木村カエラ、デビュー20周年で繋いだ“縁” 奥田民生~ME:Iまで巡り巡る人生の出会いを振り返る

木村カエラが、6月23日にアーティストデビュー20周年を迎えた。

その20年のキャリアを振り返ると、彼女の活動には様々な“縁”が見えてくる。デビュー初期は奥田民生やサディスティック・ミカ・バンド、スチャダラパーら先輩アーティストとの共演や楽曲プロデュースを重ねてきたが、ここ数年ではあいみょんやAAAMYYY、iriといった後輩アーティストと共に音楽を制作。また、直近ではオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』に国民プロデューサー代表として参加し、これからの時代を作っていくアーティストの卵たちにかける言葉も大きな話題を呼んだ。

これまでのキャリアの中で繋いできた“縁”が木村カエラのアーティストとしてのスタンスや作品、また一人の人間としての価値観にどんな影響を与えてきたのか。20年間を辿りながら、その都度にあった特別な出会いを語ってもらった(編集部)。

■一度出会った人を大事にする

ーーまず、最初に6月23日にメジャーデビュー20周年を迎える心境から聞かせてください。

木村カエラ(以下、木村):自分だとあんまり実感が湧かないんですけど、何年か前からYUKIさんや椎名林檎さん、aikoさんが20周年を迎えてる姿を立て続けに見てきて、すごいなと思っていて。その“すごいな”と感じた20周年が今、自分に来るんだと思ったら、お祝いしなきゃ! みたいな気分になって。なので、盛り上がってはいるんですけど、私にとっては、本当に好きなことを続けてきただけな感覚もあるので、気持ち的にはそんなに普段と変わらないかもしれないです。

ーーカエラさんにとってはどんな20年でしたか。

木村:とにかく、長かったですね。19歳から始まっていて、いろんなことがあったなって思います。好きなことと向き合っていくことと、それを続けていくこと。好きだからこその大変さというのもあって。自分が楽しめない瞬間が少しでもあると、歌に対して失礼に感じてしまう。そういう気持ちであれば、もう辞めた方がいいんじゃないかって葛藤したことが何度かあったけど、それでもやっぱり好きな気持ちは変わらないから、ずっと続けてきました。常に新しい自分でいたいと思う気持ちもあるので、それを継続する力も必要だし、好きなこととずっと向き合い続けることは楽しくもあり、大変でもあったなと思います。

ーー今回は、「リルラ リルハ」や「BEAT」が収録されていた2枚目のアルバムのタイトルで、ファンクラブの名前にもなっている「Circle」=円=縁をテーマに20年を振り返っていただきたいなと思ってまして。人との出会いという軸で20年の歩みを語るとすると、最初は誰から始まりますか?

木村:最初に思い浮かぶのは、一番最初のマネージャーですかね。たくさん喧嘩したんですけど、音楽やファッションを含めて、私が好きなコアな世界を認めて導いてくれたのが山本さんだった。あと、同じ時期に出会ってるんですけど、『saku saku』(テレビ神奈川)でプロデューサーをやっていた武内(和之)さん。その2人は、自分の始まりとしては、すごく大きな存在だと思います。

ーーどんな存在と言ったらいいですか。

木村:私は物心がついた時から歌手になりたいという夢を持っていて。19歳になるまでは、そこに近づくための人生だったんですね。歌手になるためにしか生きてこなかった。例えば、カットモデルを始めたのも、読者モデルをしたのも、大学を諦めたのも、全部、歌手になるためにやったことでした。でも、いざデモテープを作って、いろんなレコード会社に配ってみると、「モデルの子が歌っても説得力ないからね」って言われることが多くて。「え? どうゆうこと?」みたいな感じになっていました(笑)。その状態が長く続いて。

ーー10代の頃は「SEVENTEEN」の専属モデル出身という肩書きに悩まされてましたね。

木村:誰も認めてくれなかったんです。なので、「自分がやってきたことは間違いだったのかな」とか、「私は歌を歌えないのかな」とか、すごく葛藤があった中で、その2人は、「え? 歌手にならないと駄目でしょ」みたいな感じで、なんの疑いや迷いもなく、全力で応援してくれる大人だった。もう感謝しかないですね。

