認知症とEQ 【第3回】周囲が気づきにくく本人も家族も信じたくないという心理が働きやすい認知症

第一章 認知症におけるEQ

EQを用いた介護の必要性

しかし私は認知症の話を一切せず、息子さんに対して「お母様の一人暮らしにはもう少しサポートが必要なようですね。これからは息子さんが積極的にサポートに入ってください」と具体的にサポートの仕方をアドバイスしました。

その後一か月に一回の診察を、何度もする間にお母さんの栄養状態は改善し、体力はみるみる回復していきました。そして、お母さんの表情に余裕が感じられるようになった頃、「そろそろ物忘れの検査をしてみませんか? よく忘れるでしょう?」と話を振ってみました。

その頃はお母さんも息子さんも私を信頼してくださっていましたし、何よりお母さんの表情に劇的に笑顔が増えていたのです。

息子さんが生活に関わるようになったことを、本当に嬉しいと感じられていました。きっと今まで寂しかったんですね。

ですから息子さんに小言を言われても、表情は曇りますがすぐに笑顔に戻られます。そんな親子でした。息子さんは実際お母さんを大事にされていましたが、何度もお話ししているうちに、神経質な性格であることがわかりました。

母親との電話の際にゴミを出すように伝えたのに、言った通りに捨てていなかったことが気になるようなのです。約束が守られなかったことを、裏切られたと感じられているようでした。

お母さんに認知症の診断がつき治療を開始した頃、私は息子さんに質問してみました。

「お母様が約束を守れなかったことが気になられるようですが、そもそもお母様が今後学習すると子どもが学習した時と同じような感じで認知機能が良くなるとお思いですか?」

息子さんは私の突然の質問にきょとんとされています。

「認知症という病気は脳細胞に変化が起きる病気で徐々に進行していくものです。症状が進むことはあっても認知機能が元に戻ることはありませんよ」

息子さんはそんなことは考えたこともなかったという様子で、驚いた表情をしています。

「そうなんですか……?」

言葉は出てこず、表情は固まっています。きっと頭の中は混乱されているのでしょう。

「はい、現在の医学では治すことはできません。今は薬を使って進行を遅らせていますが、いずれは症状が進みます。だんだんと認知機能が落ちていくことを理解しておかなければならないと思います。つまり、小さなお子さんと違って、これから勉強して新しく覚えるということは期待できません。約束はだんだんと守れなくなると思います」

「……」

息子さんは私の話を聞いて言葉が出なくなってしまいました。

「今まで通りでいてほしいというお気持ちはわかりますが、これからは一人での生活を今まで通りしてもらいたいという希望にすがっているだけではいけません。これから周囲にいる私達が一緒に、冷静に病状を把握していきましょう。

できるだけ今まで通りお一人での生活をさせながら、できなくなっていることに気を配って危険に素早く気づくことが重要です。早め早めにサポートをするための手を打てるようにしていきましょう」

「先生の話を聞いて覚悟ができました。ありがとうございました」

これが典型的な認知症の診療風景です。このやりとりの中でいくつかこの病気の特徴に気づかれたかと思います。まず、認知症は今まで普通に生活されていた方がなる病気です。

特に初期は症状がはっきりしないので、周囲が気づきにくいということを知っておいてください。ご家族はご本人がばりばり仕事をしていた時の元気なイメージを強く持っていることが多いので、信じたくないという心理も働きやすく、第三者より気づきが遅れる場合があります。

認知機能の低下を指摘しても、ご本人ばかりか、ご家族までそれを認めないというケースもあり、そのようなケースではなかなか診断ができず、治療に入れません。

また何度も認知症の勉強をして、認知症が進行性の病気だと知識で理解している家族でも、「私の親は教科書とは違う」とその能力に期待を持ってしまいがちです。

ついつい「なぜできないの?」「前に言ったじゃないの」と言ってしまったり、そう考えてしまったりします。そうしてだんだんだんだんストレスがたまっていくのです。

そんな場面に遭遇するたびに私はこう言ってきました。

「理詰めじゃダメですよ」と。


※本記事は、2023年12月刊行の書籍『認知症とEQ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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