香取慎吾、自身を楽しむ現在地 『SMAP×SMAP』、映画『座頭市 THE LAST』……1990年代の葛藤

香取慎吾が、6月20日発売の雑誌『週刊文春WOMAN』2024夏号(文藝春秋)で描き下ろし表紙画を担当したほか、インタビューにも応えた。同号の特集は「なぜ今、1990年代ブーム?」。香取はその内容に合わせて、表紙絵としてメンフィス柄をモチーフとした絵を描いた。

メンフィス柄は、さまざまな形や線を散りばめた絵柄が特徴的で、ポップなカラーリングで魅せるものが多い。生み出したのは、1981年に結成されたイタリアのデザイン集団「メンフィス」である。そんな「メンフィス」の創設者が、1960年代イタリアで起きた既存体制への不満を原動力とする反デザイン運動 ラディカル・デザインに傾倒した建築家、インダストリアルデザイナーのエットレ・ソットサス。彼を中心とする「メンフィス」が発表する作品群が幾何学的図形、直線、波線で構成されているものが多かったことから、メンフィス柄と名付けられた。

「メンフィス」の作品のおもしろさは、たとえば家具や雑貨にしても、実用性ではなく、徹底的にユーモアとデザイン性を追求している点である。だから、すぐに「これはメンフィスの作品だ」とわかるのだ。その制作背景にあるのは20世紀のデザインの主流。1919年から1933年まで、ドイツでは個人の芸術性と大量生産・機能性を融合させたデザイン運動 バウハウスが起きた。さらに第二次世界大戦直後、世界各国は復興や経済発展のために、生活品の大量生産が必要となり、戦勝国のアメリカが軍需産業で身につけた新素材の開発力、機械の製造力、そして技術力を家具やインテリアの分野に活かしていった。そしてアメリカを中心として、世界中にシンプルかつ機能的なデザインが広がっていった。いわゆるミッドセンチュリーである。

「メンフィス」は、そういった20世紀のデザインの合理性への批判を展開した。特に顕著だったのがバウハウスの反動だろう。「メンフィス」は1988年に解散し、エットレ・ソットサスは2007年にこの世を去っている。しかし、そのデザインは今もなお世界中のデザイナーたちを刺激し続けている。

香取もその刺激を受けたひとりと言えるだろう。

『週刊文春WOMAN』のインタビューのなかで香取は、「メンフィス」について興味深い発言をしている。それはデザイン史においてメンフィス柄は、過去のデザインをオマージュしておらず、まったく新しい発想からきているということ。香取はそのように「メンフィス」の核心的な部分を押さえたうえで、『週刊文春WOMAN』をローマ字表記したときの頭文字「S」「B」「W」という文字を絵のなかに入れ込み、「影があって浮いている感じ」で表現した。香取はそれを「メンフィス柄で重要な要素」と解釈して作品作りに取り組んだのだ。

なにより「なぜ今、1990年代ブーム?」というテーマに対してメンフィス柄でアンサーした点に、“香取慎吾らしさ”が感じられる。

インタビュー記事では、SMAPが“アイドル冬の時代”にデビュー(1991年にCDデビュー)したことが触れられている。そして香取は、グループのデビューとほぼ同時にバブルが崩壊し、音楽番組も続々となくなっていったと回想した。その言葉通り、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組が次々と放送終了し、変遷期を迎えていた。実際、1990年代は『COUNT DOWN TV』(TBS系)など最新音楽チャート番組が席巻。また歌番組という点では、チャートインした楽曲をタレントらがカラオケで歌う『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)が人気を集めた。CDが飛ぶように売れてミリオンセールスが連発される一方で、音楽はスピーディーに消費される時代になった。それは現代の音楽セールスの事情にもつながると言っていいだろう。

そんななか、1996年にSMAPの冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)が始まった。アイドルがコントなどに挑戦するという当時は異例のバラエティ番組で、大げさではなくテレビ番組史を塗り替えるものとなった。SMAP自身もここで新境地を開拓し、ファン層を拡大させた。ただ香取は、こういったバラエティ番組への出演は、音楽番組がなくなっていった状況から「行き場がないからやらざるを得なかった」と素直な気持ちを明かしている。そのコメントを読み解くと、香取にとって1990年代は“葛藤の時代”だったのではないか。

ただ、葛藤があったからこそSMAPは、アイドルグループとして唯一無二性を獲得していった。音楽だけではなくバラエティまでできるという自在性から、メンバーはそれぞれバラエティ番組、映画、ドラマ、舞台などソロで動く機会も増えていった。個別の活動の多さも、それまでのアイドルグループにはないオリジナリティだったと言えるだろう。そうやって「既存のやり方をなぞってこなかった」という意味において、香取がメンフィス柄をモチーフにした絵を描いて「1990年代」を表現したのは至極頷ける。

もうひとつ、インタビュー記事から言及しておきたいのは、香取が自分自身のことを“ロボット”と表現していたところだ。

香取は「若い頃の僕は『俺なんてピエロだ』とか『ロボットとして働いてきた』みたいな感覚を持っていました」と語っている。しかし主演映画『座頭市 THE LAST』(2010年)で監督を務めた阪本順治から、「もうそんな考えはよくないから。もっと人として、自分として生きた方がいい。君はロボットなんかじゃないから」と言われたそうだ。そこで香取は、自分の捉え方が変化していったという。そして撮影後、香取は阪本監督に、ロボットが市に斬られている様を描いた絵をプレゼントした。

ロボットもまさに大量生産を表すワードでもある。それを斬りつける絵というのは、いかにもメンフィス的……いや、エットレ・ソットサス的ではないだろうか。いいか悪いかは別として、もしかすると1990年代の香取は“人間味”を確立できていなかったのかもしれない。香取がメンフィス柄に接近していった理由には、彼のそういう背景が感じられる。

香取は記事の終盤、「自分になれた」と話している。その実感は「メンフィス」の精神性に通じるものがあるだろう。香取は「なぜ今、1990年代ブーム?」という問いかけについて、「自分らしさというものをある意味、失っていた1990年代とあらためて向き合うこと」と解釈したのではないか。そう考えると香取は今、誰よりも“香取慎吾”を楽しむことができているように思える。

(文=田辺ユウキ)

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