<レスリング>【特集】文武両道がレスリング界の新たな「うねり」となるか…57年ぶりにインターハイ学校対抗戦に出場する神奈川・慶應義塾高の挑戦(下)

《上から続く》

慶應義塾高校の学校対抗戦への県予選出場は、大山泰吾監督が高校3年生のときの2015年以来だという。翌年からは学校対抗戦に必要な最低選手数の「4人」がそろうことがなく、個人戦のみの出場だった。

監督への正式就任前の昨年中に強豪新人2選手の入学が決まり、「学校対抗戦でインターハイに出場できるかも、というムードが高まっていました」と振り返る。一方で、「この結果は、前任の吾田(あずた)鉄司監督の力なんです」と、先輩監督を立てた。

▲チームとして57年ぶりのインターハイ学校対抗戦出場を控える慶應義塾高校チーム。左端が吾田鉄司・前監督、右橋が大山泰吾監督

吾田鉄司監督(三菱地所勤務)は東京・國學院久我山高校時代に全国高校生グレコローマン選手権で8位などの成績があり、1994年に慶大を卒業。1997年~2002年に慶大監督、2021年から今年3月まで慶應義塾高校を指揮した。名刺には、「三田会(レスリング部OB会)常任理事」のほか、「受験担当」との肩書きも記載されている。

レスリングの成績だけでは、選手は採れない。学力も調査せねばならず大変な作業が伴うが、「慶應義塾高への入学は、スポーツ選手といえども学力が必要」はスポーツ界の“常識”。保護者が「○○は勉強にも熱心らしい」などの情報を教えてくれることが多く、けっこう助かっていると言う。

スポーツを基準に人生設計を考えてしまうと、将来の選択肢が狭まる

瀧澤、岡澤の両選手も“保護者ネットワーク”からの情報。「同じ年に2人、入部してくれたのは、奇跡に近いですね」と振り返る。もっとも中学の場合、評点「1」や「2」はあまりつけないので、「普通に勉強して平均をちょっと上回る学力なら、合格に必要な内申点は行くと思います」と話し、オール5などの“ずば抜けた天才”の必要はないと言う。

▲スパーリングする瀧澤勇仁(左)と岡澤ナツラ。全国中学選抜王者が同時に入学したのが、慶應復活のスタートだった

選手、あるいは保護者が文武両道を求めるのは、時代の流れだろう。国際舞台へ進出している岡澤主将、瀧澤副主将の2人は、申し合わせたように「将来レスリングを仕事にする気はない」という言葉を口にした。

あらゆるスポーツに共通することだが、選手としての活動期間と、それを終えたあとの期間とでは、後者の方がはるかに長い。スポーツの才能と実績を生活の糧にできる人間はごくわずか。学力や知識というベースがあってこそ、引退後に色々な可能性を見つけられる。そのベースがなければ、場合によっては悲惨な人生が待っているかもしれない。

もちろん、「オリンピックを目指す」と腹をくくる人生を否定するべきではない。オリンピック出場は、生活のすべてをかけて打ち込まなければ実現できまい。「セカンド・キャリアのことまでは考えられない。引退後に考えればいい」となっても当然だろう。

だが、スポーツを基準に人生設計を考えてしまうと、将来の選択肢が狭まってしまうことも認識する必要がある。

▲唯一の2年生の菅原大志。2選手が抜ける来年も学校対抗戦へ挑戦できるか。

「文武両道でやるのはカッコいいので、チャレンジしました」…岡澤ナツラ

岡澤主将は、小学校の頃は周りの選手が「オリンピックに出たい」と言っており、自分も「そう思っていました」と振り返る。中学に進むと、周囲が高校進学の話をしたり、将来の夢を話したりしていたのに、自分は行きたい高校も決まっていなかった。「これじゃあ駄目だ、勉強をやらなければ、と思いました」と言う。

ただ、父からは「人生のいろんな幅を持ち、多彩な方面へ進むためにも勉強は必要」と教えられていたそうだ。慶應義塾高の当時の吾田監督から声をかけられ、練習会に行って進学への気持ちが出てきたと言う。「文武両道でやるのはカッコいい、と思いまして、チャレンジできるのなら、やってみようかな、と」。