ーーそして、デビュー後は先輩アーティストとのコラボが多かったですよね。

木村:そうですね。自分にとっては雲の上の存在みたいな方たちと関わることが多くて。そこで、いろいろと強くなりました(笑)。ひよっちゃいけない、というか。コラボできるのであれば、全力で向き合わなきゃいけない。ビビってしまうような気持ちを捨ててぶつかっていかないと、その本気が相手に伝わらないと、いいものができないという気持ちは、大先輩たちから教わったことですね。それをやれと言われてたわけではないんですけど、そこでかなり肝が据わったというのはありましたね。そういう先輩たちとの出会いもすごく大事でしたし、私は一度出会った人を大事にするところがあって。それがいいのか悪いのかはわからないんですけど、その人と家族みたいな気持ちで向き合うので、途中で合わなくなっても、その人と離れるのがつらくなったりして。人との縁はすごく大事にしてますね。

ーーカエラさんは情が深いですよね。ヘアメイクやスタイリストなどのスタッフも長い付き合いの方が多いですし。

木村:でも、1回だけ会って違うと思ったら、もう近づかないことが多いですよ(笑)。違う人は違うっていう判断も早いけど、直感で「この人、素敵だな」と思った人はやっぱり大事にしたい。1人で生きてるだけでは出てこないアート性や気持ちがあって。誰か1人が近くにいるだけで、その人のために何かしようとか、この人がこうしたら喜んでくれるかもしれないとか、この人といると自分自身のテンションが上がるとか。そういうことが人との繋がりで大事な気がしていて。自分に害があったり、自分が落ち込んだり、無駄なことを言う人、揚げ足を取ったりする人には一切興味がない。ただ、自分が出会った人に対して力をあげられたり、自分自身ももらうことができたときに、それって見えない糸で繋がっている感じがして。確実に自分にとって必要な人だと思っているんですよね。自分もその人のことを元気にできるのであれば、それをしてあげたいというふうに思う。だから、この人、大事だなとか、一緒にいて気持ちがいいなと思う人は、近くにいることが多いですね。

■奥田民生、加藤和彦、石野卓球…木村カエラを導いたひと言

ーーミュージシャンで一番長く深い付き合いとなっているのは、デビューから現在までライブのステージを共にしてるアイゴン(會田茂一)さんでしょうか。

木村:そうですね。デビュー前、制服姿でリハーサルしてました。高校生のときから知ってるし、アイゴンさんは大事ですね。デビュー曲「Level 42」や「happiness!!!」は山沢大洋さんが作ってくれて。ポップでとてもいい曲だったんですけど、同時にアイゴンさんが、私がその当時バンド(animo)でやってた「You know you love me?」と「Because」をアレンジしてくれたんですよ。そのときに、私に必要なのはアンダーグラウンド感だと思って。アンダーグラウンドのことをやっても、私が歌ったり表現するとものすごくポップになる。だからこそ、アンダーグラウンド感が大事だと思っていたし、そこでアイゴンさんと出会ったときに、この人こそ、私に必要な人だと思ったんですよね。私がすごくポップな良い曲をそのまま歌ってもーーもちろんいい曲にはなるかもしれないけど、自分が楽しいと思えないかもしれない。そんな時に出会ったのがアイゴンさんだったので、そのままずっと一緒にいますね。安心するし、かわいいし。

ーーそんなかわいいアイゴンさんは(笑)、2ndアルバム『CIRCLE』では全13曲中9曲の編曲を担当していて、カエラさんが大ブレイクするきっかけにもなった「リルラ リルハ」の作曲・編曲者でもあります。当時のことは覚えてますか?

