認知症とEQ 【第2回】生活の状況を伺ううちに、ケアマネージャーさんが私を紹介した本当の理由が見えてきた

まえがき

通所介護や訪問介護、訪問看護の方々と一緒に仕事をしながら、介護困難となり自宅での生活ができなくなった方々のために最終的には老人ホームの経営にも乗り出しました。

そんな診療の日々の中で、出会うようになったのが認知症の患者の方々です。

私が子どもの頃、認知症はとてもひどい病気なので、将来医者になってもできたら関わりたくないと思っていました。

その頃は「痴呆」と言われていましたが、特に症状の激しいおじいちゃんが近所にいて、父や母を通して徘徊や夜間の暴言などの激しい症状について噂話を聞いていました。その影響もあって子どもながらに認知症は大変な病気だというイメージを強く持ってしまっていたのです。

医師免許を取ったばかりの頃、最初に関わった認知症の患者さん達は精神科病棟に入っている方々でした。つなぎのようなファスナー付きの病衣を着て、勝手に服を脱げないようにされていました。

そしてロの字の構造をしている閉鎖病棟の中で一日中、終わりのない散歩を続けていました。意思疎通はあまりできず、ただただ一日を過ごし、予想できないタイミングで叫んだり歩いたりされているように私には見えました。

そのような方々が発熱したり転んでケガをしたり、嘔吐されたりした時に内科的な処置をするのが私の仕事だったのですが、入院されている重症の方ばかり最初に診ましたので、外来や自宅で実際に自分がそのような方々の診療をすることになるとはとても想像できませんでした。 

ところが開業後、在宅医療や介護職との連携を通して出会うようになった認知症の患者さん達は、それまでの私が持っていたイメージとは違う姿をしていたのです。

自宅で生活されている患者さんには生活感がありました。認知症ではあるのですが生活されているので、一見病人には見えません。そういう患者さん達と接することを通して、患者とそうでない人との境目が本当は存在しないことが自然に理解できました。

日々の診療を通して「誰でも認知症になる」ということが心の底から理解でき、そして高齢者の生活に寄り添うということは、この病気とつきあっていくことだと覚悟を決めさせられたのです。

EQを用いた介護の必要性

ある日の診察室での会話から……。

いつものように認知症の母親を連れて、息子さんが来院しました。息子さんは30代くらいで、いつも小学校低学年くらいの娘さんも連れて一緒に診察室に入ってこられます。いつものように3人並んで座られました。左から、患者さん、息子さん、お孫さんの順です。

「どうですか? 変わったことはなかったですか?」

私が第一声を発すると、お母さんは

「はい、なんともありません!」

と言われて、ニコニコとされています。しかしこの後、何も言葉は出てきませんので、私はまずお母さんの表情をじっと見つめます。

表情に暗い影は見えません。特に注意して目の光を見つめます。ちょっとした不安があれば、表情、特に目にかげりが見えるものですが、この方の目には何も浮かびません。

私は安心して、ゆっくりと視線を真ん中に座る息子さんに移します。息子さんを挟んで患者さんの反対側に陣取ったお孫さんはいつもと変わりなく、何かのおもちゃで手遊びしています。

「大丈夫そうですね、とてもいいようです。息子さんのほうには何か気にかかることはありませんか?」

こう話していると、いつのまにか息子さんの眉間にだんだんと深いしわが刻まれていきます。

「実は母がなかなかゴミを捨ててくれないんです」

「ん? そうなんですか?」

「ちゃんとゴミ捨ての日に電話をして、ゴミを捨ててって言ってるんですけど、結局捨ててないんです!」

ちょっと息子さんの語気が強くなります。

「ちゃんと約束したのに、捨ててくれないんです」

そしてお母さんのほうを向いて、こう言いました。

「ちゃんと約束したよね、なんで捨てないの?」

何かを言いたそうなお母さんは頭の中で言葉をさがしているのですが、なかなか言うべき言葉が見つからず表情が曇っていきます。

「まあまあ」と会話をさえぎり、私は話を始めました。 

このお母さんを息子さんが初めて連れてこられた時、息子さんにはお母さんの状態に対して認知症という意識さえありませんでした。風邪を引いたお母さんがあまりご飯を食べないと悩んでおられた息子さんにケアマネージャーさんが当院への受診を勧められたのです。

一人暮らしをしているお母さんはちゃんと一人で生活できており、近くに住む息子夫婦がたまに訪問して生活の援助をしていました。最初の受診の時、風邪に関する問診で生活の状況を伺ううちに、私の中でケアマネージャーさんが私を紹介した本当の理由が見えてきました。


※本記事は、2023年12月刊行の書籍『認知症とEQ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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