両国国技館で長州力がマイクアピールし、新旧世代闘争が勃発した。長州のマイクには呼応したものの、猪木はこの抗争には乗り気ではなかった。「引退できるものなら今すぐにでもしたい。だが、今の状況ではできないね。残念だけど…」と猪木は言い続けてきた。

数か月して猪木は、マサ斎藤との巌流島対決をぶち上げ、新世代のほこ先をはぐらかす。10月4日に行われた巌流島決戦は2時間5分19秒、斎藤の戦意喪失によりTKOで勝利した猪木だが、右肩剥離骨折の代償を負いシリーズを欠場する。

19日は、キズが癒えた猪木の復帰第1戦だった。

復帰戦の相手には藤波辰巳(現・辰爾)と長州力を指名し、自らのパートナーはXとしていた。

リング上で待ち構える藤波と長州。猪木が謎のパートナーXを従え入場するが、若手が壁を作りXを隠していた。猪木の後ろに隠れるように入場したのが、カナダから帰国したばかりの若手・山田恵一だったのだ。

猪木は前年の86年2月5日、大阪城ホール大会でUWF勢と初対決したときにも山田を大抜てきし、高田伸彦(後の延彦)&木戸修と対戦していた。若手の中でも山田を買っていたことがうかがえた。

復帰戦という大一番で山田の起用は、予想外。マスコミもファンも〝まさか〟の事態だった。してやったりの猪木は思わずニヤリと笑った(写真)。

藤波は山田を指さし〝ふざけるな〟と激高。試合が始まると山田は〝らしさ〟を発揮。長州に張り手を見舞うなど果敢に攻め立てるが、ヒートアップした長州は藤波が羽交い締めにした山田にリキラリアート。さらにもう一発叩き込み、たった73秒で山田をフォールした。すると猪木は、伸びている山田を足蹴にして場外に排除すると、異例の1対2変則マッチを要求した。

足蹴にされる山田には、思わずクスッと笑ってしまったが、猪木 vs 藤波&長州戦が開始されると、混沌とした試合が展開する。

最初こそ、長州が猪木にサソリ固めを仕掛けると、藤波がストンピングでフォロー。しかし、藤波が猪木にジャーマンスープレックスホールドを決めると、なんと長州は藤波をキックし、ブリッジを崩してフォールを阻止する。さらに藤波にラリアート一閃。

そして、猪木にサソリ固めを決めると、今度は藤波が長州に張り手。2人はあくまで〝猪木の首〟は自分が獲るというスタンスのようだ。収拾がつかない展開に4分42秒、無効試合が宣告されると長州はマイクを握り絶叫。

「藤波! 猪木とテメエの首は俺が先に獲るぞ! トップは俺が先に走ってやる」

試合後、長州は控室で「山田が出てきたときから猪木も、そして藤波もぶっ潰すつもりだった。俺にとっての世代闘争は終わりだ。これからは自分の目標に向かうだけだ。オレがトップを走る。もう藤波、アキラ(前田日明)とは共闘しない。オレの手で猪木をブッ倒すだけだ」とまくし立てた。

この言葉を最後に世代闘争は終結。山田がキーパーソンになったともいえるだろう。

ところで、欠場していた前田は「自分で勝手に(世代闘争)宣言して誘っておいて、俺がいない時に勝手に(新世代軍を)解散した。長州力は〝言うだけ番長〟だ」と人気だった少年漫画「夕やけ番長」をもじって、そう侮蔑した。

11月19日、後楽園ホールで起こる「長州力顔面蹴撃事件」は必然だった(敬称略)。

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