木村:はっきりと覚えてます。歌詞の中にどうしても〈リルラ リルハ〉っていう言葉を入れたかったんだけど、(Real Life Real Heartの)造語だし、絶対に「何言ってんの?」って言われると思いながら、レコーディングのときに、恐る恐る提案してみて。それが私の頭の中というか、自分の中にある不思議な世界みたいなものを初めて表に出したときでした。それがたまたま(vodafoneの)CMソングになって、たくさんの人に聴いてもらえたときに、すごく安心しました。自分だけしか持っていない世界を、いろんな人とやるときにも出していいんだって。それが楽しくて楽しくて仕方なくて、夢の中にいるみたいな体験でした。

ーー同作には奥田民生さんとコラボした「BEAT」のほか、岸田繁さん(くるり)、ミトさん(クラムボン)などが参加していて。その後も石野卓球さん(電気グルーブ)やスチャダラパーさん、サディスティック・ミカ・バンドなど、ジャンルの枠を超えた個性的なアーティストとのコラボが話題となってました。

木村:すごいですね。変わった人たちとばっかりやってますね(笑)。本当に、一人ひとりに自分を導いてくれるひと言がありました。例えば、民生さんはレコーディング中に私が「BEAT」を頑張って歌っているときに、「お風呂で歌ってるみたいに歌って」と言ってくれたんです。その時の私は、「ロックなのに?」と疑問に思って。ロックを歌うときとは真逆のイメージだったから、「鼻歌風に?」「もうちょっと弱く歌えってことかな?」とか考えて。要は、リラックスしてってことなんだと思うんですけど、当時はその意味がわからなかったんです。今、振り返ってみると、あの時は緊張していたことがわかるし、今もレコーディングを始める時とか、うまく歌えないなと思った時に、その言葉を必ず思い出します。あと、サディスティック・ミカ・バンドの加藤(和彦)さんは、「カエラはおしゃれだし」とか、いろんなことを褒めてくれたんだけど、歌詞と歌について「カエラは正しい日本語で歌ってるからいいよね」って言われました。

ーーどういう意味だったんですか?

木村:それはね、今もまだちゃんとは理解できてない。その時も「え? リルラとか歌ってるのに?」と思ったんだけど、正しい日本語ってなんだろうってことは今も追求していて。そういう言葉が自分の心の中にずっと残ってる。だから、変わった人や面白い人に会ったときに、自分がどんな人間なのかっていうのがすごくわかりやすくなるんですよね。

ーー他者によって自分を知る機会になるってことですよね。

木村:そう。卓球さんも「Jasper」のときに、「カエラちゃんってさ。何にもとらわれてないよ。歌詞もこうじゃないといけないとかないでしょ。それが面白い」って言われて。卓球さんに言われた言葉も、自分の中では無意識にやっていたことだった。こういう曲だからこうしなきゃいけないとか、こういう場面だからこうしなきゃいけないとか、型にはめるのはもったいないと思ってたから。他にも、スチャダラパーさんにはこんなに力を抜いていいんだっていうくらいのユルさを教えてもらったし、ミトさんと会った時はアーティストはこんなに“変”でいいんだって感じたし。話しだしたらキリがないけど、そういう人たちの言葉から常に何かをもらって、自分では気づいていない自分を知っていった感覚がありました。

ーーかなりアクの強いアーティストたちとのコラボを経て、2011年10月にリリースした6枚目のアルバム『8EIGHT8』はしのっぴこと、渡邊忍(ASPARAGUS)さんが全曲のプロデュースを担当しました。これも大きな変化でしたよね。

木村:そう、私がいろんな人とやってきたのは、どんな人とやっても、どんなブランドの服を着ても、私でいるということの証明をしたかったからなんです。でも、出会った人によって、自分の出てくるものが変わるし、表現する方法も変わるっていう面白さも感じていて。卓球さんと出会ってなかったら〈Jasper〉という歌詞は出てきてないし、出会う人によって、自分が新しく出てくるっていうのがもう面白すぎて。だから、私が一体何者なのかということをずっと考えてた時期でもあったと思う。そういう曲をいざライブで表現するときに、例えばミトさんが作ってくれた「Circle」は本来打ち込みの音を同期で流すべきなんですけど、当時のバンドメンバーは尖っていたから「同期? は? 自力でやるけど」みたいに全て自力でやっていたんです。でも、ツアーを回るときに全部自力でちゃんとできる曲をやりたいという話になったのと、しのっぴが1つまとまった作品を作りたいと言って出来たのが『8EIGHT8』でした。

