87歳の伊東四朗が継承する「東京喜劇人」の魂 舞台で奮闘中!「電線音頭後」に生まれた世代の識者に聞く

今月15日に87歳の誕生日を迎えた伊東四朗が東京・新橋演舞場で27日まで公演中の「熱海五郎一座 スマイルフォーエバー~ちょいワル淑女と愛の魔法~」で連日奮闘している。「東京喜劇」を継承する伊東の生き様と共に、多くの喜劇人たちの姿を活写した新刊『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』(文藝春秋)の著者・笹山敬輔氏が、よろず~ニュースの取材に対し、その経緯や背景、インタビューで垣間見えた伊東の素顔などを明かした。(文中一部敬称略)

「てんぷくトリオ」、「電線音頭」のベンジャミン伊東、「ムー」と「ムー一族」の足袋店主、「おしん」の父親、「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造…。

本書は当代一の喜劇役者の芸歴を本人の証言と共に描いた評伝。薫陶を受けた森繁久彌、由利徹、三木のり平といったレジェンド、盟友の小松政夫、現在タッグを組む三宅裕司らも登場する。「てんぷくトリオ」は戸塚睦夫が1973年に42歳で病死し、(初代)三波伸介は82年に52歳で急逝。当時45歳で1人残された伊東は東京喜劇の系譜を実直に歩んできた。

数々の著書がある演劇研究者の笹山氏は「てんぷくトリオにも、ベンジャミン伊東にも間に合いませんでした」という後追い世代。電線音頭を大ブームにした番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(76~78年)終了後の79年生まれだ。同氏は「伊東さんの歩みをたどることで、日本の『笑い』の歴史を描けるのではないかと考えました」と明かし、伊東の視点から見た「体験的喜劇史」に挑んだ。

笹山氏は「マンザイ・ブーム(80年)以来、日本の笑いは言葉の笑いが中心で、NGやハプニング、私生活の暴露話などが主流になりました。それに対して、東京喜劇は芝居としての『笑い』であり、喜劇役者が役を演じて笑わせるものです。言葉の笑いは、演者と視聴者との間に情報の密度が必要で、それゆえ時代や国境を越えることが難しいと思います。一方、動きの笑いや演じる笑いは、ドリフが現在もリバイバルされたり、志村けんのファンが世界にいるように、時代や国境を越えていきます。現在、芸人がネットで世界に配信する時代になり、東京喜劇がつないできた笑いが、『未来の可能性』になるかもしれないと思います」と解説した。

「ドリフターズとその時代」(2022年刊 文春新書)を著した笹山氏は「伊東さんとドリフは、共に舞台を基本とし、演じる笑いに徹しているところが共通しています。また、いかりや長介さんと伊東さんは、共に東京の下町の生まれで、シャイでテレがあるところが似ていると思います。伊東さんご自身は、番組の主役となる人間は『華』が必要で、ドリフのような『華』のない自分は脇役なのだと考えておられるのだと思います。ただ、初期の『ドリフ大爆笑』における伊東さんとドリフの絡みは絶品で、お互いに信頼し合っていたのだろうと感じました」とも評した。

伝説の「みごろ!~」はDVDで観た。笹山氏は「今のバラエティー番組の先駆けという側面がある一方、伊東さんをはじめ出演者が役に徹して素を見せないところに違いがある」と指摘。現在、出演中の「熱海五郎一座」は初日に鑑賞し、「出ずっぱりのご活躍で圧倒されました。新橋演舞場という大舞台にもかかわらず、気負ったところがなく普段通り、それなのに満員の客席を爆笑させていたのは、さすがだと感じました」と脱帽した。

取材現場での伊東の素顔について、笹山氏は「渥美清の話をする時は、声色を真似して、それが絶品でした。また、昔の芝居の台詞や歌をさらりと披露していただき、ぜいたくな時間を過ごしました。お会いした印象はテレビで観ていた通り、すごく真面目な方で、約束の時間よりいつも早く来られていて、こちらが焦ったこともあります。昔の記事やパンフレットを多数持って行ったのですが、伊東さんがそれを見て驚く姿を見ることができて幸せでした」と振り返った。

本書のタイトルにある「正解」というワードの意味を問うた。笹山氏は「伊東さんは『正解を知っているのはお客さん』だとおっしゃっています。また、『笑いはドキュメント』であり、時代を反映するものともおっしゃっています。何が『正解』かは難しい問題ですが、あえていえば、たえず時代に触れ、客席の雰囲気を探ろうとする、『笑い』を求めて常に探求する姿勢こそが、『正解』なのではないでしょうか」と結んだ。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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