奈良の海龍王寺と元興寺の国宝「五重小塔」に行ってみた

奈良の平城京跡の北側に広がる佐保路と読ばれるエリアには、聖武天皇の后・光明皇后ゆかりの寺院、海龍王寺があります。この寺院には高さ数メートルの国宝である五重小塔が安置されています。

一方、五重塔で名高い興福寺の南に位置する通称「なら町」と呼ばれるエリアの中心部には、世界文化遺産に登録されている元興寺があります。こちらにも国宝の五重小塔が存在しています。

これらの五重小塔は工芸品ではなく建築物として国宝に指定されており、今回は実際に足を運んでみて、その価値を実感してきました。

この五重小塔がなぜ造られたのか、そしてなぜ工芸品ではなく建築物として国宝に指定されているのか、その背景について解説いたします。

海龍王寺の概要

画像:海龍王寺東門 筆者撮影

奈良市にある海龍王寺は、平城遷都の際に藤原不比等が土師氏から土地を譲り受けて、邸宅を構えたことに始まります。
この際、敷地内の東北隅にあった寺院を壊さず、そのまま残したことが海龍王寺の前身とされています。

不比等の没後、その邸宅は娘であり聖武天皇の后である光明皇后が引き継ぎ、皇后宮として使用されました。現在の海龍王寺は「光明皇后宮内寺院」として知られています。

海龍王寺は731年、遣唐留学僧であった玄昉の帰国の無事と最新の仏法の持ち帰りを祈念して、光明皇后が伽藍を整えたのが始まりです。

その後、玄昉が唐からの帰国時に暴風雨に遭遇しながらも『海龍王経』を唱えて無事に帰国したことにちなんで、この寺院は「海龍王寺」と名付けられました。

画像:海龍王寺本堂 筆者撮影

現在の寺院の境内には、17世紀に建てられた本堂、奈良時代の木材を使用して昭和に修理された西金堂、鎌倉時代に建てられた経蔵などがあります。

本尊は光明皇后が自ら刻んだ十一面観音像をもとに、鎌倉時代の仏師が造立したと伝えられる十一面観音立像(重要文化財)です。

また、西金堂内には高さ約4メートルの五重小塔が安置されており、工芸品としてではなく建造物として国宝に指定されています。

西金堂内には立ち入る事はできませんが、扉が開かれており、五重小塔を覗き見る事ができます。

海龍王寺の五重小塔

画像:海龍王寺五重小塔 筆者撮影

海龍王寺の公式HPによると、この五重小塔は創建時から西金堂内に安置されていた可能性があるとされています。
また、境内にあった東金堂(明治時代に失われた)にも、同様の小塔が納められていたと推測されています。

海龍王寺公式HP

このような配置が取られた理由として、海龍王寺の境内が狭く、高さ数十メートルに及ぶ大きな五重塔を建てるスペースがなかったため、小塔を堂内に設置し、東西に配置して伽藍の配置を再現しようとしたと考えられています。

この説明は、実際に海龍王寺を訪れて境内の狭さを感じると納得できるものです。

この五重小塔は堂内に安置され、近くから見たり拝んだりできることから、外部の組物などの細部に至るまで忠実に作られています。ただし、内部の構造は簡略化されており、実際の塔の構造を完全には再現していません。

元興寺の概要

画像:元興寺東門 筆者撮影

元興寺は「古都奈良の文化財」の構成要素として世界文化遺産に登録されています。

元興寺の起源は、明日香の地にあった蘇我氏の氏寺・飛鳥寺に遡ります。飛鳥寺は平城遷都に伴い、官大寺として新たに建設され、その際に元興寺と改名されました。

飛鳥寺は本格的伽藍配置を持つ寺院としては日本最古と言われており、ここから「仏法元興の場」という意味を込めて奈良に新築されたこの寺院が、元興寺と命名されたと伝えられています。

画像:元興寺極楽坊と禅室 筆者撮影

元興寺は建立当初、広大な敷地を有する大寺院でしたが、次第に伽藍が荒廃し、堂塔が分離して失われていきました。現在整備されて残っている歴史的建造物は、国宝に指定されている極楽坊本堂と極楽坊禅室の2つだけです。

極楽坊の屋根瓦には、黒っぽい瓦と茶色っぽい瓦が混在しているのが特徴です。

これは長い歴史の中で何度も解体修理が行われ、その際に使用可能な古瓦が再利用されてきたためです。現在の瓦の中には、飛鳥時代のものも含まれており、非常に貴重なものとなっています。

また、仏像や文物が収蔵されている展示室には、5.5メートルほどの建造物として国宝に指定されている五重小塔が展示されています。

元興寺周辺の「なら町」と呼ばれるエリアを散策すると、元興寺がかつて大寺院であったことを示す証拠に出会うことができます。

町家が立ち並ぶ中に、「元興寺」と書かれた小さなお寺があり、ここには奈良時代にそびえていた東塔の礎石が残されています。また、西小塔院跡とされる場所も史跡として保存されており、先に記した国宝の五重小塔はここに建っていたと伝えられています。

元興寺の五重小塔

残念ながら、収蔵展示室内は写真撮影禁止で、公式から引用できる五重小塔の写真もありませんが、構造的には、軸部は等間隔三間で、初層から上に従って三寸ずつ低減しており、細部まで本格的な建築物となっているとのことです。

元興寺公式HP

また、この五重小塔は国分寺の塔の十分の一の模型として建立されたという説もあります。

ちなみに、元興寺の五重小塔は2014年に東京国立博物館で開催された「日本国宝展」に展示されました。

東京国立博物館の1089ブログには、この展示のために小塔を分解して搬送する際の苦労話とその様子が写真付きで紹介されています。興味のある方はそちらをご覧ください。

国宝五重小塔出品ものがたり

最後に

海龍王寺と元興寺の五重小塔は、奈良時代の建築技術と宗教的意義を伝える貴重な文化財です。

実際に足を運び、その歴史と美しさを直に感じることで、奈良の豊かな文化遺産をより深く理解することができるでしょう。

参考 :
海龍王寺公式HP
元興寺公式HP

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