ーーその後の出会いで印象に残ってる方はどなたかいらっしゃいますか。

木村:またいろんな人とやるようになったんですけど、2014年の10周年を機に、ライブのバンドメンバーを変え始めたんです。なぜ変えたかというと、いろいろな理由はあったんですけど、一番大きかったのは、自分にとってのスキルアップのためでした。安心できる仲間たちとやっていくのもいいけど、木村カエラという1人のアーティストとして、もっと歌が上手くなりたいという思いがあって。それで、お馴染みのバンドメンバーと離れて、いろんなミュージシャンとやるようになりました。それこそレコーディングではいろいろな方が弾いてくれて。そうすると、自分の声も変わることにだんだん気づいてきて。それで、このバンドメンバーの中で歌ったらこの声になる、こういう歌い方になる。でも、他の人とやると違う歌い方になる。音の聞こえ方が変わると自分の声の音色も変わるから、それを追求したくて、10周年から15周年ぐらいの間は、歌に集中しました。アコースティックにもたくさん挑戦しましたし。今振り返ると、自分にとっては歌を成長させる時期でした。

ーー10周年のライブはヒイズミ(マサユ機)さんを迎えていました。

木村:NHKのテレビ番組をたまたま見て、この人誰? となって。探したら、ヒイズミさんで、林檎さんのバンドもやってることを知って。この人のピアノで歌ってみたいと言ったところから、ヒイズミさんとの出会いがありました。でも、その頃から人との出会いとか、自分の直感みたいなことをとにかく信じて進むしかないと思ってたかな。いろんなヒントが落ちてる気がして。なので、自分がいいなと思った人やコトに対しては、すぐに正直に動くように、その頃からしていました。

ーーいろんな編成でライブをやってましたよね。

木村:そうですね。ひなっち(日向秀和/元ZAZEN BOYS)、くるりの佐藤(征史)さん、SANABAGUN.、あと(OKAMOTO’Sの)ハマ(・オカモト)くんや(オカモト)レイジくんとも一緒にやれて楽しかったです。最近では、PAJAUMIのHarunaちゃんもすごく好きで、長い付き合いになりそうな感じがしてますね。

■原点を振り返るきっかけになった『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』

ーーそして、15周年を迎えた2019年にリリースした10枚目のアルバム『いちご』以降、女性アーティストとコラボするようになりました。これはどんな心境の変化があったんですか。

木村:きっと若いときは、女性アーティストをすごくライバル視していて。周りの女子に勝たないと、みたいな。あまり関わってなかったし、もともと私は女性にも男性に負けない強さがあることを証明したくて歌い始めてるから。とにかく男の人と一緒にやることが自分にとっての大事なバランスだったんだけど、何年もやってきて、自分の中で余裕が生まれたし、強い女性たちと一緒にやる楽しさも知って。15周年を過ぎたあたりから、もう私は私みたいな気持ちができあがっていたし、不安があまりなかったというか。そこからかな、女性のアーティストとやるようになったのは。でも、やっぱり楽しいですよね。

ーーCHARA、AAAMYYY、あいみょん、iriといった女性アーティストと一緒にやってますが、特に印象的な出会いはありましたか?

木村:今、挙げてくれた方たちはみんなそうだけど。AIちゃんはすごいなと思います。ほんとに神様みたいなんだもん。たまにプライベートでもメールをするんだけど、すごく温かい人だなって思いますね。悪いことを絶対に言わないし、彼女と知り合って、話して、嫌な気持ちになる人ってきっと1人もいないと思う。本当に神様にそういう使命を与えられてる人というか。AIちゃんが持ってるものがすごく好きです。一緒にやれて、本当に良かった。ただ、そこに辿り着く直前というか、10周年から15周年くらいまでが、自分の中ではスランプの時期だと思っていて。本当に苦しかった5年間だったんですよね。

ーーそれは歌詞を書くことに対してのスランプですか?