いざ進学してみると、周囲は頭のいい生徒ばかり。1年生の1学期はレスリングとの両立が大変で体調を崩してしまったとか。それでも、「朱に交われば赤くなる」のことわざ通り、周囲が勉強に打ち込んでいれば、負けじ魂が燃え上がり、周囲から勉強のやり方を聞いたりして、困難を乗り切ってきた。

▲昨年8月のアジア・ユース大会で優勝した岡澤ナツラ=チーム提供

「レスリング一筋ではなく、勉強もできた方がカッコいい」…瀧澤勇仁

瀧澤副主将は、全国王者を続けていた小学校のときから「親から『勉強もしっかりしろ』と言われていました」と振り返る。自身の気持ちにも、レスリング一筋ではなく、「勉強もできた方がカッコいい、と思っていた。レスリングをやめたとき、勉強しておけばいい将来があると思った」と話す。

自由ヶ丘Jr.アカデミー時代には、当然、運営する自由ヶ丘学園高レスリング部からの誘いもあり、「自由ヶ丘でレスリングをやり、そのあと慶大を目指せばいい」という声もあった。だが、進みたい学部は商学部、経済学部、法学部など。「大学から行くとなった場合、AO入試(総合型選抜)では希望の学部に行けないんです」と話し、中学生にして将来の進路をしっかりと見据えていた。

▲2022年U17アジア選手権で銅メダルを獲得した瀧澤勇仁(左端)

これからの時代は英会話も必須と感じており、慶大へ進んだあとは米国の大学への留学も考えている。選手としての実績からすれば、尾﨑野乃香に続く慶大からのオリンピック出場も目指せるだろうが、「レスリングは大学まで。レスリングで生活できるのは、ひと握りの人です。それを目指すより、ちゃんと勉強して将来のことを考えていくべきだと思います」ときっぱり。

ただ、「やるからには、大学でも優勝を目指しますし、(進学予定の)慶大をリーグ戦の一部へ昇格させるために全力を尽くします」と言う。「オリンピック出場は目指さない」とは言っていない。大学4年生の2028年にロサンゼルス大会があるので、目指す可能性は十分にある。

岡澤主将が「大学受験がないので、大学を受験する生徒ほどの勉強はしなくてもいい。その時間を今後の成長につなげたい」と話せば、龍澤副主将は「課題や小テストも多いですが、やらなければなりません。疲れていても、家に帰れば『やらないと』という気持ちになります」と話し、両者の気持ちは常に前向きだ。

不世出の野球選手・イチローは高校時代、ほぼ全教科が「5」だった

不世出の野球選手、元大リーガーのイチローは愛知・愛工大名電高校時代、ほぼ全教科が「5」。校長先生から「東大合格も夢ではない」と言われたことは、イチロー・ファンの間では有名な話。

そのイチローの名言に「僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。誰だってそうじゃないですか。つらいし、たいていはつまらないことの繰り返し。でも、僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。その努力が結果として出るのは、うれしいじゃないですか」がある。

勉強もスポーツも、目標を定め、必死に取り組めば結果が出ることは同じ。スポーツで努力し、工夫して栄光をつかむ才能を持つ人間が、勉強で努力して結果を出せないはずがない。

慶應義塾高校の野球部員は、「目標を達成できる」と強く信じることから始めたという。自由な髪型が「野球部員らしくない」と言われたこともあったが、固定観念を持たず、古くからの習慣に風穴を開け、新たな道を切り開いた。

「勉強に力を注いでいたら、レスリングは強くなれない」と思うとしたら、それは改めるべき固定観念でしかない。「勉強はしなくてもいいから、レスリングが強くなればいい」という指導は論外。「レスリングが強い選手は、勉強もできる」という事実ができて浸透していくことが、レスリングのステータスを高め、他の競技の選手を含めて世間から一目置かれることになる。

それは普及につながり、文武両道のレスリング選手をさらに生むことになる。言葉の壁を感じない選手が増えて、多くの選手が外国へ行き、日本レスリング界に国際化をもたらすはずだ。

慶應義塾高校レスリング部の活躍は、レスリング界に新たな「うねり」を作り出すに違いない。(文・撮影=樋口郁夫)

▲オリンピック金メダリスト、佐藤満・特別コーチの指導を受ける新人の長沼一汰

▲チームで唯一インターハイ個人戦出場を逃した92kg級の山中創太だが、関東高校大会は2位入賞の実力を見せた。来年、再来年のリベンジに燃える

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