沖縄戦の記憶、心に刻む 慰霊の日、島全体が鎮魂の祈りに包まれ 平和と継承誓う

親族の名前が刻まれた「平和の礎」前で涙を流す長山和子さん(右)と夫の松雄さん。長山さんは「高齢で足腰が悪く、ここに来るのは今年が最後かもしれない」と話した=23日午前8時25分、糸満市摩文仁・県平和祈念公園(竹花徹朗撮影)

[戦後80年へ]

 沖縄は23日、戦後79年の「慰霊の日」を迎えた。20万人を超える沖縄戦の犠牲者の死を悼む慰霊祭が県内各地で営まれ、島全体が鎮魂の祈りに包まれた。激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)があり、県内外から約4500人が参列。戦前生まれの80歳以上の高齢者が全人口の1割を切る中、沖縄戦の記憶を次世代へ伝える大切さを改めて心に刻んだ。(社会部・下里潤、勝浦大輔、南部報道部・新崎哲史)

 24万2225人の死者名が刻まれた同公園内の「平和の礎」には、早朝から手を合わせる人たちが絶えなかった。子どもから高齢者まで幅広い世代が花や線香を手向けた。

 追悼式では、正午の時報に合わせ1分間の黙とうをささげた。 県遺族連合会の我部政寿会長はロシアのウクライナ侵攻など紛争が世界で続いていると指摘。県内では戦後79年がたっても遺骨収集や不発弾の発見が相次いでいるとし、「沖縄の戦後はいまだ終わっていない」と力を込めた。

 玉城デニー知事は平和宣言の中で米軍基地の過重負担や自衛隊の急激な配備拡張に言及。「犠牲になられたみ霊を慰めることになっているのか」と疑問を投げかけ、基地問題の早期解決を図るべきだと訴えた。

 岸田文雄首相は「平和の尊さを次世代へ継承していくことはわれわれの責務」としつつ、米軍基地の負担軽減には「全力を尽くす」と述べるにとどめた。あいさつ中、会場の内外からやじが相次いだ。

 那覇市の嘉数好子さん(87)は、母や弟らの名前が刻まれた平和の礎を訪れ「母たちの分も頑張ろうと生きてきた。戦争は絶対にしてはいけない。一人の力では限界がある。みんなで考えないと」と訴えた。

 糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」で手を合わせた近くに住む福元米子さん(72)は、毎年この日に参拝する遺族の高齢化を痛感する。「世代が進み、来たくても来られない人もいる。地元の人も足を運びにくいので、思いを込めて祈った」と語った。

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