木村:いや、木村カエラとして。もう全てが辛かった。生きるのが辛いのではなく、自分から出てくるものがなくなってしまったことが辛かったんです。それまではずっとアイデアが止まらなかったのに、常にやりたいことばっかりを考えてた人が、止まってしまった時期だったんです。これは悪い意味ではなくて、子供を産んだからだと思う。自分の時間を置いといて、命を守ってたから、自分と向き合ってなくて、おそらく空っぽになってしまったんだと思うんですよね。

ーーそれは、仕方のないことではありますよね。

木村:目の前に大切なものがあったから、しょうがないなと思ったんだけど。これまでは、例えば、こういう服を着てライブがしたいみたいなアイデアが常に出てきていた。でも、その時期は何にも浮かばなくなって。なんでもいいや、別に……みたいな感じになっちゃったときに、歌に失礼だし、お客さんに失礼だと思ったんですよ。その時期に1回やめようと思ったんだけど、タイミングよく、絵本を書きませんかというお話をいただいて。本当に真っ白な紙から、自分で黒い線を書いて、ここが赤に見えたら赤に塗ろうみたいな、全部自分の直感で絵を描くという作業をリハビリみたいにやって。その頃にあいみょんに出会ったんです。

ーーあいみょんの曲は、カエラさんの楽曲としては珍しく、歌詞も彼女が描いてます。

木村:元々歌詞は私が書くつもりだったんだけど、あいみょんは歌詞と歌が同時に出るから、歌詞も書きたいと言ってくれて。ただ、私も歌詞を書いてる人間だから、書いてほしいことを伝えたんですね。自分より年下だし、むしろ私の曲を聴いてきたという人に、自分は今迷っているという話をして。歳を重ねながら葛藤している今の私をありのままの形で歌いたいと伝えた上で作ってくれたのが「Continue」だったんです。そこで、「あ、これは頑張らなきゃ駄目だ」と思って、葛藤から抜け出せた感覚がありました。だから、あいみょんとの出会いもすごく大事ですね。あのときにあの歌詞を書いてくれたおかげで、自分が思っていたネガティブなことが少し吹っ切れました。

ーーそして、直近の話で言うと、オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』の国民プロデューサー代表として、デビューを目指す子たちを見守るという経験をしてます。

木村:原点に戻ることができましたね。自分が夢を追いかけてきたときのことをものすごく重ね合わせながら彼女たちを見ていて。こういうときはネガティブな気持ちになるよなと思うと、見事にみんなそうなっていく。私もこの悩みは知ってるって。だから、それを全てサポートしてあげないとと思いながら参加していました。彼女たちが全力だから、自分も全力で向き合わなければいけないと思って。20周年を目前に、自分自身が夢を追いかけてたときのことを思い出させてもらえたのは、すごくいい機会でしたね。「そうだ、私、歌が好きなんだ」とか、「あのときの気持ちはこうだった」っていうのがすごく蘇ってきました。

ーーこれからはどう考えてますか。「CIRCLE」では〈デアイ ワカレ クリカエシ/キット カギヲアケル〉と歌っていますが、どんな扉の鍵を開けていきたいですか。

木村:とにかく、自分を信じていいんだなみたいな感覚があります。今までやってきたことを踏まえた上で、完全にゼロというか、新しいことをしたい、新たにスタートしたいという気持ちもあって。あとは、やっぱり今は感謝の気持ちが強いかな。20周年は自分にとっての新しいスタートだけど、これまで出会ってくれた人たちがいたからこそ今の私がいる。ほぼ私の力じゃないんですね。私は好きなことをやってきただけ。だからもう、全員に感謝を伝えたいし、たくさん喧嘩した人とのわだかまりも全部取っておこうと思ってて。人の縁って、ずっとぐるぐる回るものだと思うんですよ。誰かを思ったら、その人からまた返ってきて、全てがぐるぐる回ってるっていう考えがあって。繋がっていく人とは自然に繋がっていくし、会えなくなってしまった人のことは心の中で大事にしていればいいと思う。その人が幸せであればいいなって自分の中で思えていればいいんだと思うし、これからも、この人といると気持ちいいなとか、この人といると楽しいな、力をもらえるなって思う人といるべきだし、そういう方々とたくさん出会っていきたいですね。

(文=永堀アツオ